瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

白馬岳の雪女(073)

 昨日の続き。
・遠田勝『〈転生〉する物語』(32)「三」4節め
 「三 怪談作家ハーンの誕生」の最後、4節め、79頁14行め~83頁5行め「ハーンと国語教科書」で、遠田氏は検定と云う制約のある国語教科書で、ハーンの作品がどの程度採用されているのか、確認している。
 まづ、近年津波が注目されるにつれて防災教材として脚光を浴びるようになった「稲むらの火」が採用されていた「尋常科小学校の国語教科書」について、国立教育研究所附属教育図書館 編『国定教科書内容索引 尋常科修身・国語・唱歌篇』にて他に採用作品がない(らしい*1)ことを確認している。
 そこで遠田氏は80頁6~7行め「戦前から戦/後における教育界のハーンの「怪談」に対する評価の変遷をみるには」小学校の教科書は適さない、として8~9行め「もちろん戦前の旧制中学と戦後の新制中学が、制度的に連続していないことは充分承知/しているが」との条件付きで、7行め「中学の国語教科書」の方が、9行め「ハーンの採用作品の変化をみるには、これが一番便利なのである」と対象を切り替える。
 それから田坂文穂 編『旧制中等教育国語科教科書内容索引』にて、明治・大正・昭和の採用状況を見ているが「明治期」には「一編のみ」だったのが「大正期」には「叙景、エッセイ、ルポルタージュというべき作品」が採用され、「昭和期」には「文化論・ルポルタージュだけでなく、東大の講義録から」の採用もあるが、やはり「怪談は、一編も見あたらない」。しかし昭和戦後の新制中学校では国立教育研究所附属教育図書館 編『中学校国語教科書内容索引』に拠ればハーンの作品は9作品、うち「五つは、旧制中学でも頻繁に採用されてきた、いわば国語教科書の常連であるが」新たに「霊と怪異に取材した」4篇が採用されている。「梅津忠兵衛の話」1社(1959)、「おしどり」1社(1959)、「常識」2社(1953~1959)、そして「耳なし芳一」が5社(1954~1978)である。
 この採用作品、版元、年の列挙に続いて、82頁10行め~83頁5行め、

 これにより、ハーンの怪談の国語教科書への採用は、一九五三年度にはじまり、一九五九、六〇/年度あたりでひとつのピークに達していることがわかる。この動きは、民間での怪談の童話化より/も数年遅れているだけで、ほぼ同一の軌跡をたどっていて、一九五七年の松谷みよ子の『信濃の民/話』の刊行に象徴される、第一次民話ブームの動きとも重なることがわかる。
 こうして「少年少女」向け「世界の名作全集」のなかで、ハーンの『怪談』に親しんだ子供たち/の多数が、中学校の国語教科書で「耳なし芳一」に再会し、一九六〇年代の後半からは、さらに放/【82】課後、友人たちと水木しげるの妖怪漫画を回し読みし、その破天荒な画風と構図に肝をつぶし、恐/ろしさと気味の悪さを紛らわすために、笑い声をあげていたのである。戦後の子供たちを襲った、/幽霊と妖怪のルネッサンスは、このあたりでひとつの頂点に達する。そして彼らが成人読者箏に加/わりはじめる頃、民俗学と民話学の隆盛にあわせて、ハーンの多くの優れた翻訳・研究が出版され、/『怪談』の小泉八雲という評価が広く社会一般に定着していくのである。

と纏めている。――遠田氏は「中学校の国語教科書」でハーンに接した訳ではなさそうで「一九六〇年代の後半からは」以下が自身の体験なのだろう。
 ここで気になるのは戦後の小学校国語科教科書には採用されていないのか、と云うことである。遠田氏は小学校の教科書には載っていなくて、中学校で「再会」した、と云う筋を引こうとしているようだが、遠田氏は自ら上記のような条件を付けて戦後の小学校国語教科書を考察から外しただけなのに、ここでは初めからなかったかのような扱いになっている。どうも、遠田氏の考察には(白馬岳の雪女の考察対象を、条件を付けて8つに絞ったのは良いとしても、それ以外には存しないかのような扱いにしていることなど)どうも疎漏が多くて読んでいて落ち着かない。だから再検討の要を感じて、こんなに長く付き合わされることになってしまった訳だが。
 それから『旧制中等教育国語科教科書内容索引』などを検索して「雪女」が全く採用されていないと暗に(明確に指摘しないまでも)述べているのは、8月20日付(024)に見た、「白馬岳の雪女」は、ハーンの『怪談』が「英語の授業の教材として、全国の旧制中学などで幅広く使用されて」いた中で「「雪女」の読書の記憶が社会の裾野まで浸透していった」ことを背景として、「雪国」である白馬岳の山麓では「中学生らの無邪気な夜話」が「土着し」たのだろう、と推測していた牧野陽子説に対する批判なのかと思った。いや、牧野氏は英語の教材として『怪談』が利用されていたと云うので、遠田氏が注意している国語科教科書のことではない。しかし、英語原文、かつ義務教育ではなく良家の子弟しか進学出来なかったにせよ、とにかく学校でハーンの作品に接したことに変わりはないのだから、やはり英語教科書での採用状況にも触れて欲しいところである。もちろん、戦後の義務教育になった新制中学校での英語教科書でのそれにも。(以下続稿)

*1:改題されて採用されている可能性があるためであろう。小学生向け・教科書用の書き換えがあることはもちろんのこととして。