・辺見じゅん「十六人谷」(1)
ここで「十六人谷伝説」に関する民俗学者・国文学者の見解を紹介しても良いのだが、そうするとさらに回り道が長くなる。それに本題の「雪女」にも大いに関わって来る問題なので、余りこちらを先回りして進めてしまうと具合が悪い。
そこで、一旦「十六人谷伝説」の確認を切り上げるに当って*1、辺見じゅんの「十六人谷」及び、これを収録している辺見じゅん・大島広志・石崎直義『富山の伝説』について見て置こう。
・日本の伝説24『富山の伝説』昭和52年11月10日 初版発行・角川書店・241頁・B6判並製本
すなわち、前半、本書では7~126頁、大島広志・石崎直義「富山伝説散歩」は、現地を訪ねながら伝説の要旨を多数紹介するスタイルなので、地域ごとの主要な伝説と、その背景にある地形や気候・歴史・信仰などを概観するには便利である。問題は後半で、再話の度合いは各巻の担当者や話の内容によっても区々だと思われるだけに、その検証が厄介である。大抵前半に原話も紹介されているが、ごく短い要約なのでどこまでが再話者に拠る追加なのかは、先行する伝説集に当たらないといけない。
その意味で本書127~236頁、辺見じゅん「富山伝説十五選」には、私が当面の課題としている青木純二『山の傳説 日本アルプス篇』に載る話が幾つか採られており(辺見氏が『山の傳説』に直接就いたのではないにしても)伝説の変容を探る作業の材料として使えそうである。
129~136頁「十六人谷」はその1話め、127頁(頁付なし)「富山伝説十五選」の扉の裏、128頁(頁付なし)下部中央に「插 画 斎 藤 博 之」とあるが、133頁がその挿絵、斎藤博之(1919.5.22~1987.3.8)は表紙と口絵も担当している。口絵については後述しよう。
もちろん「富山伝説散歩」にも27~44頁、2章め「黒部」の4節め、38頁下段~44頁下段「黒部峡谷の怪異譚」に、やはり青木純二『山の傳説 日本アルプス篇』に見える幾つかの話とともに紹介されている。
42頁上段1行め~下段2行め、但し上段の右8行分に「黒部渓谷のトロッコ列車。」の写真があって行数が少なくなっている。
黒薙温泉のさらに奥の北又谷に十六人谷とよ/ばれる所がある。音沢や、朝日町羽入のきこり/くらいしか行かなかったところで、そうとう山/に詳しい人でなければ行くことはできない。
昔、この谷に一六人のきこりとひとりの飯た/きの老人が入り、きこりたちが大きな柳の木を/倒した晩、老人がふと目をさますと、若い女が/小屋の中に立っていた。その女は一六人のきこ/りひとりひとりの寝顔に、ふっと息をかけて立/ち去っていった。翌朝、老人がよく見ると一六/【上】人のきこりたちはひとり残らず死んでいた(一/二九ページ「十六人谷」)。
この章には担当者の註記はない。しかしどうも大島氏の執筆らしい。と云うのは75~92頁、4章め「高岡市とその周辺」の最後にのみ、1行分空けて92頁下段8~19行め、
参考文献 (大島広志)
『越中志徴』(復刻版)森田柿園(昭和四十八年 富山/新聞社)
『越中伝説集』小柴直矩(昭和十五年 富山県郷土史/会)
『越中の伝説』石崎直義(昭和五十一年 第一法規)
『黒部川の自然と文化』野島好二(昭和五十二年 黒/部ライオンズクラブ)
『肯搆泉達録』野崎雅明(昭和四十九年 KNB興産)
『立山風土記の丘』佐伯幸長(昭和四十七年 北日本/出版社)
『伝説とやま』北日本放送(昭和四十六年)
とある。1章め「富山市とその周辺」9~26頁、前述した2章め、3章め「立山」45~74頁、そして5章め、93~126頁「五箇山」にはこのような記述はない。2章めを除いて末尾に十分な余白があるにも関わらず、このような「参考文献」及び担当者の提示が為されていないのである。そして、これが4章めにのみあるのは、4章めまでが大島氏の担当で、流石に「五箇山」を訪ね歩くのは、奥付上の著者紹介に「昭和23年(1948)東京都生まれ。国学院大学文学部卒業。岩倉高等学校講師。‥‥」とあるように東京在住在勤の大島氏には困難だったので、5章めの「五箇山」のみ、正確に云うと五箇山(東礪波郡平村・上平村・利賀村)と礪波平野の南部、東礪波郡庄川町・井波町・井口村・福野町と西礪波郡福光町を合わせた地域*2を、5月3日付「石崎直義 編著『越中の伝説』(8)」に見たように、福光町出身・在住で『富山の民話』や『越中の伝説』そして『秘境・越中五箇山』の著書のある石崎氏に依頼したのであろう。
それはともかく、この「富山伝説散歩」の「十六人谷」は流石に端折り過ぎであるが、辺見じゅんはこの原話を、枠物語(額縁小説)のように仕立てているのである。
フレームになっている設定は「年老いて山へ行けなくなった弥助」という木樵の死をめぐる怪事で、その中で弥助が「血気盛んなころの」回想が語られる。
まづ、同い年でライバルだった駄兵衛が「山刀があるとうわばみに呑まれずにすむ」という「迷信」を笑って山刀を携行しなかったため、ある日、川の対岸で姿の見えないうわばみに追い回された挙句、木から落ちて行方不明になった、という話が披露される。133頁の挿画には、木から真っ逆様に谷底へ落ちていく駄兵衛を対岸から眺める若き日の弥助が描かれている。
ついで「このうわばみよりもっとおっとろしいこと」として「十五人の木樵仲間と黒部の北又谷近くに入った」ときのことが語られるのである。
ここで注意されるのは、生還した弥助も合わせて「十六人」と云うことになっていることである。
以後の展開は、8月3日付(07)に紹介した、野崎雅明『肯搆泉達録』巻之十四ノ3「黒部山中事」に見える類話と変わりない。違うのは、まづ「異形のもの」が「ほっそりした女」になっていること、夢の中で訴えられたことが、『肯搆泉達録』では「此谷の樹を伐る事なかれ」で特定の木を指定したものではなかったのが、「この谷の柳の木だけは、切ってくれんな。たのんたのん」と指定されていることである。――夢を見るのは弥助で、弥助だけが伐るのをやめる。その晩、女が現れて、弥助以外の木樵たちの命を『肯搆泉達録』と同じようにして奪っていく。この辺り、辺見氏の書き振りを見て置こう。134頁16行め~135頁14行め、
夜、小屋にもどって食事をすますと、木樵たちは急に眠気におそわれた。まるで、深い闇の中に/ひき込まれていくように、弥助も眠りに誘われた。ふと、何やら胸苦しくなり、弥助はぼんやり目/をひらいた。【134】
そのとき、小屋の戸がことりとあいた。一人の女が音もなく入って来た。
「だ、だれや」
弥助は叫ぼうとして、声が出なかった。
女は若者の一人の上にかがみ込んだ。顔を寄せ、口をかぐようにした。そして、ひとりまたひと/りと近づき、顔を寄せ、口を吸いとるように重ねた。
「だ、だれや」
弥助は、今一度叫ぼうとした。すると、女は、弥助のほうをじっと見た。皓々とした月光に照ら/された女の顔は透きとおるように白かった。唇はさえざえと朱く濡れていた。女はふっと笑った。/誘い込まれるような美しさだった。*3
女は十五人の木樵に顔を寄せると、弥助に近づいた。|白いしなやかな手で弥助の顔を包んだ。弥/助は恐ろ|しさも忘れた。魂を奪われたようにみつめていた。*4
「今のこと、けっして人に言うてはならんよ。もし、人に言うたら……」
気がついたとき、その姿はかき消えていた。弥助はふたたび、闇の淵にひきずり込まれるように/眠りに落ちた。*5
『肯搆泉達録』或いは『山の傳説』でも、1人だけ伐採に加わらなかった男が目撃者として生還しているが、別にこのような約束はさせられていない。(以下続稿)