瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

図書館派の生活

 当ブログを始めて半月を経て、今のところ種が尽きる気配はない。いくらでも書くべきことは(読むべきかどうかはともかく)ある。いずれ怪談が占める割合が高くなる時期が来るだろうとは思ったが、初めからそうするつもりはなかったのが、早速こんな風になってしまった訳だが、そのうちに全く色合いの違う内容になって「ブログを間違えたか?」と思われるようにしたいと思っている。
 私は図書館派で、小学4年生の頃から図書館通いを始め、小学6年生のときには県立図書館で書庫請求をするといった按配だった。ただ、大学生の頃までは文庫本は(図書館で借りて吟味した上で)買っていたが、大学院に入る頃には置き場に困って買わなくなった。修士論文を作成する頃には関係文献をコピーしていたが、博士論文作成に当たってはコピーも面倒になって止めた。整理して置いておく場所がない。そのうち出世して、大学の研究室という置き場を確保できる見込みがあれば別だが、既に修士に入る頃に上の就職が滞り始めていたのでそんな妄想もなく、特に私の専門分野の本は行けばいつも書棚に鎮座していたから、所有しなくても複写を取らなくても、見たいときに図書館に行きさえすれば、借りられたのである。
 さて、一から書いていたらこんなペースでアップし続けることは到底無理だから、旧稿に手を入れて、適当に区切って使っている(それにしてもよくもまぁ書いておいたものだと呆れる)のだが、しかしさすがに公開するときにはメモを見るだけでは不安で、使用した本を手許に置いて確認はしておきたい。ところが、今アップしているような内容の本は――私は近代文学専攻でも民俗学専攻でもなんでもないのだが――借りに行って、書棚にない、ということがよくある。そのためにこの短い間にも、続かなくなったりしている訳だ。それで書けそうな方面を押さえておく必要から、いろんな方面に手を伸ばす必要が生じて(もちろん、更新を休めばいいのだが……)、借りる冊数もどんどん増えて、今50冊以上借りているはずである。それはともかく、確認出来次第、滞っている続きをアップしたいと思っている。
 そんな訳で、こんなことを書くと呆れられるかも知れないが、ここまで使った本の、殆どを持っていない。みんな借り物である。いや、思い返せば、修士課程の頃の初めての学会発表を、図書館で借りた本で済ませて「買え!」と呆れられたこともあった。しかし所有せずとも、図書館という宝の山に、いくらも材料は転がっている、というのが、30年にならんとする私の図書館生活での実感なのである。
 親譲りなのか、買わないで出るのが何だか後ろめたく、そんなに金も持っていないのでひやかしも出来ず、それで古本屋にはあまり縁がない。その上、始末家なので、余所で8000円で出ている本で図書館にも滅多に所蔵がなく、しかも美本が800円で出ているのを某古書店で見かけながら、取り敢えず一日待って、などと思っているうちに逃してしまったというアホなこともしている*1

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 投稿してからいろいろ不備に気付く、という悪癖のため、投稿後毎回、少し手を入れています。ただ、それは次の記事をアップするまでで、それ以降に修正する場合には注記を添えて、原文の形が分かるようにして直すつもりです。
 数字や漢字の表記、引用では原文のままだが地の文では算用数字にする、とか、正字に拘らず通行の字体にする、といったようなことを書きましたが、どうもそう簡単に決められそうもありません。忠実に再現出来ない以上、思い切って書き換えてしまえば良いとも思うのですが、それでは実物とあまりにも違い過ぎるようにも思えて、一応下調べの筆写は実物の字体をそのまま写しているので、なんだか勿体ないような気もするのです。
 一昨日・昨日に、明治・大正期の写真について言及しましたが、今のところ図版を掲載するつもりはありません。まず、スキャナもデジカメも持っていないので技術的に不可能なのです。また、図版掲載・転載には権利の問題もあります。かつて院生時代に、論文を出版することになった先輩が図版の掲載許可を取るのに面倒な手続きを踏むのを見ていたこともあって、二の足を踏んでいます。そこで、ネット上に必要な図版を掲載しているページがあればそれを指示しますし、なければどこにあるかを示すにとどめます。差し当たりamazonで本の表紙を表示するのみです。

*1:2020年6月1日追記】この本の書名は2020年4月12日付「赤いマント(232)」の付け足り、某古書店すなわち「ささま書店」閉店に寄せて、述べた。