・2つの医王寺
同じ名前で混同した(らしい)例は、もう1つ眼に入った。
「い」の3項めと4項め、①初版28頁18行め~29頁2行め②改訂版30頁13~22行め、
医王寺*1
下恩方町辺名.薬師山医王寺.曹洞宗下恩方心源院末.開/山禅室祖参上人.本尊釈伽如来.創建は慶長年間(1596~/1615)で,第2世林翁上人が一宇を現在地に建立.その後,幾/多の興廃を経て現在に及ぶ.→きだみのる
医王寺(廃寺)*2
鑓水.宝壷山医王寺.曹洞宗下柚木永林寺末.開山永林寺/第4世圓応照監上人.本尊釈迦如来.創建年代は不詳.境内/東にある薬師堂は寺領7石の御朱印を拝受.明治初年に廃寺/となる.→きだみのる
医王寺と云うからには薬師如来が本尊だろうと思う。ところが両方とも本尊は釈迦如来である。山号の方も「薬師山」と「宝壺山」で如何にも薬師如来らしい。下恩方町の医王寺の方が「釈伽如来」とするのは間違いだと思うのだけれども③「Web八王子事典」まで「釈伽如来」のままである。
両方が「→きだみのる」と、参照するよう指示している①203頁14~28行め②209頁25行め~210頁10行め「きだみのる」項は前半(①20行め②210頁2行めまで)を抜いて置こう。途中で改行位置がズレるので②の改行位置を「|」で示した。
きだみのる*3
1895年(明治28)1月11日~1975年(昭和50)7月25日.小説/家.鹿児島県奄美大島で医師山田吉郎の長男として生まれ/る.本名山田吉彦.ジョセフ・コットと交わりアテネ・フラ/ンセの教師となる.1943年(昭和18)恩方村の廃寺*4医王寺に疎/開,|46年雑誌『世界』に「気違い部落周游紀行」を発表,48/年単|行本になり毎日出版文化賞受賞.55年・・・・
『気違ひ部落周游紀行』は読もうと思いながら何となく読まずに来てしまった。
それはともかく、きだ氏が疎開したのは下恩方町の医王寺の方だから、鑓水の医王寺はきだ氏とは何の関係もない。かつ明治初年の廃寺では戦時中まで堂宇が残っているとは思えない。残っていたとして別の寺院や施設・民家その他に移築されているはずで、常識的に考えてそのまま保存されているとは思えない。③もそのままになっているが、鑓水の廃寺の方は「→きだみのる」を削るべきであろう。
もちろん、本書の項目を辿って行くことで解決出来るので、昨日の2人の朝倉甚五郎に比べれば大した間違いではない。しかしなるべくならこのような間違いはなくして置きたいと思うのである。
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ところで、1月29日付け(1)にて大体の見当を示したかたくら書店の廃業時期だけれども、山岩淳の Tweet に添えられた、有隣堂セレオ八王子店と思われる書店の張り紙の写真によって平成27年(2015)7月31日であることが判明する。
今日本屋に行ったら八王子の特徴のある地元の本を出版していた出版社が営業日を終了したとのビラ!八王子事典はよく使う!結構な年のおじいさんが一人でやっていたからな! pic.twitter.com/Qh10H857tN
— 高尾山の花名さがし (@takaonobana) 2016年10月10日
Tweet 本文に書店名がないので「かたくら書店」で検索したときにはヒットしなかった。「八王子事典」で検索して気付いた次第である。――山岩氏の投稿は翌年10月10日の夕方であるからこの張り紙は1年余りそのままだったようだが、流石に今は取り外されているであろう、(以下続稿)