・北杜夫の赤マント(2)
『楡家の人びと』の材料については、2014年7月12日付「北杜夫『楡家の人びと』(06)」に、晩年のエッセイ集『マンボウ 最後の大バクチ』の記述を、2014年7月13日付「北杜夫『楡家の人びと』(07)」に見た「北杜夫全集月報 6」と、2014年7月28日付「北杜夫『楡家の人びと』(08)」に比較して見たことがあります。
他のエッセイにも記述がありそうなのですが、北氏が赤マント流言の頃に患っていた急性腎炎について、そのままにしていたのと同様、滞って6年も経ってしまいました。
ずっと、何となく、気に懸かっておりながら、まぁ、それなりになっておったのですが、最近、次の、歿後刊行のエッセイ集に『楡家の人びと』に関する記述を見付けまして、しかしながら「北杜夫『楡家の人びと』(10)」にしないのは『楡家の人びと』の資料としては問題があってそのまま使えないところがあるからで、実はその記憶違いの箇所に、貴重な赤マント流言の証言が含まれているのです。
・北杜夫『マンボウ最後の家族旅行』2012年3月25日初版第1刷・定価1200円・実業之日本社・189頁・四六判上製本
- 作者:北 杜夫
- 発売日: 2012/03/15
- メディア: 単行本
- 作者:北 杜夫
- 発売日: 2014/10/03
- メディア: 文庫
単行本と文庫版の関係ですが、単行本189頁の裏、奥付の前の頁の下部中央に、
初出「月刊ジェイ・ノベル」
連載エッセイ「マンボウ夢草紙」
二〇一〇年二月号から二〇一一年一二月号まで
「妻・斎藤喜美子が語るマンボウ家の五〇年」
二〇一二年三月号
写真提供/斎藤喜美子
とあり(「/」は原文にあり)、文庫版253頁の裏、「実業之日本社文庫 最新刊」9点(3点めが本書)の目録の前の頁(裏が奥付)に、
初出 月刊ジェイ・ノベル
連載エッセイ「マンボウ夢草紙」
2009年9月号から2011年12月号まで
「マンボウ家の五〇年」
2012年3月号
「父が遺したユーモア」
書き下ろし
単行本 2012年3月 小社刊
文庫化にあたり、「骨折騒動記」「マンボウ入院/記(その一~三)」「軽井沢へ」(『マンボウ家の/思い出旅行』〈2010年1月 小社刊〉収/録)を増補し、雑誌掲載時のヒサクニヒコ氏の/挿画を全点収録しました。
とあり(「/」は改行位置)、かなりの増補があります。
まづ「月刊ジェイ・ノベル」に発表されたものを一覧にして置きましょう。そのために次の本も借りて来ました。
・北杜夫『マンボウ家の思い出旅行』2010年1月25日初版第1刷・定価1300円・実業之日本社・252頁・四六判並製本
- 作者:北 杜夫
- 発売日: 2010/01/20
- メディア: 単行本
初出誌を見た訳ではないので「初出」は(推定)です。それから、単行本に挿絵を掲載しているものに「絵」と添えましたが、収録位置は示しませんでした。
単行本 | 文庫版 | 初出(推定) | |
---|---|---|---|
骨折騒動記 | 228~232 | 6~12 | 2009年9月号 |
マンボウ入院記(その一) | 233~237 | 13~20 | 2009年10月号 |
マンボウ入院記(その二) | 238~242 | 21~27 | 2009年11月号 |
マンボウ入院記(その三) | 243~247 | 28~35 | 2009年12月号 |
軽井沢へ | 248~252 | 36~42 | 2010年1月号 |
肺炎で又もや入院 | 6~11 | 43~49 | 2010年2月号 |
ハワイにつれてゆかれた事 | 12~18絵 | 50~56 | 2010年3月号 |
ハワイから帰国した翌日に、もう苗場へ | 19~25 | 57~64 | 2010年4月号 |
スキー場から帰ったら、熱海へ | 26~32絵 | 65~72 | 2010年5月号 |
またもや箱根へ | 33~39絵 | 73~79 | 2010年6月号 |
どくとるマンボウ昆虫展 | 40~45 | 80~86 | 2010年7月号 |
上高地再訪 | 46~52絵 | 87~93 | 2010年8月号 |
初夏の軽井沢ふたたび | 53~58 | 94~100 | 2010年9月号 |
上山城での「どくとるマンボウ昆虫展」 | 59~64 | 101~107 | 2010年10月号 |
娘に引かれて善光寺参り | 65~71絵 | 108~114 | 2010年11月号 |
私を昆虫マニアにしてくれた先輩 | 72~77 | 115~121 | 2010年12月号 |
カラオケ初体験 | 78~84絵 | 122~128 | 2011年1月号 |
紅葉の京都 | 85~91絵 | 129~135 | 2011年2月号 |
『楡家の人びと』の独訳のことなど | 92~97 | 136~142 | 2011年3月号 |
恐ろしい娘によるリハビリと私の認知症 | 98~103 | 143~149 | 2011年4月号 |
私の散歩 | 104~109 | 150~156 | 2011年5月号 |
京都の親戚を訪ねる | 110~116絵 | 157~163 | 2011年6月号 |
娘の植えた桜 | 117~122 | 164~170 | 2011年7月号 |
神奈川近代文学館 | 123~128 | 171~177 | 2011年8月号 |
白い御飯 | 129~134 | 178~184 | 2011年9月号 |
NEC軽井沢72 | 135~141絵 | 185~191 | 2011年10月号 |
軽井沢あれこれ | 142~147絵 | 192~198 | 2011年11月号 |
〈絶筆〉/又もやゴルフ見学 | 148~153 | 199~205 | 2011年12月号 |
齋藤喜美子「マンボウ家の五〇年」 | 155~181 | 207~236 | 2012年3月号 |
齋藤喜美子は夫人で、末尾(単行本181頁7行め・文庫版236頁14行め)に下寄せで「(二〇一二年一月一六日談)」とあります。さらに書籍化に際して一人娘の文章が準備され、文庫版では新潮社の編集者だった小島千加子(文芸評論家)の「解説」が追加されています。
斎藤由香「<あとがきに代えて>/父が遺したユーモア」 | 182~189 | 237~245 |
小島千加子「解説 北さんの最後の日々」 | × | 246~253 |
赤マントの記述があるのは「『楡家の人びと』の独訳のことなど」なのですが、長くなったので内容は次回、確認することにしましょう。
月刊 J-novel (ジェイ・ノベル) 2011年 03月号 [雑誌]
- 発売日: 2011/02/15
- メディア: 雑誌