瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

道了堂(118)

・広坂朋信『東京怪談ディテクション――都市伝説の現場検証』
 この本は2016年8月30日付「広坂朋信『東京怪談ディテクション』(1)」に述べたように、典拠を明示した怪談検証本として前々から本格的に取り上げるつもりだったが、その典拠が明示してある=典拠と引き比べて見ないといけない点が逆にネックになって、結局、2017年4月11日付「お茶あがれ地蔵(2)」に述べた「内容の細目と、引用文献の索引を作成する」と云う、最低限の基礎的作業も未だ済ませないままになっている。そして、2017年4月13日付「お茶あがれ地蔵(3)」以来取り上げることもないままとなっていた。
 今、図書館利用の手控えを検するに、2014年3月から2019年8月まで、3つの区の区立図書館から合計16回借りている*1。この間に私は都内勤務から都下勤務に変わったけれども、都内の図書館の利用も継続していた。しかし2020年コロナ以後、都内の図書館には殆ど出掛けていない。
 結局私はコロナに罹ったのか、ワクチン4回接種の効果で殆ど症状が出なかったために気付かなかっただけなのか分からないが、近々5類になるそうで、大学図書館の校友利用が再開されたら、色々とまた国立国会図書館デジタルコレクションでも間に合わない資料の閲覧・貸出のために出掛けるつもりだけれども、都内の公立図書館通いも再開しようと云う気分にはなっていない。
 都内の公立図書館は大抵在勤在住でなくても利用券が作れたが、都下の公立図書館は在勤在住でないと利用券が作れない。そこで現在は専ら、居住地と勤務地、それから居住する市と相互利用契約を結んでいる近隣市の図書館で用を済ませている。都内の図書館の利用券は更新しないままになっているが、2館だけ更新してたまに自転車で出掛けている。
 そこで、久しぶりに、竹中労関係の資料を借りに初めて訪れた図書館で、本書を手にしたのである。
 そして、本書が道了堂を取り上げていたことを知った。以前本書を手にしたときには、道了堂のことは、別に何とも思っていなかった。いや、今でも、そういう意味では何とも思っていないが。
 それはともかく、123〜154頁「三 武蔵野・多摩怪談散歩案内」の章の最後、147〜154頁「3 八王子の城跡」は、147頁6行め~「八王子城の惨劇」、150頁3行め~「手まりをつく少女」、そして151頁12行め~154頁8行め「絹の道に漂う女の無念」の3節から成るが、もちろんその3節めに道了堂を取り上げている。
 まづ、151頁13行め152頁2行めの段落は、13~14行め「バスに乗って絹の道入り口で降/りる。」ところから始まる。絹の道の説明で15行め~1行め「今のJR横浜線ができるま/では」としているのは、馬場喜信が指摘しているように正確ではない。
 続く2~6段落めは省略すべきところがないので、そのまま抜いて置こう。まづ4段落めまでを見て置こう。152頁3~14行め、

 鑓水はまた、大学の助教授が、教え子の女子大生を不倫関係のもつれから殺害、遺体を埋めた事件/の現場でもあった。明治の絹貿易による活況も今は昔、すっかり寂しい農村になった鑓水にふってわ/いたような殺人事件。さっそく被害者の幽霊が出た、と噂が立ったのが一九七四年。しかし、多摩ニ/ュータウンを中心とする大規模な宅地開発の流れに犯罪の記憶はかきけされていった。
 この絹の道にはもう一つ、犯罪がらみの怪談があって、こちらの話はまだ生きている。バス停から、/絹の道資料館へ行く道を歩く。資料館が開いていれば立ち寄って付近の案内図をもらうとよい。目的/地は資料館の先、絹の道の碑を右手に入り、雑木林の間の静かな道を登ったところ、大塚山公園であ/る。
 ここにはかつて道了堂と呼ばれたお堂があった。本尊の道了尊は箱根の大雄山最乗寺にまつられて/いる天狗である。絹の仲買で大きな利益を得た地元鑓水の有力者たちが資金を出して建てたもので、/かなり立派なものだったらしいことは、公園入り口から小高い丘の上の道了堂跡まで続く石段からし/のぶことができる。


 女子大生の方も、道了堂跡附近で若い女の幽霊が何度も目撃されたことで、道了堂と結び付けて根強く語られ続けることになってしまうのだが、広坂氏はその情報には接しなかったようだ*2
 「絹の道の碑」と云えば、橋本義夫が建てた「絹の道」碑が想起されるが、これは道了堂の入口の、石段の脇にある。ここはそれではなく秋葉大権現庚申塔、道路改修記念碑などの立っている「鑓水三差路」を指している。
 5~6段落め、152頁15行め~153頁3行め、

 この道了堂が廃寺となり、ついには公園になったのは、鑓水商人の没落はもとより、殺人事件が起/きたからだ。殺された女性は、大正の頃から道了堂の堂守として一人で住込み、細々とながら女手一/つで娘を育て暮らしていた。この恵まれない境遇の女性が一九六三年、何者かに喉と心臓をえぐられ/て惨殺され、現金を奪われた。以来、鑓水の繁栄の象徴だった道了堂は、無人のまま放置された。【152】
 一九六五年頃から幽霊が出るとの噂が発生した。殺された女性のすすり泣く声が聞こえるというの/だ。このため近寄る人もなくなり、ますます荒れ放題となった。一九七五年、この地を訪れた山本富/夫氏は当時の印象をこう記している。


 続いて2字下げ前後1行空けで4~8行めに引用、末尾に(山本富夫『東/京いまとむかし下』彩流社)と出典を示す。この山本氏の著書については原本より引用・検討することとしたい。
 犯人を「何者か」と、判明しなかったように書いているが、暫く後に逮捕されている。建物は住人がいなくなったからと云ってすぐに荒廃しないので、人為的に荒らされたのである。或いは、わざと幽霊の噂を広めたのかも知れないが。
 次いで9~11行めに小池壮彦『東京近郊怪奇スポット』の要約。小池氏の道了堂に関する記述については、2022年2月6日付(001)からしばらく検討した。
 12行め~154頁1行め、

 私が訪れたのは一九九八年、すでに恐怖をかきたてるような景色はなく、前述のように公園として/整理された後で、公園から見下ろすと新興住宅地が整然と並んでいた。
 しかし、事件から三十余年を過ぎてなおこの地に怪談がささやかれるのは、殺された女性があまり/に哀れな生涯を送った人だったからだろう。故人の関係者が存命であることを知ったので、詳しくは/述べないが、明治・大正の頃、絹貿易で巨利を得た鑓水商人のおごりが一人の女性に日陰で生きるこ/【153】とを強いた、とだけいっておこう。


 「殺された女性」について、私には若干異論があるが、それは別に記事にする。鑓水商人の没落は明治初年のことなので、この女性と絡めるために「大正」を持ち出したのは余り感心しない。
 広坂氏は辺見じゅん『呪われたシルク・ロード』を見たのかどうか。山本富夫『東京いまとむかし』と小池壮彦『東京近郊怪奇スポット』の2冊だけではないことは確かなのだが「故人の関係者」に遠慮してか、踏み込まなかったようだ。ある程度、独自の取材をしていることは、この「故人の関係者」の存在を突き止めているところからも察せられるのだけれども。
 154頁は下半分が「▲道了堂跡」の写真。かなりの広さがあることがよく分かるものとなっている。
 本書の別の章・節についても、今後追々取り上げることとしたい。(以下続稿)

*1:うち1つの区の図書館では現在、本書を所蔵していない。私が借りていたときも一部の頁が外れてテープで貼り付けてあったような状態だったから、その後除籍されてしまったようだ。

*2:この辺りは2018年10月12日付「閉じ込められた女子学生(09)」等にて検討した。