瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(297)

北杜夫の赤マント(12)
 昨日の続きで、いよいよ章の題になっている「西サモアの幽霊など」の話になります。文庫版205頁16行め~206頁16行め、全集239頁下段14行め~240頁上段10行め、【11月19日追記11月14日付「北杜夫『南太平洋ひるね旅』(03)」に挙げた①初版(ポケット・ライブラリ)と②新装版の位置を「\」で追加した。235頁5行め~236頁6行め。なお、章立てと頁については11月17日付「北杜夫『南太平洋ひるね旅』(06)」を参照。

 それからI氏は、写真の現像を見せて土人をおどかした|話をした。何もない白紙に人の影\が現/【205】われてくる。これは|幽霊だ、というと、相手は真剣にこう尋ねた。
「日本にもユーレイがいるか?」
「いる」
「どんなユーレイか?」
「日本のには足がない」
「足がなければ歩けないじゃないか」
「ところが歩ける。とんでくる」【239】
「嚙*1むか?」
「嚙みはしない」
「しゃべるか?」
「しゃべらない」【235】
「それならこわくないだろう?」
「ところがこわい。こんな様子をして出てくる」
「それが出るのはいつだ?」
「夜中の二時から三時だ」
 すると相手は、「ふーむ、すると一時間の間だ\な」と、|えらく真剣に考えこんだ。


 なかなかユーモラスな会話で、I氏こと岩佐嘉親の茶目っ気と云うか、異文化の中に飛び込んで行って関係を築く才能の一端を見るような思いがします。
 ところで、日本には嚙む幽霊も喋る幽霊もいると思うのですが、咄嗟に問われたことの反対を答えてしまったものでしょう。しかしこれにて南太平洋の人々の幽霊観は、何となく分かったような気がします。
 岩佐氏は昭和34年(1959)から南太平洋を訪れていたようで、今回が初めての訪問であったH嬢こと畑中幸子より少し長ずるところがあるだけに、現地語での会話も出来、それだけ話題も豊富であったようです。
 文庫版206頁17行め~207頁8行め、全集240頁上段11~19行め(読点全て全角)、【11月19日追記】①初版(ポケット・ライブラリ)と②新装版の位置を「\」で追加した(読点全て全角)。236頁7~16行め。

 この幽霊という言葉はアイツという語を使った\そうであ|る。昔ポリネシアにいた数多の自然神、\/【206】人文神には、すべ|てアイツがあった。これは神\/の権化、あるいは使者という|ことらしい。ター/ナー\という牧師によると、アイツは鳥獣|魚介、草/であ\ろうが虫であろうが、自然現象にまでなん/に|でも\宿る。これだけ沢山のアイツにとりかこ/まれては\たま|ったものではない。夜は殊*2におそ/ろしかっ\た。ゴーガン時|代でも、タヒチ人は夜/の闇*3の中に\決して出ていこうとはし|なかった。


 「ターナーという牧師」は、スコットランド出身の宣教師 George Turner(1818~1891.5.19)でしょう。

 “Nineteen Years in Polynesia: Missionary Life, Travels and Researches in the Islands of the Pacific”(1861)と "Samoa A Hundred Years Ago and Long Before”(1884)の著書があります。(以下続稿)

*1:文庫版ルビ「か」。

*2:文庫版ルビ「こと」。

*3:文庫版ルビ「やみ」。