瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤堀又次郎伝記考証(28)

石井敦 編著『簡約日本図書館先賢事典(未定稿)』(2)
 さて、私は取り上げた資料は一通りどのような素姓のものであるか、眺めて置くことにしている。大して分からずに(まぁ調べ方が悪くて、だけれども)誤魔化していることも少なくないが、今回もまづは、昨日の最後に触れた疑問――「簡約」を冠し「未定稿」と添えていることについて、「赤堀又次郎」項を例に使いながら確認してみよう。
 昨日は「まえがき」と「あとがき」に触れたのみであったが、まづ1頁(頁付なし)に表紙と同じ飾枠と標題、編著者名を黒で印刷(表紙は毛をまばらに漉き込んだクリーム色の厚紙に褐色で印刷)してある。「まえがき」に次いで9頁(頁付なし)「目 次」、10~11頁「凡   例」、13~146頁が本文で、「あとがき」に次いで奥付、裏は白紙。背表紙の上部にやはり褐色で「簡約日本図書館先賢事典(未定稿)  石井 敦編著」とある(標題は明朝体太字、編著者名はゴシック体)以外は全て横組み。なお、裏表紙には飾枠のみ。見返し(遊紙)はない。
 13~18頁「あ」、まづ13頁1行め、2行取り左詰めで大きく「あ」とあって細い線で右と下を仕切る。次いで3行分空けるが、頁の先頭から始まっている場合3行空け、「え」のように頁の途中から始まっている場合2行分空け(但し上を1行分空けているので附属する空白の行が3行分あることには変わりない)、1頁に27行分(1行24字)収まるけれども各項の間を1行分空けてあり、1頁に6人弱収めていることもあるので、かなり余裕のある組み方である。
 赤堀氏の項目は「あ」の10人め、14頁18行め~15頁1行め(改行位置は「|」で示す)、

赤堀 又次郎 あかほり またじろう 1866―19??
 ①愛知 ②1888/帝国大学文科大学古典講習科 ③| 1897/東京大学国語学教室図書掛,1908/早稲田大| 学講師,1943/陸軍士官学校教官,1922/JLA 退会| ◆日本文庫協会時代に活躍。
〔著作〕『日本文学者年表』,『紙魚の跡』(民衆社,| 1930) など


 なお、この項はHN「神保町のオタ」のブログ「神保町系オタオタ日記」の2011-07-03「赤堀又次郎と田中稲城」の示唆により、HN「書物蔵」のブログ「書物蔵 古本オモシロガリズム」の2011-07-04「げげげ、げげーっち(×o×) 赤堀又次郎の正体」に引用されているのであるが、改めて抜いて置くこととした。
 さて、この記事にて「簡約」の所以が諒解されるであろう。「凡例」を見るに10頁20行め~11頁5行め、

  ① 本籍または生地を府県名で記載。
  ② 最終学歴。
  ③ 図書館歴を中心とした職歴。
  ◆ 館界での活動状況,業績(一般的に著名な人は省/【10】   略)
  〔著作〕 図書館関係書を終身に1つないし2つにしぼっ/   た。論文は特別なもの以外省略した。
  〔評伝〕本項を補う意味の主要な追悼論文,記事を記載し/   た。

と、本当に必要最低限の条項に絞ってある。その上、①を欠く人、②の年を欠く人も少なくなく、③の図書館に入った年と退職した年しか入っていない人(もちろん生歿年も「18??―19??」)もあって、もっと人数を絞れば分かっていることを余さず書くことも出来ただろうが、149頁9行め「約550名」を収録するとすれば「簡約」にしか作れなかったのではないかと思われるのである。
 未定稿と云うのも不確定の項目が多いのをそのまま出版したためで赤堀氏の項でも「民友社」を「民衆社」と誤っていること、それから流石に最晩年の昭和18年(1943)に陸軍士官学校の教官になるようなことはなかったと思うのだが、こういった当然生ずるべき疑問について、点検を経ずにそのまま出している。
 これはそもそもが「まえがき」の冒頭、3頁2~3行め、

 今回,ぼくの古稀を記念して,図書館史研究会の/方々が中心になり,いろいろ記念企画をして下さった。/‥‥


 そしてその企画の1つとして、8~12行、

‥‥,/ぼくの館界における自伝的なものを一本にまとめるよ/う頼まれた。それがこの行事の慣行ならば,と一旦は/お引受けしたのだが,いざ書きはじめて,どうにもペ/ンがすすまない,というより実のところ,書く気がし/ないのである。‥‥


 そして書く気になれない理由を挙げ、18~21行め、

‥‥,この依頼はお断りすることにした。
 そこで,今回は,この企画に賛同して下さった方々/へのお礼として,図書館史研究の手控え,ともいうべ/き本書を,急遽まとめた次第である。【3】


 私としては、どういう経歴だったのか興味があるから「自伝的なもの」を書いて置いて欲しかったと思ってしまう。そういう文章は記憶だけでは書けないからまだ仕事が出来る年齢のうちに書いて欲しい。当人は元気なつもりでも、予定枚数を超過して延々書いているうちに中絶未完に終わった『一古書肆の思い出』のようにならぬように。
 それはともかく、本書は7行め「企画」の「発起人」の依頼を断った埋め合わせとして急遽纏めたものなのだが、こういうものもいきなりは出来ないので、「あとがき」の冒頭、147頁2~行め、

 本書の初校をみて,われながら驚いた。ゲタ(穴)/だらけなのである。研究のプロセスで一部参照する程/度に使用するのならば,これでもほとんど支障はな/かったが,こうして ”Who's who” の形式をもたせ,/正式のよみから,生没年,出身地,学歴など一項一項/正確を期して記述することになると,仕事の合い間に/ノートしてきたものだけに,不完全さが一拠にあらわ/れてしまった。‥‥

ということになる。ここに述べてあるように論文などで1人2人取り上げるのなら、不完全なメモであってもそこから集中的に調べて肉付けして行けば良い。しかし集中して体系的に集めたのではない、何となく集まった資料のメモをもとにして、数百人分点検して行くとなると大変な作業である。12~14行め「‥‥。図書館史研究会の方々に照会すればたち/どころに3分の1ぐらいは判明するだろうが,その時間的余裕もなく上梓した次第,‥‥」と、そのような追加調査をあまりせずに11行め「見切り発車させ」たことを認めている。
 この辺りに、わざわざ標題に(未定稿)と添えた理由があるのであろう。(以下続稿)