瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(373)

黒井千次『禁域』(2)
 昨日の続きで、「花鋏を持つ子供」の設定を確認して置こう。
 7~15頁「」の冒頭部(7頁2行め~8頁11行め)が場所の説明になっている。長くなるので7頁5行め~8頁4行めを抜いて置こう。

 省線の駅から大通りを来て左へ折れるその道は、両側の地面の高さの異った変化のある道だ/った。大通りに面した酒屋と文房具屋は同じ地平に並んでいるのだから、折れた道を北に進む/につれて右手の土地だけが次第にせり上って来ることになる。右側の家は、はじめ目につかな/いほどの高さの石やコンクリートの上に塀を連ねているのだが、いつの間にかその土台の丈が/増して大谷石の石垣が現われ、明史*1の家の前あたりでそれは既に彼の顔の高さになり、更に進/んで裏の通りに突き当る角では大人の背丈を越す程になる。そして石垣の上にあるのはいずれ/も大きな家で、しかも石垣が高くなればなるほど、敷地も広くなっていくらしい。
 それに反して左手の低い側には、板塀と一つながりになった簡素な木の門の家が多く、似た/【7】ような造りの二階家が並んでいるのだが、どことなくこせついた感じが強いのである。なぜか、/子供達の家はいずれも道の左手、つまり申しわけばかりの庭がついた二階家の側に集中してお/り、深い階段を刻み込んだ石垣の上の家々はいつも樹木の多い庭の奥にひっそりと静まりかえ/っている。


 この「大通り」は2023年1月2日付「黒井千次『漂う』(2)」に見た、黒井氏が5歳から12歳までを過ごした場所として回想する「大久保通り」である。そこから「左へ折れる」のが「北に進む」訳だから、駅から大通りを東に向って北に折れる訳だから、主人公の家は「省線の駅」の北東、駅は山手線の新大久保駅か、中央線の大久保駅と云うことになる。
 で、私は、大久保駅だと思っているのである。
 最近出掛けていないが、私はこの辺りに、図書館巡りと云う道楽を通して土地勘があるのである。――嘗て新宿区立図書館で本を借りていた時期があって、主に中央図書館に通っていた。通い始めた当時は、現在、建て替えられて下落合図書館になっているところが中央図書館だった。よって高田馬場駅(早稲田口)で下りて短い盛り場を抜けて神田川を渡って通っていたのだが、建て替えられることになって中央図書館は廃校になった学校(新宿区立戸山中学校)の建物に移転した。こちらは駅から少し歩くので、高田馬場駅の戸山口か、新大久保駅を利用した。しかしそのうち勤務場所が変わって定期券では高田馬場駅新大久保駅で乗降出来なくなったので、大久保駅の北口から歩いたのである。同じ道を歩いても詰まらないので、新宿区百人町2丁目の大久保通りの、大久保駅新大久保駅の間から北へ「裏の通り」すなわち中央病院通りへ抜ける道路は全て歩いている。都内勤務でなくなってからも、コロナまでは都内の図書館を利用していたのでたまに通っている*2。だから、主人公たちが遊んでいた「道」は、現在の百人町2丁目11番と10番の間を真っ直ぐ北へ、中央病院通りへ抜ける道だろうと思う。道の左側は南から11番と12番、右側は10番・9番・8番・7番で、10番と9番の間は1段、9番と8番の間は3段、8番と7番の間の道は5段と、右側からこの道に下りる東西の道は階段になっていて乗用車の通行が出来ない。しかも北へ進むにつれ次第に高くなっている。ただ病院通りに近い辺りはマンションやビルになっていて、石垣があったかどうかの痕跡もないのだけれども。
 とにかく私は、この記述に合う場所はここしかないと思っているのだけれども、講談社文芸文庫たまらん坂』241~250頁、篠崎美生子 編「年譜」には、241頁上段10~12行め、

一九三七年(昭和一二年) 五歳
父の転勤で東京に戻る。淀橋区西大久保/(現・新宿区大久保)に住む。‥‥

とあって、大久保駅の北東・新大久保駅の北西ではなく新大久保駅の北東、現在の新宿区大久保2丁目と云うことになる。私はこの辺も、百人町2丁目ほどではないがある程度歩いている。しかし、北に進んだときに「左側」が高くなる場所はあるが、「右側」が高い場所はなさそうである。
 『漂う』を読んでも、やはり本作と同じ場所に住んでいたらしく読める。「大久保通り」の冒頭部を抜いて置こう。10頁3行め~11頁2行め、

 五歳から十二歳まで、幼年時代から少年時代にかけての七年間の中心を、あたかも/太い軸のように一本のバス通りが貫いている。両側に商店がびっしり並び、次の新宿/駅でぶつかる山手線と中央線の電車のガードを短い間に二つもくぐる道路である。昭/和十年代であったから、まだ荷馬車が通ったり、リヤカーを引く自転車が走ったり、/戦争が進むと木炭バスが白い煙をあげながら喘*3ぐように過ぎたりもした。【10】
 大久保通りと呼ばれるその道から少し北へはいった住宅地の二階建の小さな借家/に、両親と兄に祖母を加えた五人家族で住んでいた。‥‥


 やはり大久保通りの山手線(新大久保駅)と中央線(大久保駅)のガードに挟まれた北側、東京市淀橋区(大久保)百人町3丁目、現在の新宿区百人町2丁目10番か11番らしく思われるのだけれども。(以下続稿)

*1:ルビ「あけし 」。

*2:東中野駅から北新宿図書館、或いは神田川沿いを延々歩いて下落合図書館まで行くこともあった。西落合図書館以外の新宿区立図書館では、本を借りたことがある。

*3:ルビ「あえ」。