・『書物通の書物随筆』第一巻『赤堀又次郎『読史随筆』』(2)
さて、4月16日付(26)に佐藤哲彦「解題」の「赤堀又次郎について」の最初と最後を抜いて、HN「神保町のオタ」のブログ「神保町系オタオタ日記」とHN「書物蔵」のブログ「書物蔵 古本オモシロガリズム」が、佐藤氏とほぼ同時期に石井敦 編著『簡約日本図書館先賢事典(未定稿)』を取り上げている、等と間の抜けたことを書いてしまったのだが、これは「神保町系オタオタ日記」と「書物蔵 古本オモシロガリズム」を見て、赤堀氏に関する当時としては唯一の纏まった伝記的な記述である『簡約日本図書館先賢事典(未定稿)』に気付くことが出来たことに対する謝辞として(通常、マニアのブログ記事など無視すべきところを)敢えて名前を出したのだ、と云うことが3日経つ間に鈍感な私にも漸く諒解されたのであった。
そうすると、佐藤氏は8月15日印刷、25日発行までの1ヶ月半くらい(日付通り進行した訳ではあるまいが)の間に「解題」を仕立てたことになる。随分急拵えであるが、不可能ではない。その計算をするためにも、資料紹介の際には日付まで入れて欲しいとつくづく思うのである。
いや、そもそもが、佐藤氏の解題は以下のブログ記事の成果を纏めて、若干の+αがあると云った体のものなのである。
①HN「空山」のブログ「くうざん、本を見る」2006-05-19「判明」
②HN「higonosuke」のブログ「黌門客」2006-06-15「赤堀又次郎の話」
※③森洋介・④higonosuke・⑤空山のコメント(いづれも16年前)
⑥HN「書物蔵」のブログ「書物蔵 古本オモシロガリズム」2011-06-30「日本における「年鑑」成立の歴史」
⑦HN「書物蔵」のブログ「書物蔵 古本オモシロガリズム」2011-06-30「赤堀又次郎 1866-1943?について」
⑧HN「神保町のオタ」のブログ「神保町系オタオタ日記」2011-07-03「赤堀又次郎と田中稲城」
⑨HN「書物蔵」のブログ「書物蔵 古本オモシロガリズム」2011-07-04「げげげ、げげーっち(×o×) 赤堀又次郎の正体」
仮に番号を打って置いた。いづれもはてなダイアリー(その後はてなブログに移転)である。⑨に「赤堀又次郎」項はほぼ全文が引かれているから、佐藤氏は『簡約日本図書館先賢事典(未定稿)』を見なくても書けたのである。その学恩に酬いるために特に「神保町系オタオタ日記」と「書物蔵 古本オモシロガリズム」を挙げたのではないか、と思われるのである。
ちなみにこれには続きがあって、
⑩HN「空山」のブログ「くうざん、本を見る」2011-10-20「赤堀又次郎」
※⑪書物蔵・⑫森洋介のコメント(いづれも11年前)
⑬HN「神保町のオタ」のブログ「神保町系オタオタ日記」2011-10-22「オタどんも、ビックリ」
※⑭書物蔵・⑮神保町のオタのコメント(いづれも11年前)
と、連絡はなかったものか、刊行から2ヶ月程経ってから両氏が感想を述べている。
ついでに次の記事も挙げて置こう。
⑯HN「書物蔵」のブログ「書物蔵 古本オモシロガリズム」2014-05-20「宮里立士(1966-2014)氏死去す」
さて、これからしばらくこれらブログ記事・コメントと対照させつつ、佐藤哲彦「赤堀又次郎について」の内容を検討して見ることとしよう、(以下続稿)