瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

白馬岳の雪女(17)

遠田勝『〈転生〉する物語』(01)はじめに①
 それでは、差当り「十六人谷」についての確認が終わったところで、今度こそ7月31日付(04)の続きで、8月1日付(05)に保留にした遠田勝『〈転生〉する物語――小泉八雲「怪談」の世界の内容を検討して行こう。
 目の覚めるような切り口で、鮮やかに批判を展開出来れば良いのだけれども、十分資料を揃えられない状態で、構成を工夫する余裕がないので、頭から順に関連箇所を取り上げて行くこととしよう。その方が間違いが少ないかも知れない。
 本書については2019年10月18日付「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(133)」に見たように、「第一部 旅するモチーフ」の全編を成す「小泉八雲と日本の民話――「雪女」を中心に」が、白馬岳の雪女を扱っているのだけれども、3~9頁「はじめに」にも、思わせ振りな概略が述べてある。3頁2行め~4頁11行め、

 本書には今回、この本のために書き下ろした第一部に加えて、ハーンの『怪談』その他、物語に/ついての五編の論文を収めるが、その内容のあらましと執筆の意図を解説して序文にかえたい。
 第一部「旅するモチーフ」においた「小泉八雲と日本の民話――「雪女」を中心に」は、ひとこ/とでいえば、ハーンの代表作である「雪女」の出典と伝播についての考証である。
 ハーンが残した『怪談』のなかで、日本人にもっとも愛され、親しまれたのは、「耳なし芳一」/と「雪女」であろう。しかし、「耳なし芳一」についてはハーンの依拠した原話が存在し、それが/どのように加工されて、あの名作が誕生したのか、おおよその事情がわかるのに対して、もうひと/つの傑作「雪女」のほうは、確たる原拠が知られていない。したがって、ハーンがどのような素材/をもとに、あの美しく悲しい物語を編みあげたのか、その具体的な手順や、個々の設定・描写の狙/いなどが想像できない。あの物語のどこからどこまでをハーンの創造力が作りあげているのか、そ/れがわからないのである。いや、そもそも「雪女」という話は、日本古来の物語なのだろうか? /【3】そんな基本的な質問にさえ、ハーン研究者の答えは分裂している。
 いや、実は出典についての確実な証言はある。つまり、ハーン自身が『怪談』の序文で、この物/語の出典について長々と語っているのである。

「雪女」という不思議な話は、武蔵の国西多摩郡調布の百姓が、自分の郷里につたわる伝説と/して。わたしに聞かせてくれた話である。この話がこれまで日本語で書き留められたことがあ/るのかどうか、わたしは知らない。しかし、この話に記録されている異様な信仰は、確かに、/日本各地に、さまざまな珍しい形で、実在したものである。

 この『怪談』の序文の三分の一をしめる説明で、ハーンは一体なにを言おうとしているのだろ/う? 「雪女」の出典が口碑であるなら、調布の百姓に聞いた話であるという、はじめの一行だけ/でよく、文字に書き留められてはいないかもしれないなどと、気をまわす必要はないし、ましてや、/その話のなかにある信仰は確かに実在したものであると念押しをする必要もないのではなかろうか。

 序文の引用は2字下げで前後1行分ずつ空けている。参考までに原文の全文を掲出して置こう。

Most of the following Kwaidan, or Weird Tales, have been taken from old Japanese books,—such as the Yaso-Kidan, Bukkyo-Hyakkwa-Zensho, Kokon-Chomonshu, Tama-Sudare, and Hyaku-Monogatari. Some of the stories may have had a Chinese origin: the very remarkable "Dream of Akinosuke," for example, is certainly from a Chinese source. But the story-teller, in every case, has so recolored and reshaped his borrowing as to naturalize it... One queer tale, "Yuki-Onna," was told me by a farmer of Chofu, Nishitama-gori, in Musashi province, as a legend of his native village. Whether it has ever been written in Japanese I do not know; but the extraordinary belief which it records used certainly to exist in most parts of Japan, and in many curious forms... The incident of "Riki-Baka" was a personal experience; and I wrote it down almost exactly as it happened, changing only a family-name mentioned by the Japanese narrator.

L.H.

Tokyo, Japan, January 20th, 1904.


 強調したところが遠田氏が引用している「雪女」に関する記述である。
 しかし、全文を読むと、そんな深読みをする必要はないのではないか、と云う気もするのである。『怪談』は日本の話を自らの感性と理解力に基づいてリライト(再話)した作品集で、種本が『夜窓鬼談』『仏教百科全書』『古今著聞集』『玉すだれ』『百物語』であることを明かしている。

 遠田氏も1話だけ訳者として参加している講談社学術文庫930「小泉八雲名作選集」の平川祐弘 編『怪談・奇談』(1990年6月10日 第1刷発行・1993年2月22日第7刷発行・定価1068円・468頁)にて、高岡法科大学教授の布村弘(1935~1998)が担当した328~356頁「解説」に典拠について説明されており、357~462頁「原拠」に、富山大学ヘルン文庫蔵の小泉八雲旧蔵本に拠るその原文が収録されている。序文に挙がっていない『臥遊奇談』『怪物輿論』『新撰百物語』「文藝倶樂部」の利用も指摘されている。序文にこれらを挙げなかったことに理由があるのかどうかは分からない。他に柴田宵曲『妖異博物館』が山崎美成『世事百談』の利用を指摘している(藪野直史のブログ「Blog鬼火~日々の迷走2017/02/28「柴田宵曲 妖異博物館 「執念の轉化」」に拠る)。『世事百談』の版本もヘルン文庫に所蔵されている。 尤も、ハーンはこれらの本を読んだのではなく、講談社学術文庫1037、平川祐弘 編『小泉八雲 回想と研究』(1992年8月10日  第1刷発行・定価971円・443頁)26~76頁に再録されている小泉節子「思ひ出の記」が回想しているように、セツ夫人に怪談を繰り返し話させて、イメージを膨らませて書いて行ったものらしい。尤も、最近研究が進んで、学識のないセツ夫人の役割が限定的であったことが明らかにされている。私にはその議論をするまでの知識も準備もないのでそこには踏み込まない。
 とにかく、この序文の解釈としては、『怪談』に収録した殆どの話は書物に由来するのだが "Dream of Akinosuke" と "Yuki-Onna" そして "Riki-Baka" の3篇はそうではないのでわざわざ由来を記した、と云うことで私は良さそうに思う。"Riki-Baka" は松谷みよ子『現代民話考Ⅴ』にも類話が少なからず報告されている、近代になってからもしばしば日本各地で実際に起こっていたとされる怪異談である。しかし「日本」古来の「異様な信仰」に基づく昔話のように見える "Yuki-Onna" については、他の話と同様、当然書物に「書き留められ」ていても良さそうなのに類話が見付からないので、そのことを敢えて断った、ようにも読めるのである。
 すなわち、遠田氏は骨子になる話があったとしても肝腎な部分を創作したので、わざわざ序文に断った、と見ているようなのだけれども、逆に、良く出来た話なのに何故かこれまで「日本語で書き留められたことが」ないらしいので、創作と疑われないようわざわざ序文に断った、ようにも読めるのである。(以下続稿)