瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

elevator の墜落(2)

 前回引いた『三田村鳶魚日記』昭和4年(1929)の四月十七日(水)条の、三越エレベーター墜落の真相ですが、この書き方では誰から聞いたのか分かりません。東京府多摩郡澁谷町金王の吉田冠十郎の家でこんな話が出たのか、それとも吉田家への往返に平音次郎や小田内通久とそんな話をしたのか、それとも、いつものように豐多摩郡中野町打越(中野區文園町)の三田村家を訪ねて来た夏秋園子が、話したのでしょうか。
 しかし、初め三越のエレベーターの事故が隠蔽されたことを知ったのと同様、どうやってこの話が嘘であることを突き止めたのでしょうか。「ある会社員」の「妻」がこの説明を信じるには、この話をしたときに夫がまとまった金を持っていたことが前提となると思うのですが、口止金でないならその金は何だったのでしょうか。何か不正な手段で得た金を誤魔化すためにこんな話をしたのでしょうか。しかしそれにしては手が込んでいます。‥‥噂話の真相と称するものには、しばしばこの手の、どうやって知ったのか尚のこと分からない、訝しいものが少なくありません。
 上欄にさらに後日談が追加されています。251頁下段10~12行め、

‥‥とぞ。○〈上欄〉その風/説を、松坂屋の事と聞き、ユスリに往きたる者ありしが、/お門違いとて笑ひ飛ばされたりとぞ。○‥‥


 これも本当だかどうだか分からないのですが、こんな尾鰭が付くほどに、三越のエレベーターの風説は広まっていたらしいのです。
 この1年後、昭和5年(1930)の四月三十日(水)条、280頁下段11~13行め、

渋谷豊沢六三、千葉弥一郎老人を訪ふ、園子俱。○吉田/粂次、功力某、夏秋氏一泊。○粂次云、松坂屋のヱレベ/ーター切れて死傷八人あり、是にて三度目也。

と、嘗て「お門違い」とされていた松坂屋での事故が、4月21日付(10)に触れた下谷の吉田書店の吉田吉五郎(里子)の子息、吉田粂次によって語られています。
 なお、千葉弥一郎(1848~1935.4.28)訪問には夏秋園子が同行しています。やはり連日『三田村鳶魚日記』に名前が見え、この時期の三田村氏の、助手的存在であったと思われるのです。園子を始めとする夏秋家の人々との関係についても、別に記事に纏めるつもりです。
 さて、最後に添えられた「是にて三度目也」ですが、事故が「三度目」なのか、日記に取り上げたのが「三度目」なのか、松坂屋での事故が「三度目」なのか、ちょっと分かりにくいのですが、これら『三田村鳶魚日記』に見える例は、前回言及した Wikipedia の事故のリストに含まれていません。三田村氏は新聞記者だったこともあって、日記に新聞の遅配や段組みの変化等を記録するなど、日頃から新聞について注意していた人ですので、記事にはなっていなかったのでしょう。そして隠蔽されたはずの事故の噂が何故か、広まっているのです。(以下続稿)