・『江戸ッ子百話 上』1972年9月30日 第1版第1刷発行・三一書房・282頁・四六判上製本
- 作者:能美 金之助
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・『江戸ッ子百話 下』1973年1月15日 第1版第1刷発行・1974年7月31日 第1版第2刷発行・三一書房・247頁・四六判上製本
・1973年1月15日 第1版第1刷発行*2
2014年2月20日付「赤いマント(120)」にPHP文庫『都市伝説王』の、直接の典拠ではないらしいと断った上で、小沢信男 編『犯罪百話 昭和篇』に引用されている、本書の「尾久の奇怪なる連続事件及び阿部定騒ぎ」を引きました。これは、2020年12月21日付「赤いマント(308)」に予告したように、実は『犯罪百話 昭和篇』を、それと断らずに利用した宮田 登 日本を語る 9『都市の民俗学』に拠っていたことを、漸く昨日、2月24日付「赤いマント(313)」にて示すことが出来ました。
それはともかく、2014年2月20日付「赤いマント(120)」に「『江戸ッ子百話』も見ておりますが、別に記述することとしましょう。」と述べて、そのままになっていたのを、この機会に片付けて置きましょう。尤も、今私の手許にあるのは当時、私が見た都内の図書館の本ではなく、都下の某市立中央図書館本です。
書影は函。図書館蔵書は函を保存しないので見ておりません。
書影の中央にあったカットは、本体表紙の左上に茶色単色(3.0×3.0cm)で入っております。下のカットは円形(径3.2cm)。
表紙には他に、丸背の背表紙に、やはり茶色で標題はゴシック体太字で上部に大きく、少し空けて茶色の丸に白抜きゴシック体で「上」、なお『下』は茶色の枠に茶色の「下」。その下、中央やや下に表紙左上のカットと同じ人物の背景を消し縦長に書き直したカット、その下に明朝体でやや大きく「能美 金之助」、最下部にゴシック体横並びで小さく版元名。
見返し(遊紙)は『上』は緑褐色、『下』は茶色。
扉は本文用紙より若干厚いが経年劣化で似たような色合いになっています。印刷は茶色で文字は背表紙と同じ字体の横組みで中央揃え、上部に標題、その下に茶色の小さい丸に白抜きで「上」もしくは「下」、その下に著者名。中央に表紙左上にあったイラスト『上』4.2×4.2cm『下』径4.2cm。最下部に版元名。
本書には『上』9頁(頁付なし)中扉の裏、中央に、
私、明治十八年東京・京橋に生れ、爾後東京に生活七/十余年。顧みるに明治、大正、昭和と世相の変遷甚だし/く、過去を見返り現代を極視するに、栄枯盛衰猫の目の/如く変り、誠に先人の言われる如く昨日*3の淵は今日の瀬/となるの激変ぶり。其の間、在りし佳話逸話の消え行く/ままに為すは長老者の義務を果さざると思い、此処に江/戸ッ子百話として書き残すことである。
とありますが、これは後述するように執筆を思い立った際の宣言みたいなもので、本書刊行に際しての感慨やら、事情やらを自ら語るような文章は収録されておりません。その辺りのことは『上』1~2頁、鶴見俊輔「『江戸ッ子百話』の読者として」に説明されています。
すなわち、1頁3~7行め、
能美金之助さんの『江戸ッ子百話』というガリ版の雑誌をはじめて読んだのは、今から十二年前に/なる。そのころ『思想の科学』を出していた中央公論社の社員だった橋本進氏が、能美さんをたずね/て、『江戸ッ子百話』のそのころまでの全巻そろいを借りてきて、私に読む機会をあたえてくれた。
それから十年たって、橋本氏が『時代』という雑誌を創刊した時、私ははじめて、能美金之助氏と/会って対談する機会を得た。
この「時代」と云う雑誌(時代出版社)は、昭和46年(1971)7月創刊で8月に2号で廃刊になっています。国立国会図書館サーチで検索しても、この雑誌以外の刊行物はヒットしません。
次いで10行め~2頁1行めに、
はじめて、『江戸ッ子百話』を読んだ時に、能美さんはすでに七十五歳だった。そのころ、『江戸ッ/子百話』は、三十いくつか目になっていたくらいだろうか。はたして、百話まで達するのかどうか、/私にはあやぶまれた。ところが、百話どころか、それを完成したあとも、百話をこえてかたりつがれ/る力には、脱帽する他はない。つづいているというだけでなく、むしろ、百話をこえたあたりのほう/【1】が、私には、おもしろい。
との、注目すべき記述があります。この鶴見氏の文章は末尾、2頁15行めに「‥‥。 1972.8.26」とあって『上』刊行の1ヶ月前に書かれたものですが、次回以降、本書の内容と合わせて、鶴見氏の記述について確認して行くこととしたいと思います。(以下続稿)