瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

道了堂(40)

・馬場喜信『流域紀行八王子』(3)
 昨日の続きで、第二部「八王子の歩き方」の細目と初出、図版及び表について確認して置こう。
① 市境歩き東京新聞ショッパー一九八一年九月四日号)106~112頁
 ・107頁上 概念図(八王子市の境界線、●で山や峠・住宅地などポイントを示す。内側は川と国鉄、はちおうじ・たかお・こみや・かたくらの4駅のみ示す。京王線西八王子駅北八王子駅は記載なし。) 
② 十山登山東京新聞ショッパー一九八一年二月二〇日号)113~122頁
 ・116頁上「八 王 子 十 山」一覧表(番外⑪⑫⑬あり合計13座)
 ・117頁上「八王子十山付:番外三山位置図」概念図
 ・119頁左上「小下沢よりあおぐ大嵐山」縦長写真
 ・119頁左下「秘峰 本宮山」横長写真
③ 観音巡礼東京新聞ショッパー一九七七年一〇月一七日号)123~132頁
 ・125頁「八王子三十三観音札所」一覧表
 ・126頁上「八王子三十三観音札所順礼図」概念図
 ・132頁左上「第一番宗関寺・観音堂うしろの丘の上にたつ」縦長写真
 なお、130頁15行め~131頁4行めの段落、

 さて、最後に残る光厳寺だが、残念なことに廃寺となって、今日その姿を見ることができない。/【130】所在地は、京王線北野駅の近くと推定されるが、‥‥、今はともかく第三十二番万福寺の聖観音に詣でて、ひとまず/この順礼をしめくくるほかはない。

の最後、「い。」の脇に「*」を打ち、末尾132頁6~8行めに1字下げで小さく以下のように註記する。

 * 第三十三番光厳寺の観音堂は、同寺のあった地内(現在の打越町)の梅洞寺に現存していることが、/八王子市史下巻一三四七頁に記されていた。同寺をたずね、境内の一隅に小じんまりと建つ御堂にめぐり会/えたときは心が晴々とした。


 なお、一覧表の第三十三番札所の「現所在/地 名」は不記載のままになっている。
④ 峠越え東京新聞ショッパー一九七九年九月二三日号)133~138頁
 ・134頁上「八王子の峠」概念図
⑤ 大垂水峠より津久井湖(多摩の自然・第五六号、一九七八年三月)139~149頁
 ・149頁左上「湖畔の道より津久井湖
 題と本文野間に小さく以下の前置き。139頁2~3行め、

 ある冬の一日、大垂水峠を越えて、甲州街道の旧道を下り、津久井湖畔まで歩いた。以下は、その時の記/録である。峠歩きの案内をかねて、ここにおさめた。


 142頁13行め「 峠の上で、この日の講師・吉山先生の話をきく。‥‥」の最後の「の」の右に「*」を打つ。これは末尾149頁3~4行めに2字下げで小さく、

 * この紀行は、八王子自然友の会の一九七八年一月二二日の研修に参加したときのもので、当日の/講師は同会幹事の吉山 寛氏であった。

と説明している。吉山寛(1928生)の著書は2016年3月9日付「八王子城(3)」に椚國男との共著を取り上げたことがある。

 近著の著者略歴には「‥‥。1983年まで私立八王子高等学校に勤務。その傍ら植物研究に励む。‥‥」とあるから、当時は八王子高等学校の教員で昭和58年(1983)に定年退職して「特にヤナギの研究に重点を置き、約30年にわたり全国のヤナギを調査。自ら吉山柳園を開設しヤナギを植栽して観察を続け、‥‥」とあるが、朝日新聞折込の多摩地域タウン紙「asacoco」2019年3月21日発行号の記事「ヤナギハンター歴30余年 初のヤナギ図鑑出版 吉山寛さん(91) 八王子市」に拠れば八王子市西浅川町の自宅庭の私設「柳園」である。
 付・地図のこと
 ・151頁上「2万 5000分の1地形図:八王子と周辺の図名」地形図6面分に107頁の概念図を駅名のみ残し縮小して収める。(以下続稿)