瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

能美金之助『江戸ッ子百話』(9)

 本書は、2月26日付(2)に示した『上』の細目にあるように「第一話」が昭和31年(1956)5月9日、そして2月27日付(3)に示した『下』の細目にて「第百話」が昭和45年(1970)9月、14年余りを経て達成されたことが分かります。「第六話」までは月2話のペースでしたから、そのまま進めていたら4年後、著者75歳の昭和35年(1960)6月には達成されていたはずでした。しかし実際には更に10年掛かって、85歳での百話達成になった訳です。その辺りの懸念が2月25日付(1)に引いた『上』1~2頁の序文に相当する鶴見俊輔の「『江戸ッ子百話』の読者として」に示されていました。
 昭和47年(1972)9月の書籍版『上』の刊行まで更に2年掛かっていますが、これは3月8日付(7)に、鶴見俊輔不定形の思想』所収「小さな雑誌」一九六一年八月条に引用されているガリ版の初出時の本文と書籍版を比較して分かるように、表記を現代風に改めた他、文章に細かい修訂を加えているためで、書籍版『下』の刊行は昭和48年(1973)1月と更に年を跨いでいます。
 ところで、ガリ版の「江戸っ子百話」を出していた江戸っ子東魂会ですが、もちろん現存していません。いつまで存続していたのかも、ネット上には全くと云って良いくらい情報がないので、追跡出来ません。そして、ガリ版の「江戸っ子百話」ですが、地元の荒川区立図書館にも、隣接する北区立図書館・足立区立図書館、いえ、どこの図書館にも所蔵されていないのです。江戸東京博物館などの施設にも、所蔵されていないようです。
 地元荒川区のゆいの森あらかわ、荒川ふるさと文化館などは、今からでも関係者を当たって収蔵に努めるべきではないでしょうか。
 能美氏がいつまで存命であったのかも分かりません。書籍版刊行までは存命であったと思われるのですが、ここで気になるのは鶴見氏の「『江戸ッ子百話』の読者として」には「百話をこえてかたりつがれる力」云々とあって、書籍は百話までの上下2冊のみなのですが、ガリ版の「江戸っ子百話」は百話で完結せずに、その後も続刊されていたらしいのです。しかも「むしろ、百話をこえたあたりのほうが、私には、おもしろい」とあって、内容的にも注目すべきものを含んでいたらしいのです。一体何話まで続いたのでしょうか。
 そこで、私は思うのです。なんとか、完全版『江戸ッ子百話』を刊行出来ないものか、と。
 ただ、三一書房版をそのまま刊行しても余り意味がありません。その点については鶴見氏も「『江戸ッ子百話』の読者として」の2頁2~7行めに、

 能美さんの百話は、町の人として東京にくらしてきたなかで見聞きしたことを書いたもので、新聞/や雑誌に報道された記事にもとづいて書かれた歴史とちがう。能美さんの話の中にでてくる事件を確/定するためには、明治・大正の主だった歴史の本と照会するだけではたりない。さまざまの雑本の類/とくらべあわせることが必要となろう。そういう仕事を、ぜひ、学者にしてほしいと思う。明治・大/正の日本についての社会学的・社会心理学的研究の一部として、能美さんの百話がいきてはたらいて/ゆくことが、あるだろうと思う。

と注文を付けていたが、その後、このような作業をした人はいなかったようです。
 それこそ、ちくま学芸文庫辺りで註釈・人名索引・事項索引を付けて出したら宜しかろうのに、と思うのです。
 もちろん、私の手には余ります。――明治・大正・昭和の、旧東京市に関心を持つ人たちで読書会を組織して、当時の地図で場所を確定させ、言葉や事件について註釈を加えいけば数年で済むでしょう。
 ただ、問題も幾つかあります。「第三十七話 狂人物語」や、身体障碍者が登場する挿話の扱いが、現在では難しいだろうと云うこと。能美氏の筆致は同情に溢れており、資料的見地からしても排除しなくても良いと思うのだけれども。それから、誤字の多さ。書籍版刊行に際してかなり修訂が行われていると思うのだけれども、今、ぱっと開いて見て気付いたところ、97頁9行め「室生新(室生家元、旧前田邸跡に住す)」は「宝生」だし、13行め「谷文兆(根岸の生れ)」は「文晁」、「河部暁斎」は「河鍋」です。或いは、3月8日付(7)に見た「かさにげた」の袖看板について「第六話 門跡跡の大ガマグチ」と「第二十二話 松葉町物語」とで、同じ話なのだけれども順序等が異なる記憶を述べていることも、気になります。
 いえ、異伝は註釈や索引にてそれと分かるようにして置けば良いですし、151頁5行めに「江戸ッ子百話の第二十五話に、浅草松葉町物語を書いたが」とあるのは、何の断りなしに「第二十二話」にしてしまって良いでしょう。――本に載せると煩雑になりますからネット上に本文の修訂箇所を一括して示して置けば良いでしょう。
 鶴見氏は「思想の科学」の「日本の地下水」でガリ版の「江戸っ子百話」を紹介して以来、会員になってガリ版で購読していたようです。鶴見氏の歿後、その蔵書がどうなったのか知りませんが、もし一括して保存されているのであれば、その中にガリ版の、終刊までの揃い*1も残っているのではないしょうか。或いは、能美氏の遺族、尾久近辺の、本書に名前の出て来る会員の遺族の中には、保管している人もあろうかと思います。しかし書籍版の発刊から50年を経ようとして、いつ、原本が破棄されてしまうか分かりません。湮滅してしまう前に何とか発掘して(註釈があればとは思いますがこの際、もう贅沢は申しません、本文だけであっても)完全版『江戸ッ子百話』を編纂刊行して、そしてガリ版原本の複写が荒川区の施設や江戸東京博物館で閲覧出来るようになれば、と思うのです。(以下続稿)

*1:第四十話くらいまでは恐らく複写にて。