瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

関川夏央『昭和三十年代 演習』(2)

 昨日の続きで、もう少し「『昭和三十年代 演習』その経緯と始末――「あとがき」にかえて」を眺めて置きましょう。
 192頁5〜11行め、

 若い世代は、過去になずみたがる旧世代を嫌悪します。少なくとも、うるさく思います。ですが/同時に、遠く素朴で元気なものへの憧憬も持たないではなく、まさに複雑な思いで「昭和」と「昭/和人」を眺めているようです。
 そんな旧世代のセンスを形成し、いまも彼らを束縛しつづけている当時の文学、あるいは当時の/思想的・風俗的「流行」を眺め直してみることにはまんざら意味がないわけでもあるまい、そう考/えるに至ったとき、この本『昭和三十年代 演習』の骨格は整いました。
 
 岩波書店編集者有志の協力を再びあおぎ、日を決めて集まってもらいました。


 そして「何度も会した記録」を基にした「ゲラ」があったものの「文字に起こされた自分の話しぶりが大いに不満」で「手をつけかねてい」るうちに「会合ののちに産休をとった参加メンバーのひとりが、‥‥、つぎのお子さんを出産」する「まで抱え込ん」だ挙句、「ゲラをほぼ新原稿に改め」ています。
 それから194頁2〜3行め、

 回想と懐旧そのものには、本来、罪も意味もないでしょう。ただ過去を点検して、現代日本人の/原点というべき昭和三十年代を「歴史化」してみること、それをこの本では試みたかったのです。/‥‥


 次いで最後の段落(6〜9行め)、

 私が頼みとした編集者有志は坂本政謙、渡部朝香、清水野亜、大矢一哉、西澤昭方、広田祐子の/諸氏です。「時代小説」のときからの「演習」メンバーと新規のメンバーはだいたい半々ずつでし/たが、彼らのテキストを読む能力、感想のおもしろさ、質問の鋭さにはいつも驚かされました。そ/の場で受けた刺激を、はこの本に生かすべくつとめました。


 1〜23頁「第一講/ 昭和三十年代的「物語」と「歴史」――『ALWAYS 三丁目の夕日』など」には差し挟まれていませんが、5月24日付「松本清張『ゼロの焦点』(4)」に細目を示した、25〜58頁「第二講/「謀略」の時代──松本清張的世界観」には、1字下げ(段落の冒頭2字下げ)明朝体の関川氏の問い掛けと、それに対する編集者の誰かの意見は丸ゴシック体で1字下げ、冒頭は「――」にて、かなり長く会話形式で4箇所、前後を1行分ずつ空けて挿入されています。(以下続稿)