瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

水村美苗『本格小説』(3)

 昨日の続きで、今度は(下)の裏表紙折返し。「|新潮文庫現代文学|」と題して、やはり作者名の50音順で26点27冊。
青木淳悟 四十日と四十夜のメルヘン/青山光二 吾妹子哀し/阿部和重 インディヴィジュアル・プロジェクション/池澤夏樹 マシアス・ギリの失脚/絲山秋子 海の仙人/鹿島田真希 六〇〇〇度の愛/川端裕人 おとうさんといっしょ車谷長吉 鹽壺の匙/佐伯一麦 ア・ルース・ボーイ/佐藤友哉 子供たち怒る怒る怒る/柴崎友香 その街の今は/柴田 翔 贈る言葉小路幸也 東京公園/中原昌也 あらゆる場所に花束が……/ねじめ正一 高円寺純情商店街蓮見圭一 水曜の朝、午前三時/氷室冴子 いもうと物語/星野智幸 目覚めよと人魚は歌う/堀江敏幸 おぱらばん/舞城王太郎 阿修羅ガール村上春樹 海辺のカフカ(上・下)本谷有希子 生きてるだけで、愛。/森見登美彦 太陽の塔山田詠美 ぼくは勉強ができない/吉田修一 東京湾景よしもとばなな みずうみ」。
 やはり読まないと思うので、書影を並べて見る。
・平成4年(1992)

高円寺純情商店街 (新潮文庫)

高円寺純情商店街 (新潮文庫)

・平成6年(1994)
いもうと物語 (新潮文庫)

いもうと物語 (新潮文庫)

ア・ルース・ボーイ (新潮文庫)

ア・ルース・ボーイ (新潮文庫)

・平成7年(1995)
鹽壺の匙 (新潮文庫)

鹽壺の匙 (新潮文庫)

・平成8年(1996)
ぼくは勉強ができない (新潮文庫)

ぼくは勉強ができない (新潮文庫)

マシアス・ギリの失脚 (新潮文庫)

マシアス・ギリの失脚 (新潮文庫)

・平成12年(2000)
インディヴィジュアル・プロジェクション (新潮文庫)

インディヴィジュアル・プロジェクション (新潮文庫)

・平成16年(2004)
目覚めよと人魚は歌う (新潮文庫)

目覚めよと人魚は歌う (新潮文庫)

・平成17年(2005)
海辺のカフカ (上) (新潮文庫)

海辺のカフカ (上) (新潮文庫)

海辺のカフカ (下) (新潮文庫)

海辺のカフカ (下) (新潮文庫)

あらゆる場所に花束が… (新潮文庫)

あらゆる場所に花束が… (新潮文庫)

阿修羅ガール (新潮文庫)

阿修羅ガール (新潮文庫)

水曜の朝、午前三時 (新潮文庫)

水曜の朝、午前三時 (新潮文庫)

・平成18年(2006)
吾妹子哀し (新潮文庫)

吾妹子哀し (新潮文庫)

太陽の塔 (新潮文庫)

太陽の塔 (新潮文庫)

東京湾景 (新潮文庫)

東京湾景 (新潮文庫)

海の仙人 (新潮文庫)

海の仙人 (新潮文庫)

・平成19年(2007)
贈る言葉 (新潮文庫)

贈る言葉 (新潮文庫)

・平成20年(2008)
子供たち怒る怒る怒る (新潮文庫)

子供たち怒る怒る怒る (新潮文庫)

おとうさんといっしょ (新潮文庫)

おとうさんといっしょ (新潮文庫)

みずうみ (新潮文庫)

みずうみ (新潮文庫)

・平成21年(2009)
おぱらばん (新潮文庫)

おぱらばん (新潮文庫)

生きてるだけで、愛。 (新潮文庫)

生きてるだけで、愛。 (新潮文庫)

その街の今は (新潮文庫)

その街の今は (新潮文庫)

東京公園 (新潮文庫)

東京公園 (新潮文庫)

四十日と四十夜のメルヘン (新潮文庫)

四十日と四十夜のメルヘン (新潮文庫)

六〇〇〇度の愛 (新潮文庫)

六〇〇〇度の愛 (新潮文庫)

 こちらの下限は平成21年(2009)8月である。(上)の「|新潮文庫 女性作家の作品|」と重なるのは山田詠美、吉本(よしもと)ばなな、そして水村氏も他の本のカバーを見ないと断言は出来ないが、両方に載っているのだろう。但し山田氏と吉本氏は作品が違っているが、水村氏はどうなっているのかは、他の、この2つのリストに載っている作品のカバーで確認しないことには分からない。いや、別の作品が出ているのなら、リストから抜く必要はない訳で『本格小説』が出ているのだと思う。だとすると唯一の重複例ということになる。それから、この2つは同じ時期に作成されたリストなのか、それとも時差があるのか、という問題(?)だが、これは私のような追い掛け方をしていたのでは、たぶん、分からない。何となく、同じ時期に作成されたもので、(上)(下)とも、同じ時期にカバーを掛け替えたのだと思うのだけれども。或いは、一時的なリストではなく「新潮文庫 日本の近代文学」や「集英社文庫ヤング/スタンダード」改め「集英社文庫 ザ・スタンダード」みたいに、一部差替えながら、これらの本のカバー裏表紙折返しに載り続けているのかも知れないが、生憎私はこの辺りの本を読まないので今は分からない。とにかく水村氏の作品の扱いがどうなっているのか確かめるために、昨日今日せっせと貼り付けた本についても、今後気を付けて見たいと思うのである。