今朝、下りの通勤電車で、荷物挟まりの遅延があった。いよいよ混んで来た。いつもよりも1本遅い電車に乗ったせいもあるのかも知れないけれども。しかも、気温が高い訳でもないのに窓が開いていなかった。今朝など、窓から風を入れた方が気持ちが良いくらいだったと思うのだけれども。明日はいつも通りの電車に乗ることにしよう。
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・「不思議な世界を考える会会報」(7)
【C】夏休み明け
②70頁15行め~72頁4行め
やがて夏休みも終わり、写真部員がやってきて現像室を開けた。と、そこには、干【70】からびた死体がひとつ、ドアに寄りかかり、戸板に爪を立てていた。助けを呼びつづ/けたのか、ドアの内側には無数の爪あとがあったという。
その現像室はいまも使われている。ただドアの傷あとは、某アイドルタレントの大/きなポスターが貼ってあり、見ることができない。
③25頁12~15行め・④122頁7~11行め
夏休みが終わったある日、写真部員が、現像室を開けると、そこに|は干*1からびた一つの死体がドア/に爪を立てていたそうです。
ドアの内側は、女の子が助けを求*2めながらひっかいた爪のあとが|ありました。そのひっかいた/爪のあと*3は今でもありますが、大場久美|子の大*4きなポスターで、隠*5されています。
これまで、③④の本文は送り仮名の繁簡程度でほぼ一致していましたが、最後の段落に語句の異同、表記替えがあります。
それはともかく、やはりドアの構造が気になります。引き戸なのか、開き戸なのか、いづれにしても開けた時点で爪を立てた状態のままではいられなくなったはずだと思うのですけれども。引き戸なら引き摺られて横に倒れるでしょうし、開き戸なら、外に転げ出すか、或いは押されて引っ繰り返るか、とにかく死んだままの姿勢を保てなかったろうと思うのですがどうでしょう。
いえ、そもそもこの設定で、夏休み明けまで見付からずに済ませられるのでしょうか。7月6日付(24)の後半に述べたように、独り暮らしの大学生が長期休暇に帰省しなかった場合には、このようなことも起こり得たかも知れません。しかし、高校生ではかなりハードルが高いと云うべきです。しかも、この話の場合、女子生徒は「コンクールに出す作品を現像してい」たのです。用務員は「そんな事を全くしらない」としても、他の部員は承知していたでしょう。他の部員に内緒で、家族にも知らせずにやっていたのかも知れません。しかし、女子高校生が、普段から家に電話で断りも入れずに友人宅に外泊するような癖があったとしても終業式の日に帰って来なかったら、家族はその夜のうちに担任や部員や顧問、或いは部活関係以外にも(当時は全教職員・生徒の住所・電話番号が記載された名簿が作成・配布されていたはずですから)一通り電話をしたはずで、そうすれば女子生徒が周囲に秘密にしていたにしても、誰かが、ひょっとしたら――、と思い当たりそうなものです。そうでなくとも、翌日には校内を探して見るのではないでしょうか。写真部の部員なのですから、まさか、いないだろうと思っていても足取りを確認するために暗室も一応確認しそうなものです。
常識的に考えて、このようなことが起こり得るとは、とても思えないのです。では、何故このような話が、このレポートを提出した学生の出身高校に存在したのか、と云うことですが、ドアに引っ掻いたような傷があったから、なのでしょう。別の理由で付いた(に決まっている)のですが、その理由が分からなくなったところで、誰かが閉じ込められて引っ掻いたのだろう、と想像した人があったのでしょう。或いは、当時既にこのような説話的発想が広まっていたのかも知れませんが、これより古い例を知りませんので何とも云えません。いえ、2017年2月6日付(04)等に述べたように、阿知波五郎「墓」がその候補になるかも知れないと思ったのですけれども。
とにかく、どうも、普通の人はこのような話を聞かされても、本当にこんなことが起こり得るのだろうか、と考えたりしないらしいのです。もちろん、話半分に聞いているからでしょうが、それにしても不可解な点が多過ぎます。しかし、そこを丸め込むのが説話の力、と云うことなのでしょうか。
ところで、7月6日付(24)に、この種の話の総称として「閉じ込められた女子学生」を提案する理由を述べて、その最後に「不思議な世界を考える会会報」20号の話は「爪あと」の由来として発想されたのだろうから「壁の爪あと」で良い、としたのですけれども「壁」ではなく「ドア」ですね。どこで「壁」にすり替わってしまったのでしょうか?(以下続稿)