瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(290)

北杜夫の赤マント(5)
 昨日の続きで後半も見て置きましょう。異同があるのでここでは『見知らぬ国へ』200頁15行め201頁7~15行め(改行位置「|」)を抜いて置きましょう。灰色太字にした箇所が「創作余話 (3) 」3頁下段3~22行め(改行位置「/」)にはなかった、追加部分です。

 ハワイはもとより、南太平洋の島々も現在はこの本/に記した内容より、大幅*1に変化している。|私は昭和五/十一年四月に、ふたたびフィジー、トンガ(初訪)*2、タ/ヒチを訪れたが、その変貌|ぶりにおどろいた。
 タヒチパペーテの町は車のラッシュで、古い建物/をどんどん壊し、新しい近代ビルを建て|ている。幽霊/屋敷のようであった懐しいグランド・ホテルも酒びた/りの船員たちがダンスを踊|っていた大きなバーも、と/うになくなってし/まった。
 このことは「あ/とがき」にも記し/たが、私の新しい/見聞については、/昭和五十一年八月/号の|「文藝春秋*3/ラックス」に「マ/ンボウ南太平洋を/ゆく」(編集部注 文藝春秋刊「マンボウ響躁曲」に収録)という一文/を書いた。


 「創作余話 (3) 」の11行め以降の字数が少なくなっているのは、下に海を背景に、木に寄り掛かるように立つ北氏の写真が挿入されているからで、下に横組みで小さく「「南太平洋ひるね旅」 タヒチにて」とのキャプションがあります。この写真は文庫版には見当たらないようです。
 さて、今引用した『見知らぬ国へ』に追加された編集部注によって、「マンボウ南太平洋をゆく」が『マンボウ響躁曲』に収録されていることが分かりましたので、早速職場近くの図書館に予約を入れたのですが、念のため見て置くまでで、赤マント流言のことは載っていないだろうと思っています。10月26日付(288)の最後に既に結論を述べてしまったように、これは北氏の記憶違いなのです。
 なかなか先に進みませんが、ここで先に進むとまた長くなってしまいますので、寄り道ついでに、新潮文庫2118『南太平洋ひるね旅』二十二刷から、上に引用した箇所に対応する「後記」の追加部分(228頁3~8行め)を見て置きましょう。改行位置は「/」で示し、『北杜夫全集11』251頁下段4~14行めの改行位置を「|」で添え、異同は註記しました。

 その後、一九七六年四月に、南太平洋の島々を再訪する|機会を得たが、トンガはまだ田舎とし/て、フィジー、タヒ|チの観光地化の著しく進んでいることに一驚した。むかし|はせいぜいシャワ/ーだったのが、バスつきの立派な観光ホ|テルが続々とできているし、パペーテの町も完全に一変/し|た。グランド・ホテルなどはとうになくなっていて、なに|かうら寂しい思いもした。今では、/フィジータヒチには|日本から直行便が出ている。また通貨も変っていて、フィ|ジー・ドル(三/七〇円)、トンガ・ドル(四五〇円)、パシフ|ィック・フラン(三・七円)*4くらいの相場である。
(一九七六年附記)*5


 サモアニューカレドニアには再訪しなかったようですが、これも追って、『マンボウ響躁曲』にて確認することとしましょう。(以下続稿)

*1:「創作余話(3)」は「大巾」。

*2:「創作余話(3)」はこの括弧やや小さい。

*3:「創作余話(3)」はこの1行「号の「文芸春秋デ」。

*4:全集は「フィ|ジー・ドル=三七〇円、トンガ・ドル=四五〇円、パシフ|ィック・フラン=三・七円」。

*5:この行は下寄せ。文庫版は下に2字分、全集は1字分空白。