瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

白馬岳の雪女(05)

 昨日の続き。
 遠田勝が『〈転生〉する物語――小泉八雲「怪談」の世界刊行当時のままに、大島廣志の論文「「雪おんな」伝承論」や、その他の民俗学者・国文学者の論文に気付いていない、と云う前提で、取り敢えず検討を進めてしまおうと思ったのだが、もう少し「辺見じゅん「十六人谷」伝説と「雪女」―「人に息を吹きかけ殺す」モチーフと民話の語りにおける伝統の創出」の内容が分からないものか、と思って検索してみたところ、2012~2014年度に160万円の交付を受けた研究課題「オリエンタリズムと近・現代における日本の「伝統的」物語の創出」の平成27年(2015)5月7日現在の「科学研究費助成事業 研究成果報告書」がヒットした。神戸大学教授遠田勝が「研究代表者」になっているが、共同研究者の名もないので単独での研究課題なのだろう。
 「研究成果の概要」には次のようにある。

辺見じゅん『十六人谷』伝説と『雪女』」他二編の論文とシンポジウムでの発表等により/、オリエンタリズムと西洋ロマン主義の産物である「雪女」が、日本で民話化されていく過程で、周辺民話の「雪女」/化、すなわち西洋ロマンスへの書き換えがあったこと等を論証し、それら事実から民話・伝説の近代の語り手が、伝統/的物語の守護者・伝承者ではなく、さまざまな意図や感情のもとで、物語を自由に創造・改編する作家であったことを/指摘し、オリエンタリズムと日本の「伝統的」物語の創出の関係ついて論証した


 少々末尾がおかしいが原文のママである。続く「1.研究開始当初の背景」と「2.研究の目的」そして「3.研究の方法」については、関連するところもあるが必要があれば追って検討することとして、今回は「4.研究成果」の前半を見て置こう。まづ3段落めまでを見て置こう。

 近代日本のさまざまな伝説・民話・物語に/ついての関連資料の収集を行い、その分析成/果として、平成24年に「辺見じゅん『十六/人谷』伝説と、『雪女』――『人に息を吹き/かけ殺す』モチーフと民話の語りにおける伝/統の創出(その一)』(神戸大学『近代』一〇/七号)に発表した。
 また同年12月15日、富山大学において/開催されたシンポジウム「小泉八雲の新しい/地平:最近のラフカディオ・ハーン研究を/めぐって」において「富山の『十六人谷』伝/説(辺見じゅん)と『雪女』――ハーンと日/本の民話」としてハーン研究者ならびに富山/の一般聴衆にむけ成果を報告した。
 その時の議論や批判をふまえて、翌平成2/5年、「辺見じゅん『十六人谷』伝説と、『雪/女』――『人に息を吹きかけ殺す』モチーフ/と民話の語りにおける伝統の創出(その二)』/(神戸大学『近代』一〇九)を発表した。


 このうち、シンポジウムの内容については、一昨年秋に検索した際に次のブログ記事がヒットしていた。すなわち、kurekami のブログ「山川旅人日記」の2012年12月16日「小泉八雲」に、ヘルン文庫以外「富山県とあまり関係ないだろうと思ってい」たハーンについて「遠田勝(神戸大学)さんの『富山の「十六人谷」伝説(辺見じゅん)と「雪女」』という発表」があると云うので聞きに行ったらしい kurekami 氏が、

今日の地元新聞では「(小泉八雲の)『雪おんな』に感銘を受けた辺見さんが、ある種のオマージュとして執筆したのではないか」という記事になっていました。しかし、報告要旨によれば・・・
①ハーンは「雪女」を創作した。②それをもとに新潟県の青木純二が白馬岳の口碑伝説のように偽装して作り変え、話を信濃側に広めた。③戦後、松谷みよ子がハーンを直接参照して安曇野の伝説として語り直した。④雪の降るほとんどの地方に松谷版を下敷きにした民話が作られ、富山の「十六人谷」伝説もその一つである。⑤1950年代~70年代に日本を席巻した民話ブームを再考し、ハーンの評価、影響力について考えよう。

と、新聞記事と実際の発表内容の齟齬について報告していたので、何となく分かっていた。
 ついでに今回気が付いた、富山大学附属図書館の Tweet も貼付して置こう。


 平成24年(2012)12月15日は土曜日なので水曜日としているのが奇妙だが、それはともかく、この要約から、遠田氏の報告の力点は明らかであろう。
 それはともかく、今回、やはり一昨年秋には尋ね当らなかった「科学研究費助成事業 研究成果報告書」に逢着したことで、論文も含めもう少々内容が分かって来たのである。いや、かなり問題のある内容らしいことが分かって来たのである。長くなるが4~7段落めを抜いて置こう。

 この三篇の発表により明らかになったの/は、富山県黒部地方を代表する民話・伝説と/思われていた十六人谷伝説の複雑な成立過/程である。この伝説は、元々は富山藩士野崎/雅明が文化一二年(一八一五年)頃に書き著/した『肯搆泉達録』の「黒部山中の事」など/に見える、山に入った杣が、神のお告げを無/視して樹木を切り倒したために、皆殺しにな/るという、山の禁忌と懲罰の素朴な話であっ/たのが、昭和初期に至り、再話作家や紀行文/作家により、美女が現れ、木こりの舌を抜く/という煽情的な形の物語に書き改められ、さ/らに富山出身の作家で民話研究者の辺見じ/ゅんが、ハーンの「雪女」を大幅に取り入れ、/木こりの弥助が、仲間を殺した樹霊の女に恋/して、その樹霊からここで見たことを話して/はならないと命じられるが、その樹霊が何年/もしてから美しい娘の姿で訪れると、弥助は/ついに話すなという禁忌を破り、命を落とす/という、典型的な、伝説の「ロマンス化」が/行われている。
 そしてこの「雪女」をもとに新たに創作さ/れた十六人谷伝説が、一九七〇年代半ばから/一九九〇年代の半ばまで、ほぼ二十年にわた/り、TBS 系列で放送された人気番組「まんが/日本昔ばなし」でアニメ化され、人気を博し/たことで、富山伝説の定番となり、後に出版/される伝説集などにも、この辺見版が採用さ/れていくことになる。
 このようにハーンが創作した西洋的ロマ/ンスである「雪女」が日本的に民話化されて/いく過程で、ほぼ同時的に、隣接する民話の/「雪女」化、すなわち西洋的なロマンスへの/書き変えも行われていたのである。この「雪/女」の民話化と民話の「雪女」化が示すもの/は、民話・伝説の語り手というものが、伝統/的な語りの守護者・伝承者ではなく、さまざ/まな意図や感情のもとで、伝統的物語を自由/に創造・改編する作家であるということであ/る。
 しかし、それにもかかわらず、そうして創/造された物語が、その独自の工夫や創造性を/賞賛されることもなく、かといって逆に伝承/の破壊であるとして批判されることもなく、/その「民話」という形式のためだけに(いや、/その形式ですら明確に定義されないままに)、/「無名の人々が口承で伝えた」古い日本の/「遺産」「記憶」であるとして、小さな村や/地方の名前を冠され、記録・出版されていっ/たのである。これが、一九六〇年代から八〇/年代の日本を華やかに彩った「民話の時代」/の実態だったのである。伝統的説話として文/字に書き留められ、無批判に出版されていっ/たこれら「口承」「民話」を、新たに批判的/に検討しなおし、その歴史性に疑問符をつけ/るとともに、語り手たちのさまざまな工夫と/創造に正当な評価を与えること、この二点の/作業の必要性を代表者は強く主張した。


 色々と註釈を加えたいところがあるのだが、それは次回以降に果たすこととしよう。――取り敢えずこれを読んで、遠田氏が大島論文を始めとする民俗学者・国文学者の論文には気付いていないことが、はっきりした。もちろん2015年時点の話で、これ以降に気付いているかも知れないが、当面の「白馬岳の雪女」検討に際し、神戸大学近代発行会「近代」をわざわざ見に行かなくても(もちろん見た方が良いには違いないが)良かろうと思ったのである。(以下続稿)