・杉村顕道の家系(6)
昨日の続き。
私の杉村氏の著書『信州の口碑と傳説』及び『信州百物語』、そして「蓮華温泉の怪話」の検討結果は、一昨年の8月から10月に掛けて、Twitter に53回(!)にわたって「杉村顕道「蓮華温泉の怪話」の素性」と題して連投したから、全く気付かれなかったなどと云うこともないだろう(と思うのだけれども、そうとも言い切れないのだ)けれども、新刊の叢書東北の声44『杉村顕道作品集 伊達政宗の手紙』471~492頁、版元の代表者、土方正志(1962生)による解説「杉村顕道の軌跡」には全く反映されていない。
しかしながら、それには理由があって、471頁(頁付なし)扉をめくって472頁上段~下段9行め、
本書は平成二二(二〇一〇)年に小社から刊行/した『杉村顕道怪談全集 彩雨亭鬼談』に続く杉/村顕道の作品集成第二弾である。「怪談全集」と/してまとめた前書に対し、本書にはその他のエン/タテインメント系作品――探偵小説、時代小説、/捕物帖、ユーモア小説などを収めた。
前書は知る人ぞ知る幻の東北怪談作家の発掘と/して各方面から注目と話題を集め、版も重ねれば/イベントや講演、講談や落語の演目などさまざま/に取り上げられもした。もちろん新聞や雑誌の関/連記事も相次いだが、以下は杉村家のルーツでも/ある山形県「山形新聞」の連載企画「やまがた再/発見」に筆者が三回(二〇一四年八月一〇日から/同二四日まで毎週日曜日掲載)に渡って寄稿した、/いわば杉村顕道小伝である。山形県外ではほとん/ど目に触れる機会がなかったと思われるこの記事/を、本書の解題としたい。
この小伝にさらに「金田一京助 杉村顕道未刊/【上】行和訳唐詩選序文について」を付す。同序文は二/〇一一年秋に仙台市「カメイ記念展示館」の「没/後10年 杉村惇展 収斂の軌跡」と同時開催され/た杉村顕道展のための資料調査で発見され、公開/に至ったものである。その経緯と序文の内容を紹/介した小社『仙台学』vol.13(二〇一一年一一月一/一日刊)の記事を再録して本書を終わる。
杉村顕道その人と、その生きた時代を理解する/一助となれば幸いである。
とあるように、平成26年(2014)8月の新聞連載の再録だからである。
この連載のあったことは私も一昨年気付いていた。
けさ、旅館で山形新聞を繰っていると、荒蝦夷の土方正志代表が執筆した評伝が。「やまがた再発見・杉村顕道」。1部求めて東京にもって帰る。仕事柄職場でも読めるけどとても記念になる。内容も怪談好きとしては興味深し。 pic.twitter.com/vk5ryYLLQj
— Aquinolit (@JaimeBaro9KPOP) 2014年8月24日
8月24日付け山形新聞〈やまがた再発見〉は「杉村顕道」第3回。山形〈遊学館〉の「彩雨亭鬼談会 講談と落語による杉村顕道怪談の世界」は9月14日(日)午後2時から。お楽しみに。詳しくは→http://t.co/Q8vC65A7op pic.twitter.com/vPddJvkczZ
— あらえみし (@araemishi) 2014年8月29日
「やまがた再発見」は、1人の人物について、1人の執筆者が上中下の3回、紙面の上部 3/5 ほどを使って紹介する連載企画で、現在も続いている。土方氏の執筆は、Twitter に投稿されている写真から推して以下の通り(上中下は黒丸に白抜き)。
・「やまがた再発見」214.杉村顕道㊤ 「山形新聞」2014年8月10日(日)
→472頁下段10行め~476頁上段12行め「一 杉村顕道追跡」
・「やまがた再発見」215.杉村顕道㊥ 「山形新聞」2014年8月17日(日)
→476頁上段13行め~482頁下段12行め「二 サハリンから山形へ」
・「やまがた再発見」216.杉村顕道㊦ 「山形新聞」2014年8月24日(日)
→482頁下段13行め~488頁上段16行め「三 病院経営者として、郷土作家として」
ちょうど土方氏が連載した頃に、土方氏が代表である荒蝦夷から『やまがた再発見①』が刊行されているが、残念ながら続刊されていない。
直後であれば出身大学の図書館で原紙を閲覧出来たのだが、私が気付いたのは5年後だから国会図書館にでも行くしかない訳だけれども、当時、鼻の手術前でどうにも気力が湧かず、国会図書館にも久しく出掛けないままであった。それで、気になりながらも見ないままになっていたのである。だから、閲覧が困難な地方紙連載そのままの再録は大変に有難い。よく、閲覧困難な新聞雑誌に掲載した文章を註に挙げて載せなかったり、改稿して再録する人がいるけれども、出来るだけそのようなものを、原文のままで載せて欲しい。地域は限られるけれども当該の人物に特に関心のない読者の目にも触れる訳で、その影響力は決して小さくはないのである。そして、――その後の信州関連著書の再評価(あんまり良い評価にはならない)については、何となれば私が自分で書きましょう、と、もう一度、しつこく繰り返して置こう。(以下続稿)