瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(170)

・青木純二の経歴(23)
 手術明けでなく、コロナウィルスを気にしなくても良ければ、神奈川県立図書館にでも「神奈川新聞」を見に行くところなのですけれども、うっかり感染してしまう訳にも行かぬので、しばらく見合わせることとしましょう。
 そこで今回は、当ブログ以外では唯一(?)の、神奈川新聞社時代の青木純二に関するブログ記事を紹介して置きたい。
 横浜路上観察学会世話人の河北直治のブログ「YOKOHAMA xy通信」の、2015/03/08「【ミニミニ今日の横浜】3月4日」――これは、昔の日本テレビおもいッきりテレビ」の「きょうは何の日」みたいに、題に示した日に因んだ横浜の過去の出来事を短い記事に纏めた、シリーズ物のようです。

1947年(昭和22年)の今日/「野毛にマッカーサー劇場(実演と映画封切り)開場」
野毛の一角に戦後一時期占領軍司令官<マックアーサー>の名の劇場が野毛にありました。/位置は現在の桜木町JRAあたりで/美空ひばりが本格デビューを果たした「横浜国際劇場」に隣接した場所に同時期開館しました。 ※横浜国際劇場 5月5日開館


 そして米軍による横浜市中心部の占領文化施設を列挙して、

米軍施設ではない「マッカーサー劇場」は、アメリカの民間企業が建てたものなのか?
当時の神奈川新聞では/「其の名も”マッカーサー劇場”元帥を讃へ横濱野毛に開館」とタイトルが書かれていますので、戦後日本が占領軍司令官を多く<讃え>た施設の一つといえるでしょう。/戦後の日本、アメリカに対し<節操が無い>のか<日本独特の柔軟性>なのか議論の別れるところですが、占領軍へのプレセンスをいち早く行った横浜市民の受容性には感服します。
「一般からその館名を公募してゐたところ、廳募は1万7千通に上った。二十三日にその審査を開催、堀内敬三(音楽家)北林透馬(作家)中山富久(作曲家)橘正禄(舞踊家)青木純二(神奈川新聞文化部長)平古壽次(瑞穂興業社長)などが厳選入選候補としてマッカーサー劇場、ミューズ劇場、希望劇場、セントラル劇場、オリンパス劇場などが残った、さらに審査の上で確定するが、進駐軍当局の認可を得てマッカーサー劇場と命名されると、日本では最初のマックアーサー元帥を讃える劇場が横濱に誕生するわけ、尚この劇場では横濱で最初のダンシングチームや市民演劇團も育成していくといふ。/(昭和21年9月26日付神奈川新聞)」*1

と、日本側の命名であったことを当時の「神奈川新聞」を資料に指摘するのですが、その審査員の中に青木氏の名が見えるのです。朝日新聞社から移った2月には編集副部長だったのが、昨日引用した山室清『横浜から新聞を創った人々』に「やがて」とあったように、9月までに文化部長になっていたことが分かります。
 そして、このような社の文化事業に関わるうちに8月16日付(157)に見たように事業部長になり、さらに退職後は2019年10月29日付(143)に見たように青葉芸能社を設立してその社長になるのです。――実は、青木氏の芸能界との関わりは昭和40年代まで続くのですが、それについては追って記事にしましょう。(以下続稿)

*1:「廳募」は「應募(応募)」の誤植か。