・津留宏『一少女の成長 小さな魂の記録の分析』一九八〇年七月二五日発行・定価 一、四〇〇円・ナツメ社・246頁・四六判上製本
- 作者:津留 宏
- メディア: -
ここに私は一人の、一見目立たないがかなり個性的な少女の誕生から幼児期・児童期を経て女/学校をおえるまでの精神の発達過程をたどってみた。一つのいたいけな魂が、いかに育ち、いか/に個性を形成してゆくか。彼女の豊富に遺した日記・綴方・随筆・手紙・成績物などの貴重な資/料を通して、私は自分の解釈を進めてゆく。その立場は主として発達心理学的であるが、私の意/図するところは部分的な発達の位相の解明よりは、一人の少女の心の成長してゆく全体の姿をで/きるだけありのままに再現することにある。‥‥
とあり、2頁4~6行めに構成について、
論述の順序は全体を三章に分け、第一章においては研究の立場と性格を述べ、第二章で小学校/卒業までを、第三章で女学生時代を取扱い、あとがきでこの事例に見られる主要な性格形成上の/問題を拾って、まとめとした。
とあり、最後、11~13行め、
さらに過分な序文を賜った恩師依田新先生、本研究の出版を奨めて下さってかつ推せんのこと/ばまで書いていただいた畏兄重松鷹泰氏、すこぶる積極的に出版の労をとって下さった秀英出版/の大村弘毅氏にあわせて深い謝意を表する。
との謝辞がある。
津留宏(1915~1982.10.13)については、奥付の上右に「津留 宏(つる ひろし)」として、
東京文理科大学心理学科卒業、愛知第二師範/学校教授、奈良女子高等師範学校教授、大坂/教育大学助教授、神戸大学教授を経て、現在/神戸大学名誉教授、大阪教育心理研究所長。
と、経歴が紹介されている。年月が入っていないが、愛知第二師範学校*1が昭和18年(1943)4月から昭和26年(1951)3月まで、奈良女子高等師範学校は明治41年(1908)設立、昭和27年(1952)3月に廃止されて奈良女子大学になっている。「初版まえがき」の末尾に「古都にて」とあるのは奈良で、津留氏は昭和25年(1950)の秋には奈良女子高等師範学校教授だったようだ。
依田新(1905.9.30~1987.5.11)は昭和4年(1929)3月に東京帝国大学文学部心理学科を卒業し、4月から東京文理科大学助手、昭和12年(1937)8月から東京高等師範学校講師、昭和13年(1938)3月に東京高等師範学校教授、昭和23年(1948)6月から東京文理科大学(東京教育大学)、名古屋大学、東京大学、日本女子大学、愛知学院大学の教授を歴任している。
重松鷹泰(1908.8.7~1995.8.7)は昭和7年(1932)東京文理科大学教育学科教育学専攻卒業、すなわち津留氏の大学の先輩に当たる。昭和22年(1947)奈良女子高等師範学校附属小学校主事、昭和27年(1952)名古屋大学教育学部教授、定年後名誉教授になっている。――そうすると昭和25年(1950)当時、重松氏も奈良にいて、この研究の進展に立ち会っていたようだ。
国立国会図書館サーチにて津留宏を検索すると、
・「女学生のニックネーム」「児童心理」3巻7号(1949.7)76~79頁
・「青年期における――交友関係の発達的考察」「児童心理」3巻8号(1949.8)46~53頁
・「児童の日記」「児童心理」3巻10号(1949.10)46~50頁
など、前年から本書に関連しそうな論文が発表されている。
昭和25年(1950)に秀英出版から刊行された本書の元版『一少女の成長を見る 教育心理学的考察』の巻頭、「目次」の次にあった依田新「序文」と重松鷹泰「すゝめる言葉」は本書には再録されていない。
大村弘毅(1898.3.9~1984.11.19)は坪内逍遙の研究助手から早稲田大学演劇博物館館員を経て、編集者として活躍した人である。なお、秀英出版は平成8年(1996)に倒産している。(以下続稿)
*1:この学校については2011年8月21日付「明治期の学校の怪談(5)」に触れたことがある。