昨日の続きで、鶴見俊輔『不定形の思想』所収「小さな雑誌」一九六一年八月条について、本書『上』と対照させながら、内容を確認して置こう。
鶴見氏はさらに2話、夏にちなんだ話題を取り上げている。
すなわち、254頁上段~下段6行めに(第二十四話、「江戸っ子と井戸」)、下段7行め~255頁上段12行め(第四十話、「上野付近物語」)の2話である。
前者は『上』81~86頁「第二十四話 江戸時代よりの名水」で、鶴見氏の見たガリ版とは題が変わっている。そのまま引用しているのは254頁上段4~13行めの次の10箇条、3行め「井戸の用途」と「意味」である。『上』82頁1~10行めにも字下げなしでそのまま並ぶが、表記に異同があるので註記した。
一、飲料雑用として人に恵をたれ*1
二、通行人の憩いに名水の湧出
三、行き所なき女房の郷里*2
四、神苑内のおごそかの井戸
五、祈願による水垢離の井戸
六、極楽迄続くと思わせた深井戸*3
七、冷蔵庫なき時代の冷ぞおこ*4
八、妖怪変化におびえさせし井戸
九、長屋の親睦場所
十、実感のこもる若水の場所
それから14~17行め「三番目の「女房の郷里」という用途」について解説し、17行めに字下げなしで「「里のない女房は井戸でこわがらせ」」を引く。これは『上』85頁6行めに、2字下げ鉤括弧なしで示されており(異同は「‥‥無い‥‥」)解釈の切り口が「小さな雑誌」とは異なっている。
後者も『上』186~196頁「第四十話 明治の上野付近」とガリ版とは題が異なっている。この話の冒頭は3月7日付(6)に触れた雁鍋で、以下、界隈の名店を幾つも回想しているが、鶴見氏はまづ夏に因んで、254頁下段7~21行め「守田屋宝丹」が夏に道ゆく人にサービスしていた「宝丹水」を取り上げている。尤も『上』192頁4~17行めには「守田宝丹」とあって「屋」は入っていない。それから254頁下段22行め~255頁上段8行め、「水戸屋という汁粉屋」の「名物男」を、これは夏とは関係なしに、8~12行めに、
‥‥。江戸時代から明治、大正、昭和と/すでに多くの音や色や匂いがわれわれの暮しから消えて行/ったが、そういうものをもう一度とらえて記録しておいて/くれる仕事を、江戸っ子東魂会でなくて誰がやってくれる/か。(第四十話、「上野付近物語」)
とのコメントを附して紹介している。なお、この名物男の名前は「野秋助」だと云うのだが、読みが分からない。ただガリ版に基づく鶴見氏の記述(255頁上段4~5行め「野秋/助」)も、『上』195頁16行めも同じだから、脱字ではないようだ。ちなみにこの名物男は「太い含みのある声」が印象的だったのだが、その文句は255頁上段2・3行め「そらあがったよ」だったのが、『上』195頁10・11・12・13・15行めでは「そら上ったョ」となっている。
そして「小さな雑誌」の紹介の最後、255頁上段13~18行め、
戦争中と戦後とではまた政府の方針もガラリとかわった。/戦後の今日東京の中に住みつづける江戸っ子とは、徳川時/代以来数回にわたって、まえの時代の遺民となって生きて/きた。この人たちのなかにある遺民精神のつみかさなりが、/時の動きに対して背を向けるようでありながら、大切な現/代批判の立場になっている。
この鶴見氏の期待を裏切らない「仕事」が100話に達して書籍版の刊行に至った訳だが、次回、その書籍版『上』の2月25日付(1)に一部を引いた序文に当たる鶴見氏の文章「『江戸ッ子百話』の読者として」を再度眺めて、来たるべき本書の本格的検討に備える(そんな日は来ないかも知れないが)こととしよう。(以下続稿)