瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

津留宏『一少女の成長』(6)

 私が本書を手にしたのは、本書が研究資料として活用している「一少女」の日記に、2021年3月23日付「赤いマント(315)」に見たように赤マント流言の記述があるからであった。
 しかし、当時はこの「一少女」が何者であるか突き止められなかった。
 津留氏は『一少女の成長』扉裏に「この書を今は学位をとり、りっぱな大学教授に成長された菊池登喜子氏に捧げる」との献辞を記しており、2021年3月22日付(5)に見たように誕生日から学歴まで、非常に詳しく菊池登喜子の経歴を紹介している。だから、これだけ情報があれば分りそうなものだと思ったのだが、分らない。
 その後、2021年3月当時は国立国会図書館デジタルコレクションの「国立国会図書館限定公開」だった初版『一少女の成長を見る』が「送信サービスで閲覧可能」になったことに気付いて、2021年3月20日付(3)に述べたような、改訂新版である本書との比較を試みようと思ったのだが、そのままになっていた。
 もちろん全文検索出来るようになって直ちに、誕生日から検出出来ないか、試みたのだがそれらしき人物を探り当てられなかった。
 そして、2月半ばを過ぎたので、恒例(?)の赤マント流言資料の蔵出しを行う序でにまた色々検索を掛けて見て、国立国会図書館デジタルコレクションも収録資料が増えたり全文検索の対象が拡大しているらしいことを思い出して、菊池登喜子の誕生日で検索してみたのである。すると「資料提供者 文部省大学学術局大学課」なる『日本博士録昭和32年度~ /  昭和36年度)(昭和42年7月15日 発行・定 価 3,000円・帝国地方行政学会・前付+四+三一三頁)がヒットした。
 一九四頁と一九五頁の間に淡い緑色の紙に刷った「昭和三十六年度」の扉、一九五~二九二頁がその本文で、二三四頁中段8行め~二三五頁中段「東京教育大学」はまづ「博士課程修了によるもの」として「【理 学 博 士】」14名、そして二三五頁中段10行め「論文提出によるもの」として3名、11行め「【文 学 博 士】」は次の1名、12~17行め、

  石  原  静  子(東京)
住   所 東京都杉並区成宗二の八三九
生 年 月 日 昭和四年七月十三日
出 身 校 東京文理科大学
授与年月日 昭和三十六年十月十三日
主 論 文 名 学習における禁止とインダクション


 ちなみに残り2名は【理 学 博 士】である。
 さて、生年月日が一致するし、住所はまさに2021年3月22日付(5)にて割り出した辺りなのである。杉並第二小学校の少し北で*1、第二章の「●5/小学四年生」の81~84頁8行めに引用される「藤井さんの家へ  (十月六日綴方作品)」にて辿った経路の起点として矛盾しない。
 ただ出身校が東京文理科大学と云うのが未知の情報であったが、菊池登喜子=石原静子の可能性が高いと考えて、更に検索するに、Wikipedia石原静子」項がヒットした。

石原 静子(いしはら しずこ、1929年7月13日[1] - 2010年12月20日[2])は、日本の心理学者。

来歴
東京生まれ。 奈良女子高等師範学校国文科、東京文理科大学心理学科を経て、東京教育大学大学院教育学研究科実験心理学専攻博士課程を修了した。1961年に「学習における禁止とインダクション」で文学博士(東京教育大学)を取得した。

1966年に和光大学人文学部助教授に、1968年に教授に就任し、人文学部長、一般教育委員長を務めた。2000年に定年退職し、名誉教授に就いた。2006年1月、学校法人和光学園理事長に就任した[3]

2010年12月20日、血胸のため死去[1]


 うち誕生日の「出典」は「1. ^ a b 『現代物故者事典2009~2011』(日外アソシエーツ、2012年)p.49」であるが、これは昨2023年12月23日のHN「松茸」による加筆で、2021年3月当時は誕生日では Wikipedia はヒットしなかったから辿り着けなかったのであった。
 そうすると、石原氏は初め「女学校の先生になる」ことを目指して奈良女子高等師範学校の「国文科」に入ったのだが、津留氏の研究に協力するうちにそちらに開眼し、津留氏の母校である東京文理科大学教育学科心理学専攻で、津留氏の恩師や先輩に当たる人々から心理学を学ぶこととした、と云う筋が引けそうである。旧制の東京文理科大学は昭和24年(1949)5月に他の教育機関と統合されて新制の東京教育大学に移行している。奈良女子高等師範学校も同じときに新制の奈良女子大学になっている訳だから、石原氏はそれ以前に奈良女子高等師範学校から東京文理科大学に移ったはずである。そして東京教育大学教育学部心理学科を卒業し、さらに大学院にも進学し博士課程を修了後に所謂「論文博士」で博士号を取っている。
 本書に関しては、法政大学社会学部兼任講師の山下大厚が「津留宏『一少女の成長 小さな魂の記録の分析』再考/―発達的視点からみた青年期の自我と心理的資料としての日記―」(「法政大学教職課程年報」VOL.21(2022年・法政大学キャリアデザイン学部)88~101頁)と云う論文を発表している*2が、山下氏は菊池登喜子の正体を穿鑿していない。津留氏が明かさなかった以上、その必要はないと考えているのかも知れない。
 しかし、この点はやはり、津留氏の学問を追い掛ける形を取った石原氏の視点を入れて再検討しても良いのではないか、と思うのである。
 現に石原氏が長年勤務し晩年には理事長まで勤めた和光大学附属梅根記念図書・情報館には、公立図書館には所蔵のない『津留宏先生のおもかげ』(1984年10月・津留宏先生を偲ぶ会・ⅷ+211頁)が所蔵される他、津留氏の著書が少なからず所蔵されている。これは石原氏の選択によるものであろう。『津留宏先生のおもかげ』に石原氏の文章も載っていることと思われるが、どのように回想しているだろうか。そして、果たして『一少女の成長』に言及しているかどうか。もし可能であれば、紹介状をもらって和光大学に出向き、閲覧したいと思っている。(以下続稿)

*1:【追記】投稿当初、現在の住居表示の番号を書いてしまったが、本書に記載される家がそのまま現存している(らしい)ことが分ったので改めた。

*2:ざっと目を通しただけでまだ精読していない。次の記事を用意するまでに本書を(国立国会図書館デジタルコレクションでなしに)借りて、突き合せて読むつもりである。