瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

関川夏央『おじさんはなぜ時代小説が好きか』(1)

 本書のことは5月25日付「関川夏央『昭和三十年代 演習』(1)」及び5月26日付「関川夏央『昭和三十年代 演習』(2)」に引いた、同書の「『昭和三十年代 演習』その経緯と始末――「あとがき」にかえて」に言及されていた。
 本書はもともと「ことばのために」と云う、5人の編集委員によって企画された叢書(岩波書店・四六判並製本)の1冊であった。

演劇のことば (ことばのために)

演劇のことば (ことばのために)

詩とことば (ことばのために)

詩とことば (ことばのために)

僕が批評家になったわけ (ことばのために)

僕が批評家になったわけ (ことばのために)

 最初の2冊は平成16年(2004)11月・12月に続いて刊行され、3冊めも平成17年(2005)5月に刊行されているが、本書が平成18年(2006)2月と遅れ、5冊めはその3年後の平成21年(2009)2月に刊行され、その後やっと、別冊が刊行されて完結した。
大人にはわからない日本文学史 (ことばのために)

大人にはわからない日本文学史 (ことばのために)

 今、私の手許には関川氏と高橋氏の2冊がある。
関川夏央『おじさんはなぜ時代小説が好きか』2006年2月21日第1刷発行・定価1700円・244頁
高橋源一郎『大人にはわからない日本文学史2009年2月20日第1刷発行・定価1700円・204頁
 この2冊が遅れた理由は、奥付の裏にある「編集委員を代表して」加藤典洋が執筆した「「ことばのために」のために」と云う、この叢書の意図について述べた文章から窺われる。8〜14行め、

 そもそも情報社会というものが、わたし達がことばで自分自身を表現し直し、ことばになって、社会の中を浮遊す/る新しい社会のことでした。この新しい時代にわたし達はことばをどのように生きるのか、そういう問いを前に一つ/のヒントとなるような、ことばをめぐるシリーズを世に送り出そうと、この叢書は計画されました。それがこういう/形になったのは、偏屈者ぞろいの編集委員が、本を面白くするには、企画を他人に「丸投げ」せずに、編集委員本人/が一冊全部を書いてしまおう、と破天荒な編集方針を決定したためです。大きな視野と準備に支えられたことがらが、/強い、考え抜かれた少ないことばで書かれ、うすっぺらな小さな本になって、世の小学生以上の広範な読者の前に、/差し出されるのです。


 この「破天荒」ぶりが災いしたのである。
 高橋氏は、203〜204頁「あとがき」の冒頭(203頁2行め)で「シリーズ「ことばのために」の中で、唯一、大きく遅れて遅れた」事実には触れているが、遅れた事情を全く説明しない。
 それに対して関川氏は、241〜244頁「あとがき」に、遅れた事情について述べている。243頁4行め〜244頁3行め、

 この本は、加藤典洋荒川洋治高橋源一郎平田オリザ、それに私の五人で企画した「ことばの/ために」シリーズ中の一冊でした。しかし私は、しばらくなにを書くかも決められずぐずぐずしてい/ました。そんなとき、編集者の坂本政謙さんが、私が偶然というか苦しまぎれに発した言葉、「時代/小説」「おじさん」をつかまえてくれました。機敏で策にもたけた彼は、書けないならまず話せ、と/いって、岩波書店中の若いメンバーを集めてくれました。それは大矢一哉さん、清水野亜さん、吉田/裕さん、渡辺朝香さん、それに坂本さんの五人です。
 もう逃げられません。とても注意深くて勉強好きな彼らを相手に、ほぼこの本の一章にあたる量を/一回分として、だいたい月に一回の割合でレクチャーすることにしました。席上、いい気持になって/話している私を、参加者諸君は鋭い質問や指摘でしばしばうろたえさせました。しかし私は、そのう/ろたえを刺激にとりこんで、自分の考えをつくりあげるためのよすがとしました。
 当初は、話した分をそのまま起こせば原稿になるだろう、などと甘いことを考えないではなかった/のですが、やはりそうはいきませんでした。読み返すとあんまりうまくはない。うまくないどころか/赤面するような部分も多くて、けっこう長いあいだ自己嫌悪におちこんでしまいました。
 それでも放り出すことは許されません。坂本さんの、叱咤とおだてが見事に配分された指導を受け/ながら原稿を全面的にあらためて、とにかくかたちにしました。結果、発想から長い時間がすぎてし/まったのは、すべて私の責任です。


 これと同じようなことは『昭和三十年代 演習』の「『昭和三十年代 演習』その経緯と始末――「あとがき」にかえて」にも書いてあった。ところで同書には、「「時代小説」のときからの「演習」メンバーと新規のメンバーはだいたい半々ずつ」とあって、6名の名前が挙がっているのだが、本書の5人のうち坂本氏、清水氏、大矢氏の3人が重なる。そして西澤氏、広田氏の2人が「新規のメンバー」と云うことになり、本書の「メンバー」であった吉田氏は同書には参加していないのだが、ここでもう1人、同書に「渡部朝香」とある人物が、本書の「渡辺朝香さん」と同一人物なのか否がが確証が持てない。読みはどちらも同じになりそうだから、どちらかの入力・変換ミスの可能性が高いような気がするのだけれども、5人中4人がそのまま同書にも参加して吉田氏1人が抜けただけでは「半々ずつ」にはならないようにも思うのである。――集英社文庫版が「渡部朝香」になっていれば本書の誤植と確定出来そうだけれども、集英社文庫版も「渡辺朝香さん」だったときには、やはり、判断のしようがない*1。(以下続稿)

*1:尤も、本書「ことばのために」版から『昭和三十年代 演習』までに「渡辺」さんが「渡部」さんと結婚して改姓した可能性も考えられる。そうなると集英社文庫版が「渡辺」だろうが「渡部」だろうが、結婚改姓の時期が絞り込めるだけのことになる。――いや、誤植の可能性が消えないから、同一人物で改姓したのなら「渡部(旧姓渡辺)朝香」とでも書いてもらわないと困る。――いや、メンバーが確定出来なくなるだけのことなのだけれども。