瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

鳥山喜一『黄河の水』の文庫本(5)

・角川文庫155(5)
 昨日の続き。
「沙漠の征服 漢時代」改訂版45〜54頁改版八版48〜58頁改版三十二版48〜58頁
・49頁、地図「前漢代要図」→書直し 51頁→51頁
「ローマへの道 後漢時代」改訂版55〜63頁改版八版59〜68頁改版三十二版59〜69頁
・59頁、地図「後漢代要図」→書直し 63頁→63頁
・62頁下「漢時代の風俗。……。後漢時代の石刻(画象石)……」→写真差替え 67頁下→67頁
「北方の嵐 三国・晋・南北朝時代」改訂版64〜76頁改版八版69〜82頁改版三十二版70〜83頁
・65頁上左、地図「三国分争要図」→書直し 70頁上右→71頁上左
・69頁上左、地図「胡族侵入/概見図」→書直し 75頁上左→75頁上左
・71頁上左、地図「南北朝初期対立図」→書直し 77頁上左→77頁上左
・73頁上左「王羲氏の書と伝えられる書/巻の一部(皇室御物)。」→79頁左*1→81頁左
・75頁上左「上図は山東省泰山経石峪(けいせきよく)の/金剛経刻字の拓本。……」→なし
「太陽の輝き 隋・唐時代」改訂版77〜95頁改版八版83〜102頁改版三十二版84〜104頁
・83頁、地図「唐代要図/(七世紀中心)」右上*2渤海国略図」→書直し 89頁→89頁
・84頁上右「則天武后の像」→なし
・90頁上、左「唐の顔真卿筆多宝塔碑拓/本の一部」中「唐の褚遂良筆雁塔/聖教序拓本の一部」右「唐の欧陽詢筆虞恭/公碑拓本の一部」→なし
論語の活用 五代・宋時代」改訂版96〜109頁改版八版103〜118頁改版三十二版105〜121頁
・99頁上左、地図「宋 遼 西夏対立図」→書直し 107頁上左→108頁上右
・103頁左「契丹文字」→なし
・105頁上左、地図「南宋西夏対立図」→書直し 113頁上左「南宋西夏対立図」→114頁上右
・なし→117頁左「山水図。南宋院体山/水画風をくむ元時代の/代表的作例。孫君沢の/作といわれる。/静嘉堂文庫蔵」→120頁右*3(以下続稿)

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 飼い鳥の背黄青鸚哥が死んだ。
 軒先に鳥籠を吊っているのだが、冬の寒さよりもこのところの気温の変化に体調を崩したようだ。実家は日当りが良かった。実家を出て初めて住んだアパートは2階で、狭いベランダは日当たりが良かった。大家さんの好意に甘えて外に吊していたが、羽が飛ぶので気になって仕方がなかった。今の家は庭があるので気兼ねなく鳥を飼えるのだが、庭があるのは両隣の家から少し引っ込んでいるためで、日当りが良くない。朝はなかなか日が差さない。夕方は早々に翳ってしまう。
 庭があるのに2階には吊れない。手乗りではないから家の中では飼えない。人間を仲間だと思っていないから、雀だの野鳥が飛んで来るとテンションが上がる。寒い日や台風の日に家の中に入れているとしょんぼりしている。寒くても外に出たいらしい。そんな風だからこちらとしても勝手にやってもらった方が、気が楽である。私が小学生の頃、子育ての途中で雌が急死したことがあって、図らずも雛の世話をすることになって、7羽の雛のうち、上の3羽は馴れなかったが、次の3羽が手乗りになった。末の1羽は幼すぎて死んでしまった。それも、母が専業主婦で、私が小学生だったから可能だったので、日中誰もいない家では無理である。私は飼い鳥なんて別に人間に馴れてないもんだくらいに思っているのだけれども、他の鳥はともかく鸚哥というと手乗りだと思っている人が多いらしいので、念のため。
 さて、死んだのは雄で、番で飼っていたのが、2年前に雌が行方不明になってしまった。どうしていなくなったのか、分からない。帰ったらいなかった。以来、新しい雌と番わせようと思いつつ、そのままにしていた。この夫婦の間には3年前に雛が5羽生まれ、皆成鳥になったが1羽は鳥籠の入口の戸を上げ下げするという悪い遊びを覚え、上げた戸が何かに引っ掛かって下りなくなって逃げてしまった。1羽は実家に所望されて与えた。猫が来るので鳥籠を高く吊るか、鳥籠の下に植木鉢を置かぬように注意したのだが、実家を出て(当時世話をしていたのは私だったが、父とてどんな風にしていたか見ているはず)10年経って当時の記憶が薄れたためか、枝が邪魔だから猫の踏み台にはならないだろうと高を括って植木鉢を置いたままにした上に、世話をするのにあまり高いと鳥籠の中が良く見えない、などと倅の忠告を無視したために、夜中に猫に襲われたらしく、鳥籠は下に落ちて私の与えた雄は行方不明、父が小鳥屋で買って来て番わせていたアルビノ(白)の雌の羽が散らばっていたとのこと。それでもう1羽くれというので、もう1羽、1時間半電車を乗り継いで連れて行き、するとすぐにまたアルビノ(白)の雌を買って来て番わせ、そしてこの冬に巣箱を入れて雛が5羽生まれ、皆無事成鳥になった。植木鉢はそのままだが、流石に反省して、それを踏み台にしても届かない高さに吊っている。
 その、父鳥が死んでしまった。昨日は晴れて暖かくなると天気予報で言っていたので、このところ体調が悪そうなことは気付いていたが、今日は身体も暖まるだろうと思って、外に吊ったままにして出掛けた。しかし1日晴れなかったようで、帰って見ると止り木におらず、下で震えていた。親指を思い切り噛まれながら小さな鳥籠に移したが、握った身体は冷え切っていた。段ボールの中を使い捨てカイロで暖めて、すっぽり収めて新聞紙で覆って、2階の部屋に据えて一晩様子を見たのだが、夜中に死んでしまった。寝ているすぐ傍らで鳴き声を聞いたが、起きて対応出来なかった。
 先日のNHK「ダーウィンが来た」317回で背黄青鸚哥の生態を紹介していたが、家に残っていた3羽は皆、原産地オーストラリアにいるのと同じ並背黄青で、というか原産地には並背黄青しかいないのだけれども、原産地は乾燥した高温の大陸だのに、低温で湿潤な土地で飼っている。実家は家よりも温暖で、かつ日当たりも良く乾燥している。家で生まれた5羽のうち今や雄と雌1羽ずつの2羽だけになってしまったが、今はまだ若いから良いとして、年を取ったら実家に預けることも考えないといけない。飼わなきゃ良いのかも知れないが。

*1:本文の改訂版73頁6行め・改版八版79頁7行め・改版三十二版80頁13行めには「王羲之」振仮名「おうぎし」とあるのだが、このキャプションの方は改版八版では修正されておらず、改版二十二版でも同様であったが、改版三十二版で漸く「王羲之」と修正されている。

*2:右を上にすると図の左上ということになるが、頁の天地に従った。

*3:キャプション同文だが、改版八版は冒頭1字下げだったのを詰めている。1行の字数は同じなので、以下、所蔵の前まで1字ずつズレている。