10月7日(4)の続き。
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これらの録音だが、ラジオでも放送されたことがあって、ネット上に聞いた人の感想なども散見され、その録音を聞くことも出来る*1。
昭和51年(1976)3月14日に大阪の朝日放送ラジオで「帯久」が放送されている。CDの監修・解説を担当している前田氏は解説書の「よみがえった幻の落語家」で、この放送で初めて聞いた文團治の、かつ初めて聞く演目であった「帯久」の驚き・新鮮さについて述べている。それから上方話のHP「上方落語うだうだ話」の平成13年(2001)10月14日第25話「文団治の「帯久」」に、桂米朝の「帯久」との違いが詳しく検討されている*2。
確かにこの「帯久」は凄いと思った。40分かかる話を25分に纏めて、少しも不自然さを感じさせない。晩年「もう二十、いや十歳若かったら、天下取れたのに」と弟子によく言っていたそうだ(解説書3頁)が、戦後、孫ほど年の離れた若手が「四天王」と称されるようになって行くのを見ていて、そのような感慨を抱いたのも無理はないように思える。
なお、前田氏によると「鬼あざみ」も「同じ番組」で放送されたという(2頁)。
東京では、TBSラジオの川戸貞吉「早起き名人会」にて、昭和55年(1980)5月3日の第5回のゲスト、柳家小さんが「さて来週なんでございますが、……来週はですね、四代目桂文團治さんが登場いたします、恐らくこれは関東初登場だと思うんでございますけれども、師匠、四代目文團治さんはこれはもう何回か……」と川戸氏に振られて「えー。話も教わりましたよね」「あーそうですか、はぁ」「「らくだ」ね、「帯久」なんてえ話をね教わりましたけどね」「あーそうですか、どこでですか? やっぱ大阪行ったときですか?」「いやいやいや。東京へ出て来てね、こないだ亡くなった文治さんのね、二階でもって教わったんですよ」「あーそうですか、実は今出た、出ましたねその「らくだ」、「らくだ」があるんですよ」「あー」「それで来週はその「らくだ」をですね、たっぷりその、東京の所謂落語ファンの人に聞いていただこうと、斯様に思ってるんでございます」という話になっている。
そして、昭和55年(1980)5月10日(土)5時15分からTBSラジオ、川戸貞吉「早起き名人会」第6回で、ゲストに桂米朝を迎えて四代目桂文團治の「らくだ」が放送されたのである。(以下続稿)