瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

白馬岳の雪女(13)

・大島廣志の「雪女」(1)
 8月4日付(08)に、日本の伝説24『富山の伝説』の前半、大島広志・石崎直義「富山伝説散歩」の2章め「黒部」を担当したのは大島氏だったらしいと見当を付けたのだが、4節め「黒部峡谷の怪異譚」の最後(44頁上段6行め~下段12行め)は次の話である。

 黒部で有名な話には雪女がある。ある猟師の/親子が白馬岳のふもとに猟に出かけた。猛吹雪*1/に出会ったふたりは急いで山小屋にのがれた。/疲れはてたふたりはいつの間にかうとうとと寝/入ってしまった。むすこが目をさまして隣を見/ると美しい女が父親の顔に白い息を吹きかけて/いる。女はふりかえり、「おまえには何もしな/いからこのことは誰にも言うな、もし話したら/おまえの命はもらう」と言って雪の中へ消えて/いった。見ると父親は息絶えていた。何年かた/った吹雪の日、むすこの家に美しい女が一夜の/宿を乞うた。女はむすこの家に何日も滞*2り、そ/のまま息子の嫁となった。やがてふたりには子/【上】どもができた。ある年の冬、むすこは妻の横顔/に山小屋の女を思い出した。思わず恐ろしかっ/た山小屋の出来事を妻に語った。妻はにわかに/顔色を変えて立ち上がった。「あのときのこと/を話したからには命をもらうところだが、子ど/ものために殺せない。この子を大事に育ててく/ださい」と言って雪の中に消え、ふたたび姿を/見せることはなかったという。
 十六人谷のきこりの話と相似る「雪女」はラ/フカディオ・ハーンの『怪談』にも収められて/いる。もっとも、雪女の出た場所は別で、ハー/ンは東京の山奥での話を基にしている。


 7月21日付(02)に、昭和50年代から白馬岳にラフカディオ・ハーン「雪女」にそっくりな話が伝承(?)されていることが問題となってきた、として、牧野陽子が今野圓輔の著書と中田賢次の論考を挙げていることに触れた。中田氏はどうも昭和51年(1976)にはこの問題を取り上げていたらしい。そうすると昭和52年(1977)にこれに触れた大島氏も、ごく初期の例と云うことになりそうだ。
 さて、ここの大島氏の記述は小柴直矩『越中伝説集』に拠っているらしい。私はまだ見ていないが「「雪おんな」伝承論」に拠ると『越中伝説集』では父親は「茂作」で息子は「箕吉」、すなわちラフカディオ・ハーン「雪女」そのままなのである。だから名前を伏せたのは――「黒部で有名な話」なので取り上げることとしたものの、人名をそのまま書いたのでは、勘の良い読者にはハーンの「雪女」を移入しただけの話をうっかり載せてしまったのではないか、と、見識を疑われ兼ねない。実は、先行する日本の伝説3『信州の伝説』は、恐らく浅川欽一(1918~1992.9.4)の見識によって白馬岳の雪女を無視しているのである。大島氏は載せることにしたものの、名前のみ(伝説に対する疑念を抱かれないよう)敢えて伏せたのであろう。
 それよりも重要なのは、大島氏がここで「雪女」と「十六人谷」の類似を指摘していることである。辺見氏がこの大島氏の示唆に促されて辺見版「十六人谷」を書いたのか、それとも全く別に両者の類似に気付いて組み合わせたのか、それは分からないが、大島氏はこの気付きを温め続け、「世間話研究会」HPの「過去の例会」に拠ると、10年後の昭和62年(1987)4月25日に渋谷区の氷川区民会館で開かれた世間話研究会の例会で「小泉八雲の『雪おんな』と雪女伝承」として発表しており、22年後の平成11年(1999)11月には「國學院雜誌」第99巻第11号(通巻1099号・伝承文学特集)103~113頁に「「雪おんな」伝承論」として論文化している。そしてこれを『富山の伝説』から数えると丁度30年後の平成19年(2007)に、自身の論文集『民話――伝承の現実』の巻頭に収録した訳である。
 ところが、この大島論文、遠田勝や、論文中で批判されている牧野陽子を始めとして、國學院系でない研究者には余り気付かれていないらしい。初出が「國學院雜誌」と云う国文学や民俗学の専門の雑誌ではないところから、そういった辺りを扱う目録類から漏れてしまったのだろうか。或いは「雪女」ではなく「雪おんな」としているところから、検索してもヒットせず見過ごされてしまった、などと云ったこともあったかも知れない。――しかし、何故「YUKI-ONNA」を「雪女」としたり「雪おんな」としたりするのだろう。混乱の元になりかねないから今更ながら統一して欲しい。
 それはともかく、『富山の伝説』から40年後の平成29年(2017)には、「フジパン-民話の部屋」に 2017/08/23「十六人谷(じゅうろくにんだに) 【富山県】」が掲載されたが、「再話 大島 廣志/整理・加筆 六渡 邦昭/語り 平辻 朝子/提供 フジパン株式会社」なのである。実に40年にわたって、大島氏は黒部の十六人谷に関わり続けていることになる。――内容については、他の文献を一通り見る機会を待って、検討することとしよう。(以下続稿)

*1:ルビ「ふ ぶ き」。

*2:ルビ「とどま」。