瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

新潮文庫『小泉八雲集』(4)

 続き。
 にあった注で説明が書き換えられているものも若干ある。
 二三「辰の刻 午前八時ごろに始まる〔二時間〕。」→二四「辰の刻 午後八時〔およびその後の二時間=訳注〕。」。
 五九五九「天正の御代」の説明天正時代は一五七三年から一五九一年。……」→天正時代は一五七三年から一五九二年。……」。
 六〇六〇「小栗宗丹」の説明の最後にでは「〔訳注〕法名は宗湛。」が追加されている。
 一二五一二九の注の見出し語「もちろん、死んだ人です」→「もちろん、死んだ人です!」大した違いではないが。
 二二三二二九「わたしが初めて百済から……お授けになられました」の説明の冒頭「斎明天皇」→斉明天皇」。また①②とも「百済は、古代朝鮮の東南部にあった王国で」とあるが、東南部にあったのは新羅で、百済は南西部である。
 二三一二三七「ショーペンハウエル」は〔訳注〕だが、4行から6行に増えている。すなわち「……、人生を最悪の世界であるとして、それよりの解脱をプラトン的な芸術的静観と涅槃によらねばならないと説き、ヨーロッパのペシミズム……」→「……、われわれ人間は本来盲目的な生存意志に支配される存在であるから、つねに満たされぬ欲望を追いつづけ人生は苦痛となる。従ってこの苦痛から脱却する道として、プラトンイデアを介しいっさいを超越する芸術的解脱に至るか、あるいは人間の意志をすべて完全に否定する倫理的諦観によるしかないと主張し、ヨーロッパの厭世……」と長くなっている。
 二六三「一国家の秩序ないし無秩序は……」二七一「一国家の秩序ないし無秩序は……達成されまい」と見出し語が違っているが、以下の説明文はほぼ同じでの末尾「陸軍においても彼は、要職にあった。」をで「……、要職にある。」に改めているのは、彼=鳥尾小弥太(1847*1〜1905)が八雲より後まで生きているのを忘れて過去形にしてしまったのを改めたのであろう。ここの本文は4頁分(259〜263頁267〜271頁)の長い引用だが、ざっと比較したところ細々と手を入れてあることに気付かされる。
 二六四「極東の精神」二七二「『極東の魂』」の説明文もかなり手を入れてある。以下、異同を列挙してみよう。①「西欧人・表面に・西欧・「精神力」・スペンサー氏・力・西欧的個性・まれ・日本の明らかな知識層・創造的な思考・高度な独創的な直覚力・受動的・アリアン民族・普通教育・あまりほめられないことのように思われる・指導者・内容・重大な影響・なっている」→「西洋人・目に見えて表面に・西洋・「性格の力」・〔ハーバート・〕スペンサー氏・能力・西洋的個性・きわめてまれ・日本の知識層・創造的思考・もっとも高度の独創的な知覚力・受容的・アーリア人・公教育・あまりほめられることのように思われない・権威・新知識・重要な成果・なりつつある」。やはり一からやり直すのではなく、ちょこちょこ細かい表現に手を入れている。本文にもこのような細かい修正が入っているようだ。
 なお、二五八「戦場において……」二六五「戦場において……勝利者である」の見出し語の相違だが、本文での注*は該当箇所の最後に附されているので、末尾が引いてなくても問題はない。
 二九四「護送者の剣」三〇四「逮捕した巡査の剣」は見出し語(=本文)の相違〔訳注〕。
 三一四三二五「鬼も十八」の「「鬼も十八、薊の花*2」。同じく鬼についてこんなことわざもある――」までは共通するが以下「「蛇も二十*3」」「「鬼も十八、蛇も二十*4」」。(以下続稿)

*1:厳密に換算すると1848年。

*2:ルビ「あざみ」。

*3:ルビ「はたち」。

*4:ルビ「じや・はたち」。