瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

米光秀雄・滝沢博・浅井徳正『多摩』(2)

・郷土叢書2『続多摩』武蔵書房・264頁・B6判上製本*1
・昭和45年9月15日  初刷・定価 700円
・昭和45年9月15日  初刷・昭和47年2月15日  重刷・定価 700円
 郷土叢書1『多摩』の内容を見ても良かったのだが、『多摩』四刷のカバー裏表紙折返しに見えていた『続多摩』の装幀について、昨日の続きとして見て置こう。
 カバーの掛かった初刷と重刷、カバーのない重刷を見た。
 私の見た初刷のカバー表紙折返しは写真部分まで、カバー裏表紙折返しは3字分残して切除されているが、残されている文字が私の見た重刷のカバーと一致するので、カバーは初刷・重刷で同じと判断される。異同としてはカバー表紙右上の、黒地に明朝体白抜き横組みで著者3人の名が並ぶところ、初刷は細いながらも明確であったのが重刷では横線や払いなどが微かなものとなっていること、それから写真の(色合いの違いは褪色の度合いの違いに拠るものなのかも知れないが)川岸の一部(0.9×3.2cm)が不自然に緑色になっているくらいである。
 カバー表紙は上部を黒く潰して(初刷 4.0cm・重刷 4.1cm)そこに赤で「続 多 摩」とあって『多摩』のように横長になっておらず、副題はなく右に同じ順で著者名が並ぶ。残りは全面、4人乗りの筏流しのカラー写真である。
 カバー背表紙はやはり白地で、副題がなくなった分だけやや下から「続 多  摩」これは『多摩』と同じ字体に見える。著者名は『多摩』の著者名の真ん中あたりから『多摩』と同じ字配りで、赤の明朝体で並ぶ。最下部に明朝体横並びで版元名。
 カバー裏表紙も白地で、右上に『多摩』よりも若干内側に「〈郷土叢書2〉」とあり、左下に「¥ 700」算用数字は『多摩』より太い。右下に「武蔵書房刊」これも『多摩』より1字分左に寄る。但し重刷では全体に若干右に寄っているように見える。
 カバー表紙折返しには『多摩』と同様に本文の一節が引用されているが、句点と中黒点の脱落だけであった『多摩』と異なり、書き換えがある。

  きのう山さげ今日青梅さげ 明日は/ 羽村の堰落し
 筏流し唄の一節である。
 私どもが子供の頃,多摩川の流れは実/に美麗であった。ほんの十七・八年前の/ことである。昔の人は多摩川の美しさを/賞するあまり玉川と美称した。夏になる/と淵の中にもぐると透明な青さの中に,/銀鱗をひるがえして遊泳する鮎・ハヤの/姿をいつでも見ることができた。水量も/豊富で滾々と流れていた。
 かつてここを筏が流れていた。実際に/は大正末期にその姿は消えていったが,/終戦後のほんのしばらくの間,鉄道貨車/やトラックの払底から,再び筏流しが行/なわれたことがあった。私が見たのはこ/の時の筏流しで,実際に乗せてもらった/こともある。
 もっとも去年(昭和44年)の春,昔/ながらの形で多摩川に筏流しが行なわれ/た。NHKテレビ「ふるさとの歌まつり/」のための演出で,昔いなせな筏乗りだ/った人たちが借り出された。おそらくこ/れが最後の筏流しの姿であろう。
          (多摩川」より)

とあって、その下1行分、濃い桃色の、字詰めと同じ長さの太線(6.0cm)があってその下、右側に「カバー写真/ 筏流し風景    (青梅市軍畑付近)」とある。
 「多摩川」は207~262頁、5節から成るがその2節め、212頁12行め~223頁10行め「筏  流  し」の冒頭、212頁13行め~213頁14行めまでがカバー表紙折返しに使われているのだが、全体に細かく改稿されていることが分かる。

  きのう山さげ 今日青梅さげ 明日は羽村の堰落し【212】
 筏流し唄の一節である。
 私どもが子供の頃、多摩川の流れは実に綺麗であった。ほんの十七、八年前のことである。そ/して、昔の人は多摩川の美しさを賞するあまり、玉川と美称した。川遊びの夏、深い淵の中にも/ぐっても透明な青さの中に、銀鱗をひるがえし游泳している鮎やハヤの姿をくっきりと見ること/ができた。水量ももっと豊富でたっぷりと。滾々と流れていた。かつては、ここを筏が流れてい/った。実際には大正末期に筏の姿は多摩川から消えてい/ったのであるが、終戦後のほんのしばらくの間鉄道貨車/やトラックの払底から、やむなく再び筏流しが行なわれ/たことがあった。私が見て知っているのは、この時の筏/流しであり、実際に乗せてもらったこともある。今にし/て思うと、貴重な体験であった。去年(昭和四十四年)の/春、もう一度、昔ながらの形で多摩川に筏流しが行なわ/れた。NHKテレビ「ふるさとの歌まつり」のための演出/であった。これでもう、おそらく筏流しは最後であろう。


 ここで1行分空けている。なお213頁6行めから字数が少なくなっているのは213頁左上に写真があるからで、下に「筏 流 し 風 景昭和44年NHKテレビ撮影のため浮かべられた」とのキャプションがあり、カバー表紙の写真と同じ4人乗りである。
 この章は滝沢博(1936生)の執筆で、昭和45年(1970)から17年前として昭和28年(1953)、滝沢氏はまだ高校生、この年に小河内ダムのコンクリートの打込みが開始されている。
 「ふるさとの歌まつり」はNHK総合で昭和41年(1966)4月7日から昭和49年(1974)3月28日まで毎週木曜20時から21時まで全354回にわたって放送された番組で、司会はNHKアナウンサーの宮田輝(1921.12.25~1990.7.15)。私はこの番組はもちろん宮田氏の記憶もない。
 筏流し唄が取り上げられたのはNHKアーカイブスNHK放送史「ふるさとの歌まつり」に拠ると昭和44年(1969)4月10日放送「ふるさとの歌まつり ~東京都青梅市青梅市立第一中学校体育館から中継~」で、番組内容は「筏流し唄(青梅市有志)/機織唄(青梅市有志)/青梅よささ節(青梅市有志)/高水山の獅子舞(青梅市有志)/青梅ばやし(青梅市有志)/御岳山の太々神楽青梅市有志)/八王子の車人形(八王子市有志)」、伴奏は小野満とスイング・ビーバーズ、他に出演は橋幸夫黛ジュン鶴岡雅義と東京ロマンチカ であった。
 この章にはこの番組に関する記述がもう少々あるのだが、それは別に取り上げることとして、カバー裏表紙折返しと奥付等については次回に回すこととする。(以下続稿)

*1:7月4日追記】当初「四六判」としていたが7月4日付(4)に引いた『続多摩』初刷の奥付裏広告により訂正。