瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

井上章一『南蛮幻想』(1)

井上章一『南蛮幻想 ユリシーズ伝説と安土城
上製本(平成十年九月十日 第一刷発行・定価2286円・文藝春秋・451頁・四六判上製本

 平成11年(1999)4月13日に読み始めて4月21日に読み終えている。
 先月、文庫版が出たことを知って借りて来た。
草思社文庫
・『上巻』2021年8月9日 第1刷発行・定価1200円・394頁・『下巻』2021年8月9日 第1刷発行・定価1200円・363頁 ちょいちょい修正があるはずである。と云うのは、文庫版で新たに追加されたのは、352~356頁「文庫版へのあとがき」のみなのだけれども、その最後に、次のような記述があるからである。356頁4~14行め、

『南蛮幻想』を刊行してまもなく、ある読者からていねいな批判の手紙をいただいた。/そのそれぞれが耳にいたく、私は反省をせまられている。なかでも、小西甚一にたい/する私の誤読は、致命的であった。
 機会があれば、旧著には手なおしをほどこしたい。これは、そう思いつづけてきた/本でもある。ありがたいことに、このほど草思社から文庫化の依頼をいただいた。渡/りに船である。修正をした形で、あらためて世におくりだせることを、よろこんでいる。
 ざんねんながら、手紙の主は御自身の名をふせられた。名のるほどの者ではない、と。/それは、匿名の批判だったのである。私は、その方にこの文庫版をとどけたい。感謝/の気持ちをそえての恵存を、ねがっている。しかし、どなたにおくればいいのかが、/わからない。申し訳ないが、送付はあきらめる。
 どこかで読んで下さることをねがいつつ、筆をおく。


 で、この手紙を出したある読者と云うのは、私なのである。「まもなく」ではなかったと思うが、それでももう20年以上前のことで、余りよく覚えていない。
 当時も、すぐにどうにかなるものではないから、文庫版が出るときの役に立てば良いと思ったのだった。お役に立ったようで何よりである。
 久し振りに以前のパソコンから移したデータを引っ繰り返して(?)当時井上氏に送ったのと同じと思しき書簡の本文データを見直して、甚だ恥ずかしい思いをした。
 実は、それより前に岩波文庫露伴随筆集』の註釈が余りにも酷いので、同じような手紙を出したことがある。10年くらい前にあるブログで、増刷時に『露伴随筆集』が、私の手紙によって誤りの訂正をしていたことを知った。
 個人的な細かい事情は省略するが、当時は今よりも調子が良かったので、そのブログの筆者とコメント欄で遣り取りして、捜し出した下書データをコメント欄に載せた。露伴の随筆の調子が移って、文語文で書いていたので、読み返しても左程恥ずかしくない。
 しかしながら『南蛮幻想』についての手紙は、井上節(!)が伝染していて、読み返して恥ずかしくって仕方がない。
 妙なことも多々書いている。改めて、名乗らなくって良かったと胸を撫で下ろしている次第である。
 全文をそのまま公開するようなことは、とても出来そうにない。
 で、上製本と文庫版を比較しつつ、私の手紙の原文を頭から少しずつ引用して、井上氏が私の指摘を受けてどのように修正したのか、検討しようと思ったのだが、大仕事になるし現在花粉症で「かしら重くまなこ濁りて心うし」で、かつ気持ちも中々落ち着かぬのでしばらく待ってから始めることとしよう。始めないかも知れないけれども。――ここでは、与太ではない証拠を示すに止めて置く。

●293頁下4~8 まってます。


 これで分かる人は殆どおらん訳だけれども*1。(以下続稿)

*1:書き上げてしまってから、もう少し、わかりやすい例を出せなかったものか、と思う。