昨日の続き。
・遠田勝『〈転生〉する物語』(04)「一」3節め①
本書「一 白馬岳の雪女伝説」の2節め「原「雪女」をめぐる論争」の最後に引かれている、牧野陽子の旧稿「ラフカディオ・ハーン「雪女」について」(「成城大學經濟研究」第105号89~125頁・1989年7月)の「五 過去というタブー」の一節、地方で似た話が採集されているとの指摘に続く部分を引用して置こう*1。薄い灰色は遠田氏が「……」として省略した箇所である。
ハーンの英文著作、特に代表作とされる『怪談』について、以外に重要で見落としてなら|ないのは、それが英/語の授業の教材として、全国の旧制中学などで幅広く使用されてきたと|いうことである。そしてこの事実が、/ハーンの再話作品が「土着して」いく経緯に大きく働|いたとおもわれる。教科書にたびたび編集されたのは、/ハーンが東京大学文学部で教鞭をと|り、弟子たちの多くが英文学者、英語教師となったことも作用しているかも/【119】しれないが、ハ|ーンの文体は高雅でありながら簡潔・明瞭で読みやすく、また一篇の長さが短いために。教|室で/教えるのに好都合なのである。そのハーンの『怪談』を、都会の限られた大学生ではな|く、地方のおおぜいの中/学生が、授業で、また試験のために夜遅く自宅の灯火のもとで読|【250】む。たとえば教育熱心で知られる信州など雪国/のこどもであれば、「雪女」の話に強い印象|を受けたであろう。そしてずっと後になってから雪の降る日に、ふと/思い出し、こんな話を|知っている、と家の祖父母に、幼い弟妹に、近所の友人に話したかもしれない。成長して/親|となれば、「おはなし」をせがむ子供に語って聞かせただろう。このようにして、「雪女」の|読書の記憶が社会/の裾野まで浸透していったのにちがいない。
遠田氏は次の3節め、22~24頁5行め「捏造された「雪女」伝説」で、この牧野氏の想像に反論している。
遠田氏はまづ、村松眞一説と牧野陽子説について、22頁2行め「はじめ、どちらかといえば村松説のほうが有利ではないかと思っていた」とする。私などからすると遠田氏が「有利」と感じている村松説の根拠がそれほどのものとは思えないのだが、これについては追って村松氏が根拠とした文献について検討する際に述べることとしよう。5~8行め、
‥‥。ただ、牧野説も、論拠はしっかりしてい/て、簡単には退けられそうにないので、いつか自分で調べ直して、この論争に決着をつけたいと思っていた。それで今年(二〇一〇年)の夏から、日本各地に伝わる雪女の伝承を集めて、その系統を整理してみた。
と、この「論争に決着をつけたい」と見得を切っている辺りも、牧野氏の新稿にて批判されているのである。
それはともかく、次の段落で遠田氏は結論を述べている。9~16行め、
結果からいえば、わたしのはじめの考えはまちがいで、牧野説のほうが正しかった。白馬岳の雪/女伝説は、まちがいなく、ハーンの「雪女」に由来し、白馬岳の地名がなくても、ハーンによく似/た内容をもつ、雪女の口碑伝説は、その大部分が、ハーンから出たものであろうと、ほぼ確実に立/証できたのである。ただ、その経路は、今回、明らかになった白馬岳系の伝承についていえば、そ/の大本は、中学生らの無邪気な夜話ではなくて、一人のジャーナリストの剽窃、捏造といってもい/いような詐欺的好意だった。わたしを含めて、ハーン研究者の多くは、このつまらない悪戯の、意/想外に大きな余波にだまされていたのである。わたしたちは、民間伝承の記録における、採話者の/誠意をすこし信じすぎていた。
牧野氏の新稿はこの辺り、遠田氏が「ハーン研究者の多く」とか「わたしたちは」とか「多くのハーン研究者」が「だまされていた」とするのに対して、一緒にするなとばかりに痛烈に批判している。普通に考えればハーンが先行すると判断出来るのだから、そもそも「論争」など存在しないのに、と。
ところで、牧野氏の新稿では、自身の旧稿に提示した「中学生らの無邪気な夜話」から浸透したとする想像を改めて強調するようなことはない。しかし、取り下げた訳ではないらしい。と云うのは、これに代えて遠田氏が提示した、白馬岳の雪女が青木純二の捏造から広まった、とする説に対して、次のような、若干言い掛かりめいた反論を行っているからである*2。
ところで、著者が提示する、ハーンの「雪女」の作品定着の軌跡のなかで、興味をひくのは、「雪女」の民話/化の端緒となったと著者が主張する青木純二『山の伝説』について、朝日新聞系列の新聞記者が意図的に行った/一種の〝捏造〟だとされていることだろう。青木がハーンの「雪女」をタイトル、登場人物もそのままの形で、/『山の伝説』にそっくり含めたことについて、著者は、 「一人のジャーナリストの剽窃、捏造といってもいいよう/な詐欺的行為だった。」(二二)、青木の「悪癖」(三二)、「伝説を捏造」(三四、三六)、「道義的にはやはり感心でき/ない」(三五)、「引用の作法について妙にだらしない」(三七)、「彼の意図はまんまと成功してしまった」(三八)、/と青木の確信犯的悪意を強調して非難する。
だが、〝捏造〟という意識が青木記者にあったとそれほどはっきりいえるだろうか。もし著者がいうように、/ハーンの「雪女」は日本の民話を下敷きとしていたにちがいないと、 「多くのハーン研究者」 が信じ込んでいた、/というのであれば、一介の地方記者ならばよけいに、ハーンの「雪女」はもともと日本のどこかの民話だと信じ/て、ただ元に戻しただけのつもりだったと解釈することもできよう。
そして、青木の著作が 「捏造」 だというならば、遠田自身の論考においても、一種の印象操作はなされていた。/ここで、こういう考え方もあるかもしれない。「雪女」の話は魅力的であり、いくつかの経路で日本に根付いた【―104(15)―】ことも事実である。遠田による〝「雪女」論争〟の設定は、その経路を明らかにする論考のなかで、話をよりひ/きたたせ、よりドラマティックに提示するための、ちょっとした演出にすぎない。とりたてて目くじらたてなく/ても良いのではないか、と。
引用中の2段落めは、遠田氏への対抗意識が強く出過ぎて、普通の〝解釈〟が出来ていないような印象を受ける。――いや、牧野さん、こう云うのを〝捏造〟と云うんじゃないでしょうか。と突っ込みたくなる。‥‥後ほど述べることになると思うが、遠田氏は「雪女」以外にも青木氏の〝捏造〟の例を複数挙げている。しかし牧野氏は白馬岳の「雪女」だけを「ただ元に戻しただけ」などと所謂〝斜め上〟の発想で擁護する。これはかなり無理があると言わざるを得ない。それこそ、旧稿で述べた説を「中学生らの無邪気な夜話」呼ばわりされたことが気に障って、遠田氏の発見の価値を低く見せるための〝演出〟と取られても仕方がないであろう*3。続く3段落めは引かなくても良かったかも知れないが、この、青木氏に対する妙な擁護を遠田氏に対する所謂〝叩き棒〟にして以後展開させて行くことが、やはり引っ掛かるのである。(以下続稿)