・十菱駿武『多摩の歴史遺産を歩く』(2)
70~71頁(頁付なし)は「6 小比企丘陵・絹の道の歴史遺産を歩く」の章扉地図で、71頁左上「京王高尾線 めじろ台駅」をスタートして70頁右下「京王相模原線/多摩境駅」がゴール。題に添えて5行のリード文。
八王子市南部の湯殿川流域と小/比企丘陵の縄文・弥生遺跡から御/殿峠の里山、絹の道、町田市小山の/田端遺跡までを歩くコース。椚田/遺跡、絹の道資料館は見どころ。
72~82頁に、章扉地図に示された遺跡・史蹟を1つずつ取り上げて解説している。上3/5が本文、下2/5は写真や測量図を各頁2点ずつ掲出する。72頁1行め、上下が半円形になっている細長い枠(幅 1.0cm)の上部(5.4cm)は黒で遺跡・史蹟をゴシック体白抜きで示し、下部(3.8cm)は白地にゴシック体で小さく所在地を示す。この枠の下に「map➊」と章扉地図中の場所を示す。1頁19行、1行30字、見出しは2行取り。
➊椚田遺跡 72~73頁3行め
➋神谷原遺跡 73頁4行め~74頁4行め
➌小比企遺跡群 74頁5~18行め
➍片倉城跡 75~76頁14行め
➎御殿峠・殿丸城跡 76頁15行め~77頁19行め
➏大塚山公園・道了堂跡 78頁1~8行め
➐絹の道・絹の道資料館 78頁9行め~79頁4行め
➑永泉寺 79頁5~15行め
➒小泉家屋敷 79頁16行め~80頁7行め
➓板木の杜緑地 80頁8~14行め
(11)久保ヶ谷戸横穴墓 80頁15行め~81頁8行め
(12)田端遺跡 81頁9行め~82頁19行め
83頁は「Zoom Up」と云う1頁もしくは見開き2頁を使った囲みのコーナーで3段組、1段17行、1行13字。この章の「縄文ランドスケープ」ように章末に置かれることもあれば、途中に(複数)挿入されることもある。
➏の本文を見て置こう。所在地は「八王子市鑓水四五〇―一」である。
絹の道の北端にある大塚山公園は、道了堂の跡地です。大塚山/道了堂は、一八七五年(明治八)に鑓水商人によって建てられた永/泉寺別院です。生糸商人を中心に、鑓水地域の信仰の拠点としてに/ぎわいました。*1
園内には石段や石碑、石燈籠があり、道了堂の石碑があります。/堂守が亡くなり廃屋になってからは、絹の道整備で大塚山公園とな/りました。近世のものと思われる大塚があります。*2
78頁下右に「道了堂跡」の石碑と堂の前の石畳と石段(2段)そして礎石が写る写真。現在、礎石の周囲に竹で作った簡易の柵が置かれているが、存在しない。ベンチが2つ見える。下に「道了堂跡 明治初年、生糸の商いで繁栄した鑓水商人/によって建てられた永泉寺別院の跡です。」とのキャプション。下左の写真は「絹の道 幅4mの道が八木下家屋敷跡まで続きます。」とのキャプションのある、若葉の時期の写真。これは➐の写真で、➐の所在地「八王子市鑓水九八九―二他」と絹の道資料館の所在地を代表させている。冒頭(10~11行め)を抜いて置こう。
大塚山公園入口には絹の道碑が立っています。「絹の道」は鑓水/街道あるいは浜街道ともよばれる神奈川往還の通称です。‥‥*3
十菱氏の専門である遺跡に比べるとぼんやりした説明になっているようである。面白いのは「近世のものと思われる大塚」に注目していることで、他に「大塚」に注目した人がいないのでよく分らないが、どうも、明治26年(1893)の石版画「武藏國南多摩郡由木村鑓水/大塚山道了堂境内之圖」にある「古墳」のことだろうと思うのだけれども。
それはともかく、本書と3月23日付(17)に引いた、現地に設置されている八王子市教育委員会の説明板を見ただけでは、主としてネット上で道了堂跡が専ら、血腥くおどろおどろしい場所として扱われていることは分らない。
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1冊だけで長くなり草臥れたので、昨日予告した残り4点については機会を改めて述べることにする。いや、A5判ではなく新書判のガイドブックも多々ある。今後はこのように一々取り上げずに、纏めて済ませてしまおうかとも思っている。(以下続稿)