瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

鳥山喜一『黄河の水』の文庫本(2)

 3月22日付(1)の続きで、改訂版(改訂十二版)と改版(改版八版)の比較。
 この改版のタイミングであるが、昭和47年(1972)9月29日の、中華人民共和国との「日中国交正常化」に伴うものである。従って、著者鳥山喜一(1887.7.17〜1959.2.19)の与り知らぬ改版である。この、日本で「支那」が使用されなくなる事情に関しては、やなぎ氏のブログ「李香蘭と支那の夜 〜名曲・蘇州夜曲の謎を解く〜」の、2012年12月9日付「支那は差別語?その4「差別語になった理由」」等に詳述されている。
 1頁(頁付なし)扉は、角書が〈支那/小史〉から〈中国/小史〉と変わっている他は一致。
 3〜5頁、改訂十二版は「この書を手にされる方方へ」と題しているが、改版八版は「この書を手にされる方々へ」である。最後(5頁、改訂版7〜8行目、改版11〜12行め)に「昭和二十六年 憲法記念日/鳥山喜一」とある。昭和26年(1951)、本書が角川文庫に収録されるに際して書かれたものである。このうち、文庫以前の版や文庫収録の際の改変について触れた部分、改訂版4頁12行め〜5頁4行めを引用して置こう。

 さて「黄河の水」の名によって、最初の版を世に送ってから、もう二昔の余もすぎました。そ/の間に著者は、この書の内容とまたこの書の一つの特色となった插画とには、たえざる注意を払/って来ましたし、またそれによって長い生命をつづけることもできました。なおまた最初に著者/が目標とした「少年子女のため」だけでなく、思いもかけなかった広い範囲の読者層に迎えられ/たのも事実でありました。それは著者が念じたシナ歴史への関心と理解とが、この書を通じてい/く分なりとも成功したのかと、大きい喜びにもなりました。【以上4頁】
 敗戦後にもすでに新しい版は出しましたが、いまここに多くの書きかえもし、新しい事実中国/人民政府の建設もとり入れて、角川文庫の一冊とすることとしました。文庫本となりましたから、/いままでこの書のレッテルともいうべき形で、長くつづけられていた特別の装幀や表紙画などは、/多くの插画とともに、割愛のやむなき次第となりました。


 改版4頁13行め〜5頁8行めでは、「插画」が「さし絵」に、「つづけ」が「続け」に、「シナ」が「中国」に、「いく分」が「いくぶん」に、「いま」が「今」に、また「新しい事実」の次に読点を補っており、「装幀や表紙画」が「装丁や表紙絵」となっている。他の表記替えはともかくとして、本文中に頻出する「シナ」についてだけ点検してみるに、以下全て「中国」に改められている。
 さて、改訂版と改版とで1行の字数は43字で同じなのだが、これらの書き換えと1頁の行数が18行から16行に減った(空白の行は行数に入れていない。4頁にはそれぞれ2行分の空白がある)ため、改版では「注意を」までが4頁で「払って」からが5頁である。なお、引用した2つの段落の間、改訂版では頁移りしているが空白はないようである。しかし改版ではここに1行分の空白を設けている。
 7〜12頁「目次」、頁は下部に半角漢数字にて入る。異同を挙げて見る。
・7頁2行め「この書を手にされる方方へ  三」→「この書を手にされる方々へ  三」これは既述。
・7頁3行め「黄土を舞台に  一三」→「黄土を舞台に 国史のあけぼの  一三」
・7頁12行め「上手な釣人  二七」→「じょうずな釣人  二九」*1
 これらは、当然のことながら本文の見出しの方も変わっている。
 本文は改訂十二版は13〜184頁、改版八版は13〜198頁。(以下続稿)

*1:本文では改訂版にはルビ「つりて」がある。