瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

岩佐嘉親『南海の楽園』(2)

北杜夫『南太平洋ひるね旅』との関連(1)及び岩佐氏の略歴
 昨日の続き。
 北杜夫『南太平洋ひるね旅』にて、西サモアの首都アピアで会った「呉図書館のI氏」が岩佐嘉親であることは間違いありません*1。しかし、確証がある訳ではありませんから、何か記述があればと思ったのだけれども、やはり「H嬢」こと畑中幸子同様、北氏に会ったことを、著書の中では何ともしていないらしいのです。
 しかしながら手懸りはあって、『南太平洋ひるね旅』に「I氏」の話として紹介されているのと同じ話が、本書(泰流選書『南太平洋の楽園』)にも出ているのです。すなわち、11月4日付「赤いマント(297)」に引いた「写真の現像を見せて土人をおどかした話」と、11月5日付「赤いマント(298)」に引いた「現地人巡査の証言」の2話です。
 ところで、岩佐氏についてですが、東京都立川市の銀細工職人の店・造屋(いたるや)代表取締役・村上造のブログ「(旧)ITALU-YA店長ブログ」の、2014年08月23日付「岩佐嘉親氏 ~ソロモン諸島 南国の島々を研究した先駆者~」が詳細です。村上氏は岩佐氏の生前から、2008年08月30日付「おばあちゃんの彫金道具」、2008年09月18日付「おばあちゃんの彫金道具 PART2」、2008年10月17日付「おばあちゃんの彫金道具 PART3 岩佐嘉親さんの本」にあるように岩佐寿美夫人と交流がありました。
 伝記としては『旅行記憶─岩佐嘉親先生捐贈南太平洋文物特展專刊』(民国105年2月・新北市立十三行博物館・38頁)の3~5頁「誰是岩佐先生」がやや詳しい略歴です。
 さて、ここで『南太平洋ひるね旅』に見える「I氏」の話が出ている、本書(泰流選書『南太平洋の楽園』)の135~148頁、7章め「南海の幽霊奇談」を見て置きましょう。
 この章は3節に分かれております。
 136~140頁3行め、1節め「生きている幽霊(サモア」が「写真の現像を見せて土人をおどかした話」に対応しております。
 140頁4行め~144頁8行め、2節め「南太平洋の怪談」は、1項め「女幽霊テレサ」と題した方が良かったのではないかと思われます。1項めは140頁5行め~141頁6行め。141頁7行め~142頁9行め、2項め「使者白犬のたたり」、142頁10行め~144頁8行め、3項め「ツツイラ放送局の怪」の、題となっている東サモアアメリカ領)のツツイラ放送局の怪異は「一九六二年一月」すなわち北氏がサモアにやって来た同じ月の、少し前に実際に起こったと東・西サモアで信じられていた噂話です。北氏は当時この話をドクター・ハンのところで岩佐氏から聞いたかどうだか。
 144頁9行め~148頁14行め、3節め「タウティラ山の探検(タヒチ」は、「現地人巡査の証言」に対応しております。
 それでは次回、細かく確認して行くこととします。(以下続稿)

*1:①②204頁8行め③178頁4行め④225頁上段14~15行め「西サモアで/会った呉図書館のI氏によると、‥‥(ルビ③「くれ」)」として、岩佐氏に教えられたサモア語の知識が援用されています。