瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

白馬岳の雪女(10)

辺見じゅん「十六人谷」(3)まんが日本昔ばなし
 昨日の続き。
 遠田勝の「科学研究費助成事業 研究成果報告書」に見える「まんが日本昔ばなし」で「十六人谷」が取り上げられたのは、「まんが日本昔ばなし〜データベース〜 ­⁃ 十六人谷」に拠ると昭和58年(1983)12月3日放送回である。当時小学6年生の私は見ていたかも知れないが、記憶にない。
 そこで、今回初めて某巨大動画サイトで「十六人谷」を視聴してみた。
 この回は、ネット上で「検索してはいけない言葉」とか「トラウマ回」と位置付けられているらしい。全くの偶然なのだが8月4日付(08)を投稿した同じ日に、ホラーミステリ作家の三津田信三が「伝説のアニメ「まんが日本昔ばなし」傑作怪談」を特集した雑誌を tweet で取り上げ「僕が最も怖かった覚えのある作品」として「十六人谷」を挙げていたので、Twitter 上でちょっとした「十六人谷」ブーム(?)が起こっていた。

 タイトルは横組みで上半分に大きく題*1、下半分は丸ゴシック体で、左に「富山の伝説/(角川書店刊)より」、右に「演出●小林 治/文芸●沖島 勲/美術●星野靖高/作画●加藤鏡子」とある。もちろん「富山伝説散歩」ではなく辺見じゅん「十六人谷」に基づいているのである。
 違っているところを確認して置こう。
 弥助(声:常田富士男)が家を訪ねて来ている娘に回顧談をする、それをそのまま語り出しのナレーションとしている。多分、異例の語り出しであろう。
 駄兵衛は弥助と暮らしている山中の小屋に戻って来たとき、後を付けてきたうわばみに襲われ、小屋は粉砕され、駄兵衛は行方不明になる。辺見版ではうわばみの姿は見えず、青臭い匂いだけがする。
 駄兵衛の話が済んだところに、隣家の嫁が食事を持って来る。誰かに話していたはずなのに、屋内には弥助しかいない、そのことを怪しむ描写がある。辺見版の弥助老人は「日がな一日、ぼんやりと庭先から黒部の山々を見ていた」ことになっているから、屋内ではなかったようだ。かつ、隣家の嫁のことは回顧談の前に説明されている。
 そして、駄兵衛の通夜から大酒を呑んで帰って来たとき、独り暮らしの弥助の家に女が入り込んでいる。夢に出て来るのではない。辺見版では駄兵衛の死と山刀は、さらに「おっとろしい」15人の木樵の死の、比較の対象として持ち出されているだけで、関連付けられていなかった。しかしここでは、駄兵衛の死の直後という時期が設定され、さらに後で見るように山刀が木樵たちの死の場面でも役に立つ、と云う風に展開されている。
 さて、女は「聞くところによると、明日は村の衆と山へ入るとのこと、その谷の、柳の木だけは、切ってくれんな」「たのん、たのん」「貴方は心の優しいお方、私の願いを必ず聞いていただけると、思っています。頼みます。頼みますよ」と呉々も頼んで出て行くのだが、辺見版ではただ「この谷の柳の木だけは、切ってくれんな。たのんたのん」とだけである。
 柳を伐る直前に女の姿を見掛けているが、辺見版では、弥助も加わって斧を打ち込み始めたところで、弥助の耳にだけ、夢の中で聞いた女の声に似た「この木、切ってくれんな。たのんたのん」との声が聞こえる。姿は見ていない。
 15人の木樵が舌を抜かれて殺される。弥助だけは女が入って来たときに気付くがそのまま気を失ってしまう。再び気付いたときには女は15人めの口を吸っているところ。顔を上げた女は口から血を流しつつ「あんたに頼めばこんなことにならずに済むと思っていたのに」との恨み言を2回言いながら近付いて来る。弥助は山刀で斬り付けて、山刀を置いて小屋を飛び出し、里に逃げ帰る。従って辺見版のように「言うな」と言われていない。だから冒頭、囲炉裏端で山で猿や狸を70匹獲ったと自慢するのが何とも不自然である。こんな恐怖体験をしたら二度と再び山に入ろうとは思わないだろう。「言うな」と言われたのを守っていたから、その後も山に入り続けていられた、と云うことなのだろうから。
 辺見版は事件から現在までの経過時間を述べていないが、ここでは「これからもう50年も経つが」と云うことになっている。回想に登場する弥助はまだ少年のようで、それを70歳近くになって回想している訳である。そして「少年」の初めて意識した異性――恐ろしくも忘れられない初恋らしいことが、容姿の面からも強く印象付けられる。
 しかし、一部に指摘があるように何で「50年も経」ってから現れたのかが分からない。辺見版ではハーンの「雪女」と同様、誘導尋問風に「言うな」の禁忌を破らせていた。しかしこちらには「言うな」の禁忌はないので、話したから命を取られた、と云うことにはならない。その意味で、辺見版には女の方にも弥助に対する好意があったように思われる。弥助に訴え、弥助だけを助け、そして禁忌からの解放と引き換えに命を取る。「まんが日本昔ばなし」は女が弥助を頼って繰り返し頼み、それが裏切られた恨み言をやはり繰り返し言わせることで、辺見版には感じられなかった(感じるとしても甚だ稀薄だった)復讐色が濃くなっている。そこに辺見版では使われなかった山刀の呪力が絡まされている。
 辺見版は「まんが日本昔ばなし」の原作ではあるけれども、肝腎なところが異なる、更なる改作と云うべきだろう。
 さて、最後、市原悦子は「昔、飛驒山中での話じゃった」と語り納めているが、これは冒頭の常田富士男の語り「黒部のォ渓谷はのォ、飛驒の山を、真二つに割って下っておるんじゃ。流れの源には、夏でも真っ白な険しィい山が、屏風のように立ちはだかっているんじゃ」に対応している。ここは辺見版の冒頭、『富山の伝説』129頁2~3行め、

 黒部峡谷は、北アルプスを二つに割って流れる日本一深い谷である。山々は高く、その険しさは/屏風のように屹立している。*2

を踏まえているが、「北アルプス」と云う呼称が(音で聞くと特に)内容にそぐわないと考えてか正式名称(?)の「飛驒山脈」に置き換えたために生じた誤りらしい。「中部山岳国立公園」の範囲を飛騨山脈北アルプス)の主要部と見做して「環境省」HPの「中部山岳国立公園」概要・計画書で面積を見てみると、合計面積 174,323 ha のうち新潟県が 8,061 ha、富山県が 76,431 ha、長野県が 65,612 ha、岐阜県が 24,219 ha で、立山黒部峡谷を抱える富山県越中)の面積は岐阜県(飛驒)の3倍、上高地のある長野県(信濃)よりも広い。ちなみに新潟県(越後)には蓮華温泉がある。しかしながら、主峰である穗高岳(3190m)や槍ヶ岳(3180m)が長野・岐阜の県境にあることや、海や平野にも恵まれ、何よりも東京や京都という日本の中心から見て向こう側にあると云う立地条件も影響して、越中ではなく他に特徴のない山中の小国・飛驒が、山脈の名称にされてしまったのであろうか*3。しかし『富山の伝説』なのに「飛驒山中」や「飛驒の山」はおかしいので、どうもシナリオを書いた人の旧国名の知識が曖昧であったとしか思えない。県名の『富山の伝説』ではなく旧国名の『越中の伝説』としておれば「飛驒」ではない、くらいのことは気付いただろうか。そう云えば、飛騨山脈周辺地域では、角川書店版『日本の伝説』シリーズは、3『信州の伝説』34『美濃・飛騨の伝説』41『越後の伝説』と、全て旧国名にしている。それを『越中』にしなかったのは、前年に第一法規から石崎直義が刊行した『越中の伝説』に遠慮したのであろうか。――それはともかく、この冒頭の弥助の語り、これを自宅を訪ねてくる娘にしていることにしてしまっては、近代以前にそう遠くから通ってくるはずもないだろうから、弥助は地元住民に分かりきった地理の説明をしているような按配になってしまう。主人公の語りから始めると云う工夫は面白いが、普通に地の文――市原悦子のナレーションにして置けば良かったように思う。(以下続稿)
【追記】穂村サクラのブログ「白梟通信 スイート☆マギカLabo」の2011-07-26「富山の伝説「十六人谷」」は「まんが日本昔ばなし」の典拠として蒐集した日本の伝説24『富山の伝説』を当ブログよりも分かり易く簡潔に紹介、辺見じゅん「十六人谷」を出典資料と特定し、

 出典資料とアニメを比較してみたところ、目立った変更点はなく、ほぼ出典通りの内容でした。
 強いて相違点を挙げるとすれば、十五人の樵を殺害した女性が弥助に向かって「この事は誰にも言うんじゃないよ」と口止めする場面が、「あんたに頼めば、こんな事にならなかったのに……」と恨み事を言いながら迫って来る場面に変わっているくらいです。

と述べている。人によって気になるポイントと云うかハードルの低さが異なるらしい*4。穂村氏は続けて、

 現在、近所の図書館を利用しながら出典書籍とアニメの比較を行っていますが、いろいろと困難が伴い、作業は牛歩の状態となっています……。
 ある程度の量が纏まれば、このブログで出典書籍の詳細と比較結果を紹介したいと考えています。

と述べているのだが、テーマ「まんが日本昔ばなし」の記事は残念ながらこれ1つで、ブログの更新自体、8年前(2013年8月11日)以降為されていない。

*1:振仮名「じゅう ろく にん だに」。

*2:ルビ「/びようぶ・きつりつ」。

*3:「レファレンス協同データベース」に2021年01月23日登録「飛騨山脈の名前の由来は?」神戸図-1548 があるが、いつからこの呼称が定着したのか知りたい。

*4:その要素が(使われ方が違っていても)残っておれば「変わってい」ない、との判断になっているようだ。