瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

四代目桂文團治の録音(5)

 10月7日(4)の続き。

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 これらの録音だが、ラジオでも放送されたことがあって、ネット上に聞いた人の感想なども散見され、その録音を聞くことも出来る*1
 昭和51年(1976)3月14日に大阪の朝日放送ラジオで「帯久」が放送されている。CDの監修・解説を担当している前田氏は解説書の「よみがえった幻の落語家」で、この放送で初めて聞いた文團治の、かつ初めて聞く演目であった「帯久」の驚き・新鮮さについて述べている。それから上方話のHP「上方落語うだうだ話」の平成13年(2001)10月14日第25話「文団治の「帯久」」に、桂米朝の「帯久」との違いが詳しく検討されている*2
 確かにこの「帯久」は凄いと思った。40分かかる話を25分に纏めて、少しも不自然さを感じさせない。晩年「もう二十、いや十歳若かったら、天下取れたのに」と弟子によく言っていたそうだ(解説書3頁)が、戦後、孫ほど年の離れた若手が「四天王」と称されるようになって行くのを見ていて、そのような感慨を抱いたのも無理はないように思える。
 なお、前田氏によると「鬼あざみ」も「同じ番組」で放送されたという(2頁)。 
 東京では、TBSラジオ川戸貞吉「早起き名人会」にて、昭和55年(1980)5月3日の第5回のゲスト、柳家小さんが「さて来週なんでございますが、……来週はですね、四代目桂文團治さんが登場いたします、恐らくこれは関東初登場だと思うんでございますけれども、師匠、四代目文團治さんはこれはもう何回か……」と川戸氏に振られて「えー。話も教わりましたよね」「あーそうですか、はぁ」「「らくだ」ね、「帯久」なんてえ話をね教わりましたけどね」「あーそうですか、どこでですか? やっぱ大阪行ったときですか?」「いやいやいや。東京へ出て来てね、こないだ亡くなった文治さんのね、二階でもって教わったんですよ」「あーそうですか、実は今出た、出ましたねその「らくだ」、「らくだ」があるんですよ」「あー」「それで来週はその「らくだ」をですね、たっぷりその、東京の所謂落語ファンの人に聞いていただこうと、斯様に思ってるんでございます」という話になっている。
 そして、昭和55年(1980)5月10日(土)5時15分からTBSラジオ川戸貞吉「早起き名人会」第6回で、ゲストに桂米朝を迎えて四代目桂文團治の「らくだ」が放送されたのである。(以下続稿)

*1:敢えて貼らないで置く。

*2:上方落語うだうだ話」は、10月上旬にこの記事の草稿を作成したときにはリンクしていたのだが、今日試してみたらNot Foundになっていた。復帰を祈って一応リンクはそのままにして置く。