瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

織田作之助「續夫婦善哉」(6)

 昨日の続き。
 それでは『完全版』に収録されている白黒写真で、「続夫婦善哉」の直筆原稿を眺めて見よう。「61」枚め(一六一頁)6行め〜「64」枚め(一六四頁)6行め、抹消してある箇所は■で示した。その他、後から書き入れた箇所等には注を附して置いた。但し「金八の文面」にはかなり細かく手が入っているので、ここでは触れずに置くことにする。 

‥‥、いよいよ家を借りるといふ段取/の最中、大阪の金八から意外な手紙が来た。
 金八と蝶子は北新地時代に同じ抱主のもと/でひとつ釜の飯を食つた仲、蝶子が御蔵跡の/公園裏に*1二階■借りしてゐた時分、■■■■*2/【61】思ひがけず出會つて何年か振りの口を利き、/一緒に飯を食べたのが縁で、サロン「蝶柳」/の店をひらく金を出してくれ、その頃金八は/鉱山師の妻で收つて、びつくりするほどの羽/振りだつた。ところが、金八の文面によれば、/金八の亭主の*3鉱山師は「阿呆の細工に」悪ブローカ/ーに一杯くはされたとも知らず、幽霊鉱山に/持ち金全部つぎこみ、無一文になったどころ/か、借金さへ出来て、「いまでは、は(わ)びし(い)二/階がり■しています」蝶子はまるで信じられ/【62】なかつ*4たが、封筒の裏書きには△△方……と/やはり二階借りらしい住所があり、ほんまに/女の一生*5わからんもんやなあとしんみり讀/ん■■で行くと、「ヤトナになろか、しや味線/なりと教へて行こかと心(思)案してます。/六つの貰ひ子も親もとへかへしました。大阪/は今日もまたお天気が■は(わ)るいです」/と、悲しい文句ばかり書いてあつた。しかし、/あの時貸した金を返してくれとは一行も書い/てなく、それだけに蝶子は一層知らぬ顔はで/【63】きなかった。利子をつけて返せと当然要求し/てもよい筈だのに、しかもさうまで落ちぶれ/ながらそのことに觸れもしないとは、なんと/いふ出来たひとやろと、これまで返さずにゐ/たことがいつそ恥しく、たとへほかから借り/てでも送金しなければならぬと思つた。


 ちなみに「夫婦善哉」に金八が登場するのは、『完全版』五〇頁5行め〜五一頁7行め、岩波文庫版49頁9行め〜50頁11行めで「續夫婦善哉」に説明されてある通りの役割を果している。
 それでは、金八の手紙のみを詳しく見て置こう。【A】書入れ・訂正の入らない段階、すなわち初めに書いたのは以下のような文面であった。

「阿呆の細工に」‥‥「いまではわびしい二/階借りをしてゐます」‥【61】‥「ヤトナになろか、三味線/なりと教へて行こかと心(思)案してます。/六つの貰ひ子も親もとへかへしました。大阪/は今日もまたお天気がわるいです」‥【62】


 それが、【B】次のように改められている。

「阿呆の細工に」‥‥「いまでは、は(わ)びし(い)*6二/階がりしています*7」‥【61】‥「ヤトナになろか、しや味線*8/なりと教へて行こかと心(思)*9案してます。/六つの貰ひ子も親もとへかへ*10しました。大阪/は今日もまたお天気がは(わ)*11るいです」‥【62】


 すなわち「62」枚めの改訂は、書いている途中になされたことになる。
 【C】金八の書いた通りを再現すると、次のようになろうか。

「阿呆の細工に」‥‥「いまでは、はびし二/階がりしています」‥【61】‥「ヤトナになろか、しや味線/なりと教へて行こかと心案してます。/六つの貰ひ子も親もとへかへしました。大阪/は今日もまたお天気がはるいです」‥【62】


 つまり「61」枚めを書いた時点では普通に書いていたのを、「62」枚めまで進んだときに思い付いて「はびし」や「はるい」また「います」の仮名違いをさせ、漢字で「借り」や「三味線」或いは「思案」が書けない教育の無さを示そうとしたのだ。うち「は」は、そのままでは読者が何のことか判断出来ない可能性があるので「(わ)」を添えており「心案」も同様である。「がりして」がもと「借りをして」だったことは原稿を見ないと気付けないであろう。しかし「います」と「しや味線」の可笑しなことは(当時の読者であれば)何の注記もなしに理解されたであろう。
 ところが『完全版』及び岩波文庫版は表記を現代仮名遣いに改めている。それは私も止むを得ないと思うけれども、ここの仮名違いのうち、注記のある「は(わ)びし(い)」と「は(わ)るい」はそのままだが「います」はそのまま「います」になってしまうから、作者が「ゐます」をわざわざ「います」に改めた苦心(?)が全く反映されなくなってしまう。
 それではどうすれば良いかだが、――ここは、そもそも金八の教養のなさを露呈させる目的で引用したような「文面」なのだから、文字通りに引用すれば良いのではないのか? 地の文ならばそれは作者による説明であって、仮名違いがあったとしても単純な誤りと見なして(或いは特殊な作者なりの仮名遣いの主張があるのかも知れないが)改めてしまっても良いであろう。しかしここは「手紙」の「文面」の引用なのだから、登場人物の書いた文字通りに、引くべきなのだ。
 そんなことを云うと『こゝろ』の下「先生と遺書」も先生の書いた文面だということになってしまいそうなので、「地の文」と「引用」ということで整理して置く。『こゝろ』の遺書は「地の文」と呼ぶべきものであり、地の文と区別して「引用」されたものという扱いにはなっていない。もちろん書簡体小説などの中には、扱いに困る例もあろうかと思う*12が、地の文とは別に書いたもの(文字になっているもの)を引用した場合は、その文字を尊重すべきだと思うのである。この「金八の文面」はその好例だと思う。
 もちろん、文面そのままが良いと云っても【C】完全に金八の書いたままでは理解に苦しむことになるから、作者が用意した【B】(わ)や(思)の注釈入りの「文面」を示すことになってしまうし、現代の読者に「います」となっている意味が通じるのかというと甚だ疑問ではあるけれども、何らかの注記を附してでも、ここだけは原文を尊重するべきではないだろうか。そもそも、『完全版』も岩波文庫版も全く注を附していないのが、表記の問題以上に今時の読者には不親切なのである*13。(以下続稿)

*1:この4文字、枡目4字分抹消して左の欄外に記入。

*2:この行の9字分の抹消は読めそうであるが、完全に解読出来なかったのでここには示さないで置く。

*3:「亭主の」の3字は欄外に記入し線を引いて挿入位置を指定。

*4:この「つ」を書き直している。

*5:当初「は」としていたのを「テ」に改める。

*6:読点を挿入、「わ」を抹消して左欄外に「は(わ)」と記入して線で挿入位置を指定、「い」を括弧で括る。

*7:「借」を抹消して「が」に、「を」を抹消、「ゐ」を抹消して「い」に改める。

*8:「三」を抹消し、左の行の17〜18枡めに記入した「しや」を○で囲って、線を引いて挿入位置を指定。従って「三」と書いた直後に思い付いて「しや」と改めたことが、分かる。

*9:この「(思)」は初めから2枡分使って記入。

*10:この「へ」は書き直されている。

*11:抹消は恐らく「わ」で、書いてすぐに抹消して下4枡に「は(わ)」と記入。

*12:独白であれば「音声」なのだから現代仮名遣いでの発音通りに表記すれば良い訳だが、手記は「文字」なのである。そうすると我々読者の方が、発表時の表記の通りに読めればそれが一番良いということになるのだけれども。

*13:少々逆切れ気味ではあるけれども。それに、そんな注などない方が良いと思う人も少なくないだろうけど。