瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

中学時代のノート(27)

・昭和56年頃に聞いた怪談ノート(24)

 この件については、昨日で打ち止めとするつもりだったが、久しく思い出すことのなかった先生や級友、校舎や行事の記述を久し振りに熟読して、少し思い出したことがあるので、補足して置きたい。
 小学4年生のときの担任は、ほぼ毎日(?)ボールペン原紙で原稿を作って学級新聞を発行するような恐ろしく精力的な人で、こわい話をするような人ではなく、こちらも学級新聞に掲載するための詩や作文を作るのに汲々として、とてもでないがこわい話を要求する余裕を持たなかった。だからこの1年間に聞いた話は全く記憶しておらず、記録もしていない。すなわち、全14話は、
・小学3年生 その・七・八・
・小学5年生 その十一十二十三・十四
と云う内訳で、太字が教師から聞いた話、担任3人とクラブ顧問1人、他は生徒2人と施設職員1人である。他に、クラブ顧問の話をもう1話、もう1人のクラブ顧問の話を2話、後に思い出している。
 それはともかく、では小学4年生のときに何もなかったかと云うと、かなり騒ぎになった事件が1つあったのである。しかし、話(怪談)ではないし、私は端から信じていなかったから、このノートに記載すべき内容だと思わなかったもののようである。
 秋の遠足だったと思う。春かも知れない。みな、体操着姿で、下は紺か黒の半ズボンで、上は白いTシャツで衿と袖口に太い黒線が入っていたと思う。頭には赤白帽を被っていた。だから寒くない時期だったのは間違いないが、当時はみな大抵薄着だったからどちらか分からない。
 バスで、神戸市北区の修法ヶ原に行った。遠足自体の記憶は、まるでない。
 例によって、クラス写真を撮ったのだが、その写真が心霊写真だ、と云うので騒動になったのである。プレハブの隣のクラスの連中がどっと、プレハブの薄い床板をぶち抜くのではないか、と云う勢いで押し寄せて、あァだこォだと評判して騒ぎはエスカレートし、一時期、ちょっとしたパニックみたいになったのである。
 森の中の広場で撮った写真なのだが、何がおかしいのかと云うと、4年4組でない人が写っている、と云うのであった。
 今、私が覚えている怪しい奴候補は、2人である。
 1人(A)は、2人ほどの男子の後ろで、仰け反るようにして目を剥いている男子で、動いているせいか少しボケていて、変な表情でもあり誰だか分からないのであった。
 もう1人(B)はしゃがんでいる男子の後ろで、目深に赤白帽を被って、両足を開いて踏ん張るようにして前屈みになった男子で、前の生徒の頭で口の辺りが隠れて、殆ど顔が分からないのであった。
 このうち、心霊写真だと云われたのは確か(B)の方だったと思う。
 (A)は撮影時にポーズを取ろうとして、その途中、妙な按配のところを撮られてしまっただけのように見えた。しかし誰と云うことになったのか、思い出せない。
 (B)は、私ではないか、と思うのだが、級友たちは私と云うことにせずに、誰だか分からん奴が混ざっとォ、と云って騒いでいたのである。私が他に写っていたと云う記憶もないのだけれども。それに(B)が私でないとして、みな同じ恰好をしているのだから、他のクラスの奴がちょっと紛れ込んでも分からない。
 それが簡単に心霊写真だ、と云うことになってしまうのだから、昭和50年代は如何様霊能者にとっては、ちょろい時代だったろう。
 結局、何も結論は出ないまま、立ち消えになった(と思う)。担任は乗りもせず注意もせず、何も言わなかったと思う(そのような発言を聞いた記憶がない)。
 その後、心霊写真の話は幾つも聞いたが、実物とされるものを実見したのは、この、1回きりである。(以下続稿)

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 この他にも色々と当時のことを思い出したのだけれども、断片的に思い出すままを取り留めもなく綴っても仕方がないので、ある程度溜めてから記事にすることとしよう。