・銀河テレビ小説「たけしくんハイ!」シナリオとの異同(13)
昨日の続き。
・第7回(2)古田③
古田(綾田俊樹)の身の上話は第6回の最後から第7回の冒頭に語られている。
まづ、第6回から見て置こう。真利子(木の実ナナ)に呼ばれて帰って来た竹次郎(林隆三)と14年振りに再会した古田は、『シナリオ』では87頁上段9~11行め、
竹次郎「元気そうじゃねえか。」
古 田「ああ、おかげさんで、シベリヤに持ってか/ れてね、帰って来たのが二十七年だよ。」
と言うのだがTVドラマでは「二十八年だよ」と言っている。1年ズラしたのは何か理由があるのだろうか。
ところで、この直前、真利子に古田の来訪を告げられたとき、85頁下段14行め、
竹次郎「古田? 寅か?(聞くなりクルッと廻れ右。)」
と言っていることが注意される。TVドラマでは1月3日付(06)に示したように第6回から第8回まで一貫して「古田寅之助」とクレジットされており、1月7日付(10)に見た、第2回の「尋ね人の時間」でも「古田寅之助さん」と読み上げられていたが、『シナリオ』の「尋ね人の時間」では「古田浩二さん」だったのである。
そうすると布勢博一執筆の『シナリオ』段階では当初「古田浩二」だったのが、何故か本人を登場させるに当たって「古田寅之助」と改名(?)させてしまい、撮影に際して現場で矛盾に気付いて第2回の台本も「古田寅之助」に改めたが、『シナリオ』は「古田浩二さん」が訂正されぬままになってしまったようだ。――このような過程を窺わせる痕跡は私なぞには興味深い。もちろん『シナリオ』出版に際して統一するべきだったと思うけれども。
それはともかく、シベリヤ帰りであることを伝えるとすぐに、古田は「ずっと気になってた」と言って「三留さん」の消息を聞き出そうとする。「三月十日の大空襲で亡くなったって聞いたけどなあ。」と曖昧に答える竹次郎。――西野家の所在地も、同じようにして突き止めたのであろう。
そして第7回、酒を酌み交わしながら、息子たちについて問われるままに、例によって竹次郎はたけしに英一郎の通っている大学は「どこだっけ」と尋ねるなどして(自慢げに)答え、それから『シナリオ』89頁下段12~17行め、
菊 「お宅は? おかみさん、どうなさいました?」
古 田「――。それがね……二十五年に死んだそうで/ すよ。」
真利子「あらァ。」
古 田「シベリヤから帰った時は、もう白木の箱で/ ……。」
この年はTVドラマでも同じだったと思う。
詳しくは分からないが、恐らく20代後半の昭和16年(1941)2月に支那事変(日中戦争)に出征し、恐らく1度も帰還することなく、終戦時には満洲にいてそのままシベリア抑留、昭和25年(1950)にやや年下として30代半ばの妻が死んだことも知らず、子供はいないらしいから昭和27年(1952)もしくは昭和28年(1953)に帰国したときには、遠縁にでも預けられていた白木の箱があるばかりだったのだろう。――本当にこの通りだったのか、古田が喋っているだけだから実は分からない。この通りだったとしたら、過酷な人生である。だからこそ、この後の展開の不条理さがやり切れない。出征していた12年間、そして帰国して約2年、古田はどんな経験を積んで、元の職人仲間に対する理不尽な復讐(?)を計画実行するに至ったのだろうか。(以下続稿)