瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

祖母の思ひ出(1)

 先日、義理の祖母(1915.10.3~2020.6.6)が死んだ。
 私が初めて会ったとき、満87歳であったが、当時は元気に独居生活を楽しんでいた。
 長男の長女である家人は、久しく2駅のところに住んで、月に2回は御機嫌伺いしていた。そこで私も御相伴に与ったと云う次第である。
 その後、私たちは線路を挟んで同じ駅の近くに引っ越した。何かあったときにすぐに駆け付けられるようにとの配慮であった。
 この頃までが、一番落ち着いた、穏やかな時期であったようである。
 朝、ゆっくり目が覚めると、近所のスーパーに買い物に出掛ける。1階に入っているテナントの、海産物商から干物や鰻などを買って、御機嫌伺いの折に私たちに持たせてくれた。地下の食料品売場で惣菜を買うのであった。
 そして、午後、開店と同時に、マンションの裏にあった銭湯に出掛ける。熱くて広い風呂が好きで、マンションの狭い風呂には入らないのであった。毎日一番に通うので銭湯の女将とはすっかり馴染みになって、マンションに訪ねて来ること(が廃業後)もあったらしい。そして、洗い場や脱衣場で「おいくつですか?」と訊かれて「いくつに見えますか?」と反問して70代だか80代とか答える相手に90と答えて驚かすのを、愉しみにしていた。
 この問答は、他の店でもやっていたらしい。
 本が好きで、毎月文庫本を何冊も買い込んでいた。ただ駅の近くだと云うのに新刊を扱う本屋が次々閉店して、少し離れたところまで行かないといけなくなったが、せっかちな性格なので杖を突いてすっすっと歩いて、佐伯泰英などの書き下ろし歴史小説の文庫本や、漢字クロスワードの雑誌などを買い込んでいた。
 しかし、時流の変化はそんな生活スタイルを破壊してしまった。銭湯が廃業することになったのである。女将の息子が後を継ぐことになって、祖母も安心していたのだが、その矢先、地主からマンション建築のため立ち退くよう話があり、結局、廃業して入居し、銭湯を継ぐはずだった息子が管理人を務めることになったのである。銭湯の一家が立ち退かされてどうするのか心配していた祖母も一安心と云った風であったが、しかし駅の南側にあった銭湯は既に廃業しており、市内に1軒だけ残った銭湯は私の足でも歩いて15分くらい掛かりそうで、自転車に乗るかバスに乗るかしないと、とても行かれない。若い頃自転車に乗れたのかどうか知らないが、当時とてもそんなことが出来そうには見えず、バスもステップの昇降が難しいのであった。――平坦なところはすっすっと歩けるのだが、段差の上り下りが難しいのだ。
 さて、これからどうしようと考えた。マンションの風呂を使えば良いのだけれども、洗い場と浴槽の高低差がかなりあって、今の祖母には難しそうだ。代わりになる施設はないか、思いあぐねていた丁度そのとき、私はたまたま新聞折込のスポーツクラブのチラシを見て、銭湯のような趣はないものの広い風呂があって、高齢者向けの月極の安価なコースがある。元よりトレーニングなどさせるつもりはないが、これまでの銭湯代よりも安いくらいである。しかも、裏の銭湯より1分くらい余計に歩くくらいの近さである。ここの会員になれば良いのじゃないか、と提案した。
 しかし、これは余り満足出来なかったであろう。――私は、廃業した銭湯には1度か2度、行ったことがある。まだ2駅離れた風呂なしアパートに住んでいた頃で、当時まだ私は研究会に参加していて、研究会が長引くと、その後の飲み会にも出て帰ると0時近くになってしまう。研究会には喫煙者が何人かいて、下っ端だけで固まるとそうでもないのだが、教授の傍に座ると目がしょぼしょぼするくらい、煙にやられてしまう。だからそういうときはどうしても風呂に入りたいと思うのだが、当時住んでいた辺りには3軒の銭湯があったが0時までに閉じてしまう。しかし祖母の家の裏の銭湯は1時までやっているのである。そこで金曜の深夜に自転車を飛ばして煙草臭い背広のまま出掛けたのである。2011年11月12日付「福田洋著・石川保昌編『図説|現代殺人事件史』(1)」に書いた、人通りのない一本道で少年たちに追い掛けられて逃げ切ったのはこのときのことである。日付が変わっていたがまだ何人か客がいて、広くて熱かったことを何となく覚えていて、番台にいる眼鏡のおばさん(と云うかお婆さん)が例の女将さんだろうと思ったのであった。
 それに対して、スポーツクラブの方は、入会の相談に行ったときに見たくらいだが、風呂場は明るくプールみたいな雰囲気で、運動の後に入る訳だから熱い湯の訳がない。しかし、スタッフの人たちも、この恐らく最高齢の会員を気にしてくれているらしく、祖母もいろいろ気遣ってもらえるのをまぁ満足しているような様子なので、そうでなくても他に妙案もないからこちらとしては最善策を講じたつもりであった。そして、祖母の異変に初めて気付いたのは、このスポーツクラブであったのである。(以下続稿)