瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

津留宏『一少女の成長』(1)

・津留宏『一少女の成長 小さな魂の記録の分析一九八〇年七月二五日発行・定価 一、四〇〇円・ナツメ社・246頁・四六判上製本

 1~2頁「初版まえがき」は末尾、2頁14行めに下寄せでやや大きく「古都にて  津留 宏  」15行目に2字半下げでやや小さく「昭 和 廿 五 年 初 秋」とある。内容については1頁9~14行めに、

 ここに私は一人の、一見目立たないがかなり個性的な少女の誕生から幼児期・児童期を経て女/学校をおえるまでの精神の発達過程をたどってみた。一つのいたいけな魂が、いかに育ち、いか/に個性を形成してゆくか。彼女の豊富に遺した日記・綴方・随筆・手紙・成績物などの貴重な資/料を通して、私は自分の解釈を進めてゆく。その立場は主として発達心理学的であるが、私の意/図するところは部分的な発達の位相の解明よりは、一人の少女の心の成長してゆく全体の姿をで/きるだけありのままに再現することにある。‥‥

とあり、2頁4~6行めに構成について、

 論述の順序は全体を三章に分け、第一章においては研究の立場と性格を述べ、第二章で小学校/卒業までを、第三章で女学生時代を取扱い、あとがきでこの事例に見られる主要な性格形成上の/問題を拾って、まとめとした。

とあり、最後、11~13行め、

 さらに過分な序文を賜った恩師依田新先生、本研究の出版を奨めて下さってかつ推せんのこと/ばまで書いていただいた畏兄重松鷹泰氏、すこぶる積極的に出版の労をとって下さった秀英出版/の大村弘毅氏にあわせて深い謝意を表する。

との謝辞がある。
 津留宏(1915~1982.10.13)については、奥付の上右に「津留 宏(つる ひろし)」として、

東京文理科大学心理学科卒業、愛知第二師範/学校教授、奈良女子高等師範学校教授、大坂/教育大学助教授、神戸大学教授を経て、現在/神戸大学名誉教授、大阪教育心理研究所長。

と、経歴が紹介されている。年月が入っていないが、愛知第二師範学校*1昭和18年(1943)4月から昭和26年(1951)3月まで、奈良女子高等師範学校明治41年(1908)設立、昭和27年(1952)3月に廃止されて奈良女子大学になっている。「初版まえがき」の末尾に「古都にて」とあるのは奈良で、津留氏は昭和25年(1950)の秋には奈良女子高等師範学校教授だったようだ。
 依田新(1905.9.30~1987.5.11)は昭和4年(1929)3月に東京帝国大学文学部心理学科を卒業し、4月から東京文理科大学助手、昭和12年(1937)8月から東京高等師範学校講師、昭和13年(1938)3月に東京高等師範学校教授、昭和23年(1948)6月から東京文理科大学東京教育大学)、名古屋大学東京大学日本女子大学愛知学院大学の教授を歴任している。
 重松鷹泰(1908.8.7~1995.8.7)は昭和7年(1932)東京文理科大学教育学科教育学専攻卒業、すなわち津留氏の大学の先輩に当たる。昭和22年(1947)奈良女子高等師範学校附属小学校主事、昭和27年(1952)名古屋大学教育学部教授、定年後名誉教授になっている。――そうすると昭和25年(1950)当時、重松氏も奈良にいて、この研究の進展に立ち会っていたようだ。
 国立国会図書館サーチにて津留宏を検索すると、
・「女学生のニックネーム」「児童心理」3巻7号(1949.7)76~79頁
・「青年期における――交友関係の発達的考察」「児童心理」3巻8号(1949.8)46~53頁
・「児童の日記」「児童心理」3巻10号(1949.10)46~50頁
など、前年から本書に関連しそうな論文が発表されている。
 昭和25年(1950)に秀英出版から刊行された本書の元版『一少女の成長を見る 教育心理学的考察の巻頭、「目次」の次にあった依田新「序文」と重松鷹泰「すゝめる言葉」は本書には再録されていない。
 大村弘毅(1898.3.9~1984.11.19)は坪内逍遙の研究助手から早稲田大学演劇博物館館員を経て、編集者として活躍した人である。なお、秀英出版は平成8年(1996)に倒産している。(以下続稿)

*1:この学校については2011年8月21日付「明治期の学校の怪談(5)」に触れたことがある。