瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

清水成夫 編『八王子周辺の民話』(4)

・郷土資料シリーズ⑷『八王子周辺の民話』(4)跋②
 昨日は典拠の問題で終わってしまったが、今回は橋本義夫「跋」のうち、編集について述べた箇所を見て置こう。67頁上段3~8行め、

 本シリーズには都合により五十六篇だけ採録されてあ/るが、氏の手元にはこの資料の数倍にわたるものがすで/に集録されてある。
 終りに本書刊行努力の各位に深甚な感謝を捧げたい。/なお清水夫人伊志子さん、および令弟の清水武夫氏写真/担当など陰の努力にも敬意を表したい。


「五十六篇」とあるが11月17日付(2)に見たように本書には65篇が収録されている。尤も、八王子市域の話だけであれば56篇である。但し、昨日引いたように橋本氏は本書が『八王子周辺の民話』として企画されていることを知っている訳で、当初、八王子市域のみ56篇で編纂されていたと云う訳でもなさそうだ。――このとき「集録されてあ」った「数倍にわたる」資料だが、後年清水氏が自刊している。
 そして、本書の図版は【2】の「勝山髷」以外は全て写真なのだけれども、これらは清水氏の弟清水武夫の撮影であることが分かる。
 67頁頁上段は12行めまでで、下段は同じ幅の囲みで「編 者 略 歴」がある。2~4行めの1項め2項めを抜いて置こう。

一、明治四十年二月、八王子市旭町二十五番地に生る。
一、昭和元年三月  東京府立第二商業学校卒業、家業飼糧/  業を自営かたがた地方史の研究に専念。


 明治40年(1907)2月生で大正15年(1926)3月に東京府立第二商業学校を卒業している。ちなみに第一商業学校(東京府豊多摩郡渋谷町下渋谷737番地)は大正7年(1918)10月1日設立認可、大正8年(1919)4月に第一期生が入学した現在の東京都立第一商業高等学校で、大正9年(1920)2月19日に第二商業学校の開校に伴い東京都立商業学校から改称している。こちらは創立の地(東京都渋谷区鉢山町8-1)に現在もあるが第二商業学校は東京都立八王子工業高等学校と統合されて東京都立八王子桑志高等学校となっており*1、現存しない。
 私は浪人時代に代官山や、今のように賑やかになる前の中目黒、目黒川沿いをぶらついていて、まだ同潤会アパートがあって今とは様子の違う代官山駅で、大勢の女子高生が乗り込んで来て、それで近くに商業高校があることを知ったのだが、第二商業が何処にあったのかこれまで意識したことがなかった。いや、浪人時代に上京して来た私は都立高校の知識に乏しいので、一商から五商まであって現在二商だけが欠けていることも知らなかった。いや、大学院の先輩が東京都立芝商業高等学校に勤めていて、26年前の秋、一度だけ訪ねたことがある。しかし何故第一商業と違って地名を冠しているのか考えたこともなかった。今日初めて、芝商は東京市京橋商業学校、のち東京市立芝商業学校だったので、東京府として創立された一商から五商と違ってナンバースクールになっていないことを知ったのである。しかし32年前の中目黒は、何だかうらぶれた、安っぽい感じの街で、搔揚げに南瓜の入っていた立喰蕎麦屋と、道幅は広いのに人通りが少なく車も殆ど通らないので真ん中を歩いても余り危ない感じのしなかった目黒銀座と、そしてとにかく日が照って明るい、しかし今よりもずっと狭かった山手通りの印象ばかりあって、今や花見の時期に交通規制が掛かるようなところだとは到底信じられないのである。
 なお第二商業高等学校の校地・校舎(東京都八王子市台町3丁目25番1号)は、第二商業高等学校と近隣の都立高等学校の定時制課程を統合した東京都立八王子拓真高等学校となっている。清水氏が通った頃は八王子市上野町75番地、八王子市郷土資料館と八王子市消防署、南大通りを挟んで南側に広がる空地の辺りにあったが*2昭和31年(1956)に区画整理により台町に移転している。その後南大通りが作られ、その南側には八王子市民会館が建設されたのだがそれも今はない。八王子市郷土資料館も閉館してしまった。
 3項め(5~7行め)は著作、4項め(8行め)は所属の学会等、5項め(9行め)は現住所である。
 次いで横組み(左開き)の「索  引」が4頁ある。題の50音順で目次と同じく括弧に話の舞台、そして頁を示すが話の題の50音順で引けるようになったところで大して役に立つとも思えない。話は地域別に収録されていると思われるので地域別の索引も不要だが、敢えて入れるとすれば人名や地名、神社仏閣などの索引ではなかったろうか。或いは話の内容による分類索引でも良かったかも知れない。
 最後に奥付。「編者」に「し  みず しげ お 」のルビ、それから発行者に「あき ま  よし え 」のルビがある。清水氏は郷土資料シリーズで本書のみの担当だが、本書まで4集の発行者として名の見える秋間節愛の名前の読み方は、これまでの3集には示されていなかったので、貴重な情報と云えよう。(以下続稿)

*1:この統合による閉校については、10月20日付「小泉二三『思い出の鑓水』(3)」に触れたことがある。

*2:村内伸弘(1968.2.15生)のブログ「ムラウチドットコム社長・村内伸弘のブログが好き」の2020/10/23「杖と蛇のマーク!昭和5年/1930年 府立二商(東京府立第二商業学校)の卒業記念章」に、祖父村内村雄の昭和5年(1930)の卒業記念章と昭和2年(1927)の記章が紹介されている。