瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

日本の民話『紀伊の民話』(14)

 ここで「民話の手帖」からしばらく離れて、6月5日付(11)に取り上げた「新修日本絵巻物全集/月報」と同時に、先月末に借りていた次の本の返却期限が迫って来たので、取り急ぎメモを取って置くこととする。――本を買わずに、コピーも取らずにやっていると、どうしてもやることが貸出期間に縛られてしまう。

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 どうも、松谷氏の書いていることは、例えば5月9日付(05)に取り上げた「七十五なびき」にしても「請川の高山」にしても、何だか不安があるので、同じ伝承について別の文献がないか、探して見ました。当時近在に広まっていた伝承であれば、別に拾われている可能性もあろうと云うものです。
 まづ手近なところで、2021年8月4日付「白馬岳の雪女(08)」に取り上げた、角川書店版『日本の伝説』シリーズを借りて見ました。
・日本の伝説39『紀州の伝説』昭和54年10月20日  初版発行・角川書店・240頁・B6判並製本

 著者は「中村浩・神坂次郎・松原右樹」で、中村浩(1920.7.15~1985.8.23)神坂次郎(1927.3.2~2022.9.6)松原右樹(1943~2011.4.27)の年齢順に並んでいます。前半7~127頁、中村浩・松原右樹「紀州伝説散歩」は9~31頁「和歌山市域」33~56頁「紀ノ川をさかのぼる」57~75頁「紀北」が松原氏、77~103頁「熊野古道・中辺路」105~127頁「紀南・大辺路」が中村氏、後半129~235頁、中村浩・神坂次郎「紀州伝説十三選」は131~191頁までの6話が中村氏、192~235頁の7話が神坂氏の分担となっております。「紀州」としておりますが三重県北牟婁郡南牟婁郡であった辺りは含まれておりません。
 と、ざっと内訳を示してみたのですが、松谷氏と同じ話は本文には見当たりません。附録の「紀州伝説地図」を見ますと「大塔川」の流域では「田代の平家の旗竹」があるばかりです。図の左下にある枠に「 伝説13選にとりあげたもの/ 伝説散歩でふれたもの  / その他の伝説地     」とあって、本文には取り上げなかったが一応注意して置く、と云う扱いです。
 いえ、そうではなく――読物や観光案内としてではなくて、とにかく網羅的に伝説を集めて並べた「伝説集」はないものか、と思って見て行きますと、次の本に収録される和田寛「和歌山の民話・伝説」が、和歌山県に於ける「伝説名彙」的なものと位置付けられることが察せられたので、図書館に取寄せを依頼して借りて見たのでした。
・安藤精一 編『和歌山の研究』第五巻 方言・民俗篇(昭和53年5月20日  初版発行・昭和53年6月20日  第 2 刷・清文堂出版・口絵+408頁・A5判上製本 1~5頁、安藤精一「はしがき」に、1頁3~4行め「‥‥、清文堂出版株式会社の出版百年記念事業の一つとして/『和歌山の研究』六冊の編纂を依頼されてから、‥‥」とあります。そうすると『和歌山の研究』全6巻の企画と編成は版元の意向により、執筆者と論題の選定を当時和歌山大学経済学部教授だった安藤精一(1922.2.17~2018.2.28)が担った、と云うことになりましょうか。出来れば全巻眺めて置きたかったのですが、昔のように身軽でもなければ図書館に長居するのも疲れるし、以前は何十冊も鞄に詰めて歩いたものですが今はそんなに持ち歩けません*1。それはともかく、1頁9行めまでこのシリーズの特色を述べ、10行め以下5頁13行めまで「本巻に収められた内容を簡単に紹介」してありますが「和田寛氏の「和歌山の民話・伝説」は7篇中6番め、4頁13行め~5頁5行めに「県下に伝わる民話・伝説の集大成」として紹介されております。
 ところでこの「はしがき」、最後(5頁14行め)に「昭和五十三年二月」付とありますので、本巻の各篇の執筆は昭和52年(1977)までに為されたものでしょう。
 和田寛「和歌山の民話・伝説」は187~341頁、187頁(頁付なし)扉、188頁(頁付なし)「目  次」は頁が入っていないので見たいところを検出しづらい。189~190頁「は じ め に」191~195頁「一 発生と伝播」は他の諸篇と同じ組み方ですが、以下は2段組で文字も小さく、196~332頁「二 分布と分類」333~340頁17行め「語り口」そして最後、340頁18行め~341頁3行め「主要参考文献」に11点12冊を挙げてあります。
 出来れば細目を、地名とともにメモして置きたかったのですが、かなりの手間になりますので今回は必要な部分のみ摘記することとします。
 しかし、出来ればこれを増広して単行本化してもらいたかったところです。全6巻の和歌山県の地域研究の1冊では、都下の公立図書館には収まりようがありませんが、単行本であれば何処かしらの蔵書になったでしょうから。
 それはともかく、まづ、251頁上段17行め~274頁下段15行め「㈦ 動物の部」266頁上段14行め~下段13行め「⑼ 牛」に2話挙がりますが、その2話め(下段9~13行め)見出しは5字下げ2行半取りでやや大きく、

     平家の旗竹と牛
 昔、桶屋の和三郎という男が田代にある「平家の旗竹」と/呼ばれる竹を切ったところ、田代じゅうの雄牛が一度に吼/え、間もなく男は病死、家族も一年で死に絶えたという。本/宮町。

と、田代の旗竹の話が見えております。これは5月6日付(03)及び5月7日付(04)に見た、昭和34年(1959)秋に松谷みよ子が現地で聞いた話と合致します。――初め、196頁上段2行め~214頁上段16行め「㈠ 木の部」を一生懸命探しておったのですがまさか「牛」の方に分類されているとは思いませんでした。
 それから274頁下段16行目~290頁「㈧ 妖怪の部」275頁上段8行め~279頁下段7行め「⑴ 天 狗」に、松谷氏が「ぷいぷいぷい」の擬音を気に入った天狗の話も載っておりました。277頁下段1~6行め、

     栗山某と天狗
 請川*2大庄家栗山某が本宮から帰る途中、水呑という所で/怪しいものに出会い、刀で切りつけてみると小さな天狗であ/った。栗山某の刀は切っ先三寸に刃こぼれがあったので、こ/の小さな天狗はその間を通り抜けて逃げ去ったという。本宮/町。


 この話、先に触れた5月9日付(05)、そして5月14日付(06)に引いた『現代民話考』に決定稿が提示されている、松谷氏の「ぷいぷいぷい」の話と同根のものであることは間違いないでしょう。しかし、本稿は「主要参考文献」の10点めに挙がっている『日本伝説名彙』に倣って、分類・集大成した県下の伝説の要約を列挙したものですので、細かい描写は省かれております。しかしそれにしても異同が大きい。
 ここは、きちんと確認するためにも和田氏が依拠した原資料を見たいところですが、和田氏は個々の話の出典を示しておりません*3。尤も、「主要参考文献」には11点しか挙がっておらず『日本伝説名彙』と最後の『日本昔話名彙』は除外出来ますし他も地域が限定されて本宮の話を含んでなさそうなもの、既に載っていないことを確認済みのもの、が殆どでしたから、候補を絞り込むのはそんなに難しくはありませんでした。
 これらの話と松谷氏の話の異同、さらには疑問箇所の考証は、次回、和田氏が典拠とした文献と比較しつつ、行うこととしましょう。(以下続稿)

*1:9月1日追記】その後、もう1冊借りて見ましたが、ここからヒントを得て調べを進めるには至りませんでした。安藤精一 編『和歌山の研究』第六巻 研究文献目録・年表・索引篇(昭和54年6月30日  初版発行・清文堂出版・2+ⅲ+363頁・A5判上製本

*2:ルビ「うけがわ」。

*3:今からでも(題だけ列挙してあるものはもちろんのこと)もう少し話の内容を詳しく紹介し、出典及び内容の変遷も示した『和歌山県伝説集成』が実現しないものでしょうか。【7月16日追記】当記事に引用した2話の典拠については7月14日付(15)に、「平家の旗竹と牛」については7月15日付(16)に、「栗山某と天狗」については7月16日付(17)に検討しました。やはり和田氏の要約は簡略に過ぎて、和歌山県の伝説を総覧するのには便利でも、細かく検討するには適しておりません。詳細版の編纂が待たれるところです。