瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

小沢昭一『裏みちの花』(1)

①単行本文藝春秋・282頁・四六判上製本

・一九八九年八月三十日   第一刷・定価1262円
・一九八九年八月 三 十 日  第一刷・一九九〇年九月二十五日  第三刷・定価1262円
 カバーは第一刷と第三刷で同じ。異同は奥付の第三刷発行日の1行追加、最後の5頁の「文藝春秋刊」の目録(1頁2点)は同じ。
②文春文庫(1996年10月10日 第1刷・定価437円・292頁) 単行本との大きな違いは最後、287~292頁、山藤章二「解説」の追加。
 ざっと内容を比較して置く。
 1章め①7~29頁②9~31頁「幸せは……」11篇。
 2章め①31~53頁②33~54頁「想い出の歌」8篇。
 3章め①55~91頁②55~92頁「砂が鳴る、歌う、奏でる」7篇。
 4章め①93~153頁②93~153頁「「遊びは芸のコヤシ」か」12篇。
 5章め①155~219頁②155~220頁「裏みちの花」16篇。
 6章め①221~249頁②221~252頁「東京やなぎ句会句友録」12篇。
 7章め①251~282頁②253~286頁「語りて語り尽せず」は全て①252~282頁8行め②254~286頁5行め「対談安田武氏/――何が変ったか」、末尾に下詰めで小さく「(「世界」一九八五年十二月号)」とある、安田武(1922.11.14~1986.10.15)晩年の対談である。
 これを読んでいて思い出したのは、――女子高の講師をしていたとき、講師室で隣の席だった社会科の女性講師*1が、物が積み上がっている私の机を見て、伯父さん(叔父さんかも知れない)の家を思い出すと言う。伯父さんて誰ですかと言うと、安田武だと言う。知らないと言うと、私は博識だと思われていた(!)ので随分驚かれたのである。
 この、一回り上の女性講師は自分の専門分野について自主講座みたいなことを立ち上げようとして、教科や管理職に話を通し、最後に対象学年が乗ってくれれば実現する、と云うところまで来て、対象学年の担任の一部から(全く不合理な感情的な)反対が出て潰れてしまったことで、外部にそうした専門知識を活かせる場を求めて、大学の非常勤講師として採用になり、そこで認められて今や教授兼センター長である。全く勿体ないことをしたものだ。私は、女子高講師をしながら博士論文を提出し、その後も論文らしきものを書いていたから、女子高の講師室では一目置かれていたのだけれども、文学部や国文学界に望みを持っていないので女子高を辞めさせられた後も何にもなっていない。――この対談の安田氏の発言の中(①278頁4~5行め)に「‥‥。おまけに高校全入運動などという。学校教育だけが人間教育の場ではないんだ、ということがどうしてもわからぬらしい。」とあるのに痛く共鳴してしまう自分がいる。女子高以前に講師をしていた共学高・男子高で、本当に、つくづく、もともと選良教育のプログラムだったはずの高校のカリキュラムに適さない生徒が少なくないことを実感させられ、彼らは高校なんかに来なくても構わないように社会が変わって行くべきではないか、と思ったものだが、実態はそうではなくて、さらにその上の大学にまで、学科試験を課さずに入学させるような入試が横行していることに驚愕させられたのだった。これでは教育費が嵩むばかりで少子化の一因にもなるだろうし、専門学校に毛の生えたような大学なぞ、専門学校のままにして置いた方が良いのではないか、と思っていたのだが、大学入試センター試験の改悪を見ても判るように、今や、いよいよ排除されるべきは、選良教育の名残のカリキュラムの方なのであった。程なく、漢文に続いて古文も滅びるであろう。
 それでも私は女子高で気持ち良く勤めていたのは、戦前の高等女学校の名残の長閑な、進学実績・受験対策に齷齪しない空気が流れていたからで、しかし、進学実績を上げたがった一派の意見が通って、そこから迷走を始めた結果、進学実績は上がらず妙なところがどんどん窮屈になっていき、そんな中で何人か、安田武の姪の社会科講師を始め有為な人材(私も一応この中に入れて置こう)が他に去り、最終的に雇い止めが導入され、そして誰もいなくなったのである。

*1:6月18日追記】この人のことは2018年10月31日付「校舎屋上の焼身自殺(11)」に少し触れたことがあった。