瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(128)

・杉村顕道の家系(1)
 一昨日、9月27日付「青木純二『山の傳説』(03)」に示した、丸山政也・一銀海生『長野の怖い話 亡霊たちは善光寺に現るの典拠を拾う作業として、昨日の記事の末尾に述べたように、田中貢太郎『日本怪談実話〈全〉』河出書房新社版)を最後から(!)通覧したのだけれども、234話もあるものだから改めて色々気付いたことであった。
・【219】杖を置いた音(324頁6行め~325頁1行め)
 前置きを抜いて置こう。324頁7~11行め、

 これは鶴岡市の杉村幹君の話である。杉村君は明治四十四年、仙台の第二高等学校へ入学したが、そ/の時杉村君は、同郷の先輩東野政造君が光禅寺通りにいたので、そこで厄介になっていた。杉村君はそ/の時、東野君の母堂寿井さんから次のような話を聞いた。
 それは東野君のお父さんが郷里山形県東田川郡役所の郡書記を勤めて、藤島村に住んでいた時の事で/あったが、‥‥


 第二高等学校は東北大学の前身の1つ。仙台市の光禅寺通は、仙台駅西口から北北西に延びる、定禅寺通りまでの道幅の広い、5~6車線ある駅前通の先、1車線になって続く通りを現在は指しているが、その範囲には若干の変遷があるらしい。
 東野政造について検索すると、国立国会図書館デジタルコレクションの東野政造『荘内略史』(明治二十六年十二月五日印刷・明治二十六年十二月五日御届・明治二十六年十二月十五日發行・定價金七錢・東野政造・目次一+廿五丁)がヒットする。明治26年(1893)に郷土の歴史を纏めた本を出しているところからして、明治生れとしても初年の生れであろう。奥付には「著者兼發行」者名に添えて「山形縣羽前國西田川郡鶴岡町七軒町/乙七番地士族」とある。庄内藩士の家柄で「郷里山形県」と云うのは、明治44年(1911)当時、東野家は一家を挙げて仙台に移り住んでいたからであろう。東田川郡役所(1878~1926)は藤島村(末期には藤島町)に置かれていた。
 それはともかく、ここで注意されるのは田中貢太郎(1880.3.2~1941.2.1)にこの話を伝えたと思しき人物「杉村幹君」である。既に名前だけは9月9日付「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(112)」に、杉村顕道の兄、として挙げていた。叢書東北の声11『杉村顕道怪談全集 彩雨亭鬼談』の杉村顕道の次女・杉村翠の談話「父・顕道を語る」から、家系について述べた箇所を抜いて置こう。1節め「東京時代」の437頁上段18行め~下段14行め、

 父は明治三十七(一九〇四)年に、現在の東京都新【上】宿区戸山で生まれました。父の父、つまり私の祖父/の正謙が、戸山脳病院を経営していたためです。祖/父は旧庄内藩士の家に生まれ、祖母もやはり旧庄内/藩士儒者だった犬塚甘古(一八三七~一九一二。旧庄/内藩士。藩校致道館儒員 )の/長女でした。山形県鶴岡市から東京に出た祖父は、/京橋の警察署長から警視庁の衛生部長を務めました。/精神疾患を持つ人たちが事件を起こして、警察署に/連行されて来る。当時のことですから、そんな人た/ちを治療する施設もなかったんでしょう。これはな/んとかしなければならないと、明治三十三(一九〇〇)年に戸山脳病院を設立したと聞いています。の/ちに、やはり警視庁に勤めていた父の兄の幹が経営/を引き継ぎました。幹は、現在、国立がんセンター/名誉総長を務めている杉村隆の父に当たります。


 杉村正謙が生れたのは江戸時代だから、正謙に対して「庄内藩士の家に生まれ」はおかしい。また「鶴岡市」も大正13年(1924)市制施行までは西田川郡鶴岡町だったのだから、正謙に関連して述べる際は単に「鶴岡」として置けば良いと思う。なお、犬塚甘古に附されている括弧の中は割書。
 なお、杉村翠の従兄・杉村隆(1926.4.20生*1)には「季刊生命誌」連載の談話「Scientist Library −人を通して−」の通巻33号(2002夏)に、杉村隆「チョウとがんと未知なるものと私」があり、Webサイト「JT生命誌研究館」の「サイエンティスト・ライブラリー/~ 日本の生命研究を築いた研究者の一覧 ~」にて閲覧出来る。談話本文には家族について触れるところはないが、写真の説明の中に僅かながら父親や母校・結婚相手に触れた箇所がある。(以下続稿)

*1:2020年12月25日追記】2020年9月6日歿。「朝日新聞」48229号、2020年9月15日付朝刊36面「杉村隆さん死去/がんセンター名誉総長」。

田中貢太郎『新怪談集(実話篇)』(01)

・『日本怪談実話〈全〉』

日本怪談実話〈全〉

日本怪談実話〈全〉

・二〇一七年一〇月二〇日 初版印刷・二〇一七年一〇月三〇日 初版発行・定価1800円・349頁・河出書房新社・四六判並製本
 桃源社版は未見。河出書房新社版の349頁の裏、奥付の前の頁、下部中央に小さく、

*本書は田中貢太郎『日本怪談実話〈全〉』(桃源社、/ 一九七一年八月刊)を底本とする。巻頭の「冕言」は/ 原著『新怪談集(実話篇)』(改造社、一九三八年六月/ 刊)に序文として付されたもの。著者物故につき、表/ 記などはそのママとした。

とある。「原著」は国立国会図書館デジタルコレクションの[国立国会図書館/図書館送信限定]なので、国立国会図書館の端末で1度見たきりである。青木純二関係の調べ物も溜まっているので、早く出掛けたいと思っているのだが、目先のことに追われて‥‥。

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 何度か当ブログでも回想したことのある私の高校の図書館に、ちくま文学の森『恐ろしい話』が入って、一通り読んで見たのだが、やはり私は作り事の怪談には醒めてしまうところがあって、中学・高校の頃に級友や部の後輩などから聞き書きをした学校の怪談でも良く出来た長い話よりも何処で聞いたかも覚えていない断片を聞き出すことの方に喜びを覚えたのである。

恐ろしい話 (ちくま文学の森)

恐ろしい話 (ちくま文学の森)

 だから、私は岡本綺堂「利根の渡」を読んで、全く怖いと思わなかった。この盲人の執拗さ(シツコサ)は日本のものではない、と感じて、引いたのである。岩波文庫『江戸怪談集(中)』で浅井了意『伽婢子』を知るに及んで、凡そ「利根の渡」も翻案の類だろう、と思っていたら、その後『岡本綺堂読物選集』の岡本経一「あとがき」にて、柴田宵曲により紀昀『閲微草堂筆記』が典拠と指摘されていることを知って、さてこそ、と思ったのである。――おすぎが映画『ALWAYS 三丁目の夕日』の小雪を見て「昭和30年代にこんな人、いません!」と言ったそうだが、私も「江戸時代にこんな人、いません!」と言いたい*1。そしてこれが、私をして岡本綺堂を久しく敬遠させる方向に作用したのであった。
 田中貢太郎「竃の中の顔」も読んだが、どうも、作り事臭さが鼻について、やはり怖いとも何とも思わなかったのである。それならばむしろ、完全に作り事である夢野久作「死後の恋」の語りの面白さに惹かれたのであった。夢野久作田中貢太郎も、その後久しく読まなかったけれども。
 それはともかく、高校の図書館には河出文庫から出ていた『日本の怪談』もあったと思う。 表紙に見覚えがあって、手にしたこともあると思うのだが、内容は全く覚えていない。澁澤龍彦『東西不思議物語』は覚えているのだけれども。――何となく目を通して、借りなかったのだろう。 何年か前から、桃源社版『日本怪談全集 Ⅰ』を何度か借りて読み、田中氏の怪談についても一応確認して置かないといけない、と思っていたところに、河出書房新社版『日本怪談実話〈全〉』が出たのである。
 小説じみた話も少なくないが「実話」を謳っていて、他の怪談集に出ている(と云うか、他の怪談集や雑誌記事などから採ったらしき)話も少なくなく、内容について、色々と確認して置きたいところがあるのだが、切っ掛けがつかめずにそのままにしていた。しかるに昨日記事にした、丸山政也・一銀海生『長野の怖い話 亡霊たちは善光寺に現る』の典拠の確認をしていて、「三十一 山で撮影した写真 大町市及び木曽郡」を最近どこかで読んだ覚えがあって、巻末の「参考文献・出典・初出・引用」を眺めて本書のことを思い出し、昨日、近所の図書館に寄って借りて、これまでは拾い読みであったが、一通り舞台となった場所について見て行き、丸山氏が利用した4話を拾い出して一覧に追加することが出来たのだった。
 と同時に、丸山氏の再話と比較しつつ、若干の考証を試みたのである。(以下続稿)

*1:だから私は『伽婢子』も余り好きではない。巧く日本に翻案してあるが、やはり日本の話のように思えないので、空言のように感じられてしまうのである。