瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

朝里樹『日本現代怪異事典』(04)

浅川駅(3)
 一昨日からの続き。
 それでは今回からしばらく、話の内容について12月23日付(03)に示した朝里氏の要約と、典拠である「ニュース速報VIP+@2ch新機能実験場」の過去ログ倉庫に格納されているスレッド「駅から異世界に行ってきた話」を対照させつつ、検討して行くこととしましょう。
 典拠の投稿者は「3」番に拠ると、早朝に大月に行く用事があって立川駅に行き、便意を催して駅構内のトイレで用便の「最中に頭がぐわあんとなるような感覚」に見舞われたものの、疲労時の就寝中によく感じている感覚だったのでさして気に留めずにホームに行ったところ、まづ列車到着を告げるアナウンスが何時もと違うようだったと云うのです。
 そして要約にある「JR東日本立川駅に現れた「大月」行きのオレンジ色の電車」ですが、

しばらくすると、大月行きの電車が来ました。全面オレンジ色の電車です。/後から調べてみたら、この電車はもう走っていない筈なんですよね。/向こうに行くときはいつも古めかしい電車が来るので、いつもの調子で乗ってしまいました。


 投稿者が体験したと云う時期は、12月22日付(02)に引いた「1」番の書き込みに拠れば2014年9月10日頃と云うことになりますから、中央線を運行している車輌は一部乗り入れている列車を除いてJR東日本E233系電車0番台、ステンレスの車体にオレンジ色の帯がある車輌になっているはずですが、立川からの甲府・松本方面への下りには少々「古めかしい」6輌編成の国鉄115系電車(2代目長野色)が現在も運行しています。
 しかしながら「全面オレンジ色の電車」と云うのは昭和60年(1985)まで中央線快速で運行されていた国鉄101系電車*1のようです。
 さらに凝っているのは、これに続く記述です。すなわち、

印象的だったのは、向かいに止まっている青梅線の電車(こちらも古そうでした)の行き先が、/黒地に赤で「水川」と書かれていたことです。

と云うのです。「黒地に赤」の行先表示はちょっと分かりません*2が、興味深いのは「水川」です。――こう云う名称の駅は東京近辺はもちろん、日本中探しても存在しないようです。しかし、これは実は「氷川」なので、昭和19年(1944)に開通した青梅線の終点氷川駅、昭和46年(1971)2月に町名に合わせて奥多摩駅と改称されています*3。すなわち、それ以前にタイムスリップしたかのような描写になっている訳です。
 恐らく投稿者は「青梅線」の終点奥多摩駅がかつては「氷川」駅であったことを知った上で、敢えて無知を装って「水川」と云う全く存在しない駅名に誤読(?)することで、ミステリアスな雰囲気を盛り上げつつ、しかし実は分かっているんだぞ、と云うアピールをしているものと思われるのです。(以下続稿)

*1:青梅線では昭和61年(1986)まで。やはり全面オレンジ色の国鉄103系電車は昭和58年(1983)まで、青梅線では平成14年(2002)まで。平成22年(2010)10月まで運行されていた国鉄201系電車も全面オレンジ色だが、先頭車輌の前面が半ば黒い。

*2:実際にそういう表示の時期があったのか、それとも虚構なのか。

*3:ネットで画像検索すると東京総合車両センターに保存されている「氷川」行表示の国鉄101系電車の写真が幾つかヒットします。