瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

杉村恒『明治を伝えた手』(7)

 昨日の続きで、解説「職人の世界」の4章め、188頁3行め~195頁「〝戦場の村〟に残る伝統工芸」及び5章め、196~200頁10行め「〝カメラの世界〟がとらえたこと」の内容を簡単に確認して置こう。
 4章めは南ベトナムでの取材を述べたもので、時期が明示されていないがここ数年の取材のようである。全頁を使った大きな写真で紹介されているので、下に添えてあるキャプションを抜いて置こう。
・190頁「漆塗り象牙細工簞笥をつくるトン・タク・ダム氏」
・192頁「ビエンホワの陶器を制作中のグエン・ヴァン・トラム氏」
・193頁「ツダ・モットの木工 グエン・タン・レ氏」
・194頁「銀彫刻箱を刻むグエン・ヴァン・ルウ氏」
・195頁「漆屏風をつくるグエン・ヴァン・ミン氏」
 5章めは随筆と云った趣で、1節め、196頁2行め~197頁7行め「ジム・クラークとの出会い」は事故死したF1ドライバー Jim Clark(1936.3.4~1968.4.7)来日時の思い出を述べている。2節め、197頁8行め~198頁6行め「娘の手」は、日本の電機メーカーで家電製品の組立てに従事する娘達の手の器用な指先について。3節め、198頁7行め~「拝啓 東京都知事様/東京都無形文化財と明治百年記念行事」は美濃部都知事(1967.4.23~1979.4.22)宛に、無形文化財に対する都の姿勢を糺したもの。
 この節はもう少し詳しく見て置こう。――東京都が伝統工芸を文化財に指定したのは、198頁10~11行め「技芸(工芸技術)として昭和四十二年三月三十一日に、組み紐、紐結びで川島信氏氏、多摩結城(紋織御召)菅沼政蔵/氏、村山大島紬(板締絹絣織)村山織物協同組合、理事長新井義美氏の三つ」が最初であるが、12行め「年金は全然出ない」と云い、199頁17~18行め「認定書/をあげる時に、都庁まで足を運ばせて電車賃も払」わなかった云うのに、1行め「昭和四十三年八月から十月にかけて、東京都では明治百年記念祭なるものを行なった」ことに当時としては10~11行め「かなりの出費をし」たことに対して疑問の眼を向け、17行め「生きた伝統を今日に伝えている人達」とりわけ200頁3行め「都技芸に指定した人達に対して当然の例を尽くすべきであろう」と、都の態度を批判する。そして都知事に7~8行め「都で指定した無形文化財、川島信房氏の作品(グラビア一〇六ページ―一〇九ページ)」を「写真ででも良いから見ていただきたい。」と訴えるのである。5月16日付(2)に仮に附した番号では【53】と【54】。
 本当に大事なところに手当せずに余計な金儲けに予算をじゃぶじゃぶ使っていると云うのは、何だか現在進行している事態にも当て嵌まるようだが、それはさておき、明治百年記念祭の記念行事として行われたパレードについて、199頁7~8行め「例えばパレードにしても私が撮影して都に紹介した【61】定斎屋の臼井繁弘氏、【63】魚屋の田辺福吉氏、【59】新内流しの富士松鶴二郎氏、【62】羅宇屋の中島留四郎氏、【6】飴細工の/篠木奏一氏の人達がパレードに加わったのだが、*1」とあって、杉村氏はパレードの人選に助言する立場にあったらしい。やはり、雑誌等で紹介する機会があったのであろう。(以下続稿)

*1:もちろん原文に番号はないので、5月16日付(2)にて検出しやすくするために挿入した。