瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

新聞解約の辯

・友Aに送る手紙
 拝啓、まだ梅雨に入らぬままに暑い日が続いておりますが、感染などせずに無事にお過ごしでしょうか。
 さて、昨秋祖母の訃音を伝えた葉書に、近いうちに連絡すると書いたのですがそのままになっておりました。実は『山の傳説』等の青木純二について、現在の朝日新聞社で、例えば遺族の連絡先など判明しないものかと思ったのです。青木氏は昭和21年(1946)に朝日新聞社から神奈川新聞社に移っておりますが、その30年後に朝日新聞社から青木氏に連絡を取っておりますので、退社後も朝日新聞社は青木氏の住所や動向を把握しておったはずなのです。青木氏の著作は国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開になっておりますが、実はまだ著作権切れにはなっていないので、その意味からも『山の傳説』の再刊を目指している私としては、遺族に連絡する必要があるのです。
 しかし、そのためにもう1つ片付けて置きたい課題がありまして、それになかなか着手出来ないのでそのままになっておりました。
 とにかく、この件については、また改めてお願いすることになると思いますが、その前に、貴君の勤務先であるので甚だ心苦しいのですが、今月で朝日新聞を解約することとしたことを申し上げねばなりません。
 いえ、もっと前に解約するつもりだったのです。私は元々オリンピックには、誘致の段階から反対でした。準備が進むに連れ、いよいよ碌でもないイヴェントであることが明白になりました。その気持ち悪さを抱えたまま2020年になり、コロナの蔓延が始まって1月末の段階で私はオリンピックは中止になるだろうと踏み、職場でもそう公言しておりました。我が研究者としての資質など、物事に見切りを付けるのは甚だ得意なのです。
 まぁしかし、私も昨年3月に1年延期が決まったときには、日本の利権亡者どもがどうしてもやりたがって、中止と言われないように必死に策動して、IOCなどはそれにお付き合いしているのだろうくらいに思っていたのですから全く甘いものでした。IOCも日本の連中に負けず劣らずの利権亡者たちであったことを綺麗に失念しておりました。人間と云うものはターゲット以外の対象への評価が、得てして甘くなるものです。そして、ターゲットを倒せば解決すると思って、思わぬ伏兵により更に事態を悪化させてしまうようなことにもなる。私は与しませんでしたが、森喜朗を追い落とせば中止に追い込める、と思っていた人がかなりいたようですが、結果、丸川と橋本と云う私らとは「別の地平」に立つ、森喜朗の子飼いで、親分に忠義を尽くせば全く心が痛まないと云う全く以てロボットのような連中が、見た目は女性と云うことで据えられて、まだ川淵三郎の方が良かったように見えるくらいに、いよいよこちらの言葉が全く通じない状態を強いられております。
 それはともかくとして、即刻中止が最善手と判じた私には、1年延期は到底まともな判断とは思われなかったのですが、2020年6月1日付「図書館派の生活(7)」に述べたように、主要マスコミからはその後も開催前提の報道しか流れて来ません。そこで、2020年6月5日付「内館牧子『必要のない人』(2)」に述べたように、政府がオリンピックを利用してマスコミを手懐けたのだとの見当を付けました。オリンピックが成功したらお祭り騒ぎの中でマスコミは完全に政府を礼讃する広報機関に成り果てるであろう。ここ数年、論にもなっていない、或いは全く質問の答えになっていない政府や与党の言い分に突っ込むどころか、両論併記と云う理屈らしいのだけれども全く不誠実な政府与党のたわごとを、尤もらしく取り繕ったばかりではない、ことによると当然の苦言を「反撥」などと矮小化して、政権の肩を持つようになりました。もし何事もなく昨年オリンピックが盛大に行われ、そして今年選挙をやっていたら、マスコミが提灯を持って憲法を変えるだけの議席を獲得出来ていたことでしょう。例の長期政権のままで。
 一部の頭の古いネトウヨは未だに朝日新聞が左翼だと思っているようですが、官房長官の記者会見での従順さを見ても、今やそんな高級なものではありません。
 私の父は知り合いに頼まれて短期間ですが自民党員になったこともありましたが、朝日新聞を信頼してずっと購読し続けておりました。実家を出たとき、既に独り暮らしをしていた家人が朝日新聞を取っておりましたのでそれを継続して、産湯を使ったときから、いえ流石に赤ん坊は新聞を読みませんから、まぁ小学生の頃からとして40年以上、朝日新聞を読み続けておった訳です。
 女子高で小論文を担当したときに、朝日新聞の記事を課題として幾つも取り上げたものです。女子高時代の資料は近々整理しようと思っているので、そのうちどんな記事を取り上げたか再確認の機会があるはずです。便所の棚に、当時、小論文の授業で使おうと思って、その記事を含む1枚(4頁)を抜き取って、しかし結局使わないまま女子高を馘首されたときに持ち帰って来たものが紙袋に一杯あるのですが、そのうちに整理して当ブログで報告しましょう。しない方が良いかも知れませんが。
 それはともかく、小論文の担当になったとき、余りにも生徒たちが時事問題に無関心なので、新聞を読むように大学ノートを用意させて、毎週、気になった新聞記事を切り抜いて、感想を200字程度書かせて提出させたものでした。毎週20人くらいのノートにせっせと赤ボールペンでそれなりの長さのコメントを書き入れていたのですから、今からすると何処にそんな元気があったものだか、不思議な、夢のような気がするのですが、当時は当人は読んでいなくても殆どの生徒の家が新聞を取っていたものでした。それも、今や夢のような気がします。いえ、新聞を取っているのが当たり前、と云う状態は、私の女子高講師時代に急速に崩壊していました。私が小論文の担当から外された頃には、新聞ノートは実施不可能になっていました。私立の女子高に通わせようという家でも半分くらいはもう新聞を取っていなかったのです。それでもテレビは見ていたのですが、今はテレビも見ていないようです。新聞などいよいよ存在感を失っているでしょう。
 そこで、自らの見識を誇るのならともかく、いよいよ存在意義を亡くすような振舞に出てどうしようと云うのでしょうか。
 しかし、長年の誼もありますから、直ちに縁を切りがたく、以後1年余りも付き合い続けて来た訳ですが、いよいよ耐え難くなって来ました。
 私は、1年前の2020年6月5日付「内館牧子『必要のない人』(2)」に述べた「多分出来ない、仮に先進諸国で感染を抑止出来ていても全世界の祭典としての開催はほぼ不可能になったとしか思えないオリンピック」との見解を毫も修正する必要を認めておりません。いえ、先進諸国ですら抑止出来ていないのです。この状況下に開催しようなどというのは、とてもまともな判断とは思えないのです。しかし政府も組織委員会もIOCも開催に懸念、もしくは疑問視する意見に聞く耳をまるで持たず、強行しようとしております。
 主催者がやるぞと連呼し、見た目、感染者数も減って来ましたから、もう開催も仕方がない、と云う諦めムードもあるようです。既に「中止のタイミングを逸した」と云う訳です。しかし私はまだ中止になると踏んでいます。現状はほぼ戦時下、大災害に被災、もしくは大病に罹患しているような状況なのですから、無理になったらどんなに切羽詰まっても止めるしかない。今から10年前、2011年3月21日から27日まで日本スケート連盟の主催で東京で開催される予定だった世界フィギュアスケート選手権は、3月11日の東日本大震災福島原発事故を受けて4月24日から5月1日まで、ロシアのモスクワで代替開催されています。当時の日本スケート連盟の会長(2006.7~2019.9)が、現在2020年東京オリンピックパラリンピック競技大会組織委員会会長の橋本聖子(1964.10.5生)だったのです。しかし、このときも、東京大会中止が発表された後も日本スケート連盟は日本での開催に拘り、秋に開催したがっておったそうです。しかし、秋だと次のシーズンになってしまいますし、日本が危ないだけで欧米には何ら影響がなかった訳ですから、シーズン終了を1ヶ月伸ばして、1ヶ月後にモスクワ開催と云うことになったのでした。橋本会長と云う人はこうした件の往生際の悪さについては云わば前科者であった訳です。まぁ世界選手権と云ってもマイナー競技ですから代替開催が可能だったのですが、オリンピックみたいな多種目で大人数を集めるような催事で、世界各国が中止を訴えないのはどうしたことでしょう。
 余程旨味があるのでしょう。しかしその旨味は私たち下々には関係のないことです。自分たちを特別視し、特別扱いさせる、そんな連中を持て囃そうなどという気分には到底なれません。いえ、勝手にやってもらう分には、諦めましょう。しかし、酷暑の続く日本で、夏季に、コロナなどと云う感染症が収まらない状態でこんなことをされたら、迷惑なのです。医療資源を確実に圧迫します。そもそも昨今の日本の夏にオリンピックをやろうと云う時点で関係者の全てが正常な判断が出来なくなっていたと云わざるを得ないのですが、政治家や大会関係者、選手はもちろんその教育に努めて来たコーチ、そして大会に反対せずオリンピック関係者の応対をすることにした医療関係者は、この点について責任を取れるのでしょうか。私は災厄になることが目に見えているのに反対しないことは、罪悪だと思っています。旨味は一部、政権に密着した電通やらパソナやらに吸い上げられ、そして災厄のみに直面させられる。堪ったものではありません。
 いえ、もともとスポーツなどと云う道楽が得意なことがそんなに偉いのか、と思っていたところでした。それを大金を注ぎ込んでまでやるべきことか、と。ですから、今回、この状況下で、オリンピックをさせろ、自分たちは特別な努力をしてきたのだ、と云う顔をしているスポーツ選手たちを、私はもうまともに見ることが出来ません。もし開催されても全く見ないことでしょう。全く喜べないからです。今は純粋に見えていても、そのうちに山下や橋本みたいになるのだと思ったら、やはり筋肉馬鹿よりも知性を尊びたい。じゃあ筋肉のなさそうな丸川はどうなるか、と云うことになりそうですが、それはともかくとして、――しかしながら世の中は今や反知性主義が幅を利かせており、どんな状況でもお目出度い、それこそ空襲警報に飽き飽きして本土決戦を待望するような按配で自粛生活に飽き飽きしている連中は、悦ぶかも知れません。そして、貴方がたマスコミは美辞麗句で飾り立て、悦ばせるように全力を尽くすことでしょう。既に私はそれに耐えることが出来そうにないのです。
 家人も前々から取るのをやめようか、と言っていました。ただ、私は小論文を担当していたこともあって、その頃に生徒に色々言った手前、とうに生徒に新聞を薦めるような立場からは離れているのですが、取り続けて来たのでした。なかなかゆっくり読む余裕がありませんが、どこに何が出ているかくらいは、すっかり身に付いています。やはり新聞という旧来のメディアへの愛着には、血肉化していると云っても良いくらい、相当なものがあるのです。
 思えば、私の子供の頃は、新聞を取っているのが当り前でした。それがすっかり減ってしまって、この値上げでさらに目に見えて読者が減ってしまっては、特に販売所の人たちは可哀想だと思います。いえ、朝日新聞社にも、本当は頑張って欲しいのです。しかし、7月に値上げされて、その値上げ分を使って作られた、オリンピック礼讃の紙面を読まされては、それこそ堪ったものではない。
 もちろん、オリンピックだけではありません。感染対策についても、China や Taiwan、Vietnam、New Zealand や Australia など、一部最近感染が拡大している国もありますが、感染を抑え込んでいる国を見れば、発症者が出た辺りを重点的に悉皆調査して、症状の有無にかかわらず感染者を炙り出し、一定期間隔離して、感染が拡大せぬよう努めております。他方、入国しようとする者に対しては徹底した検疫(PCR検査による陰性証明に関わらず入国後2週間の隔離等)により、感染症流入しないよう努めております。しかし、日本では一貫して緩いままです。同じ系列のテレビ局には、言い掛かりに屈せずに一貫してこの方法で感染を抑え込まないと経済も再生出来ない、と主張している社員がいるのに、新聞社の方は馬鹿しかいないのでしょうか。
 昨年4月の1回めの緊急事態が宣言されていた折、あのまま完全に抑え込んでしまえば良かったのですが、宣言解除と云うことになりました。当時は1年経ってこの体たらくだとは思わなかった、と云うことでそれは大目に見ましょう。しかし、私なぞは宣言解除に当って、徹底したPCR検査の拡充や検疫の強化など、それこそ政府がこの1年連呼し続けている「安心安全」のための感染防止措置が取られるものと思っておりました。しかし、ほぼ、何もしない。やり始めたのは GoTo です。思えば、こんなことにならなければ昨年はオリンピックのインバウンドでかつてない好況の恩恵に与っているはずだった旅行業界が、そのための設備投資を回収する見込みもなく窮しているのを救おうと思うのは分からない話ではない。しかし、今、それが第一ではないだろうと云うキャンペーンを、朝日新聞は心を鬼にして徹底して打つべきでした。いえ、それ以前に、史上稀に見る愚行・アベノマスクについて、途中ででも中止に追い込むべく、まともな識者を総動員してキャンペーンを打つべきだった*1。しかるに朝日新聞社は素人が聞いても「何言ってるのか分からない」ようなことをほざく専門家に寄り添い、結果的に所謂「コロナ禍」長期化のお先棒を担いで来た訳です。初夏だったか*2、Sweden の所謂「ノーガード戦法」を賞賛する記事を打ったときには、うっと思いましたが、秋にもう1回*3、今度はなんと1面トップで礼讃したときには仰天しました。この記事などは以後年末までずるずると政府に GoTo を続けさせることに陰ながら力となり、そして感染症対策を鬱陶しく思っている層を大いに励ましたことでしょう。結果は2回めの緊急事態宣言と云う惨憺たるものでした。本当に、こんな記事を1面に出したキャップは更迭モノだと思います*4。ノーガードは集団免疫どころか変異株の温床になりかねない訳で、その意味でも、朝日新聞は外し続けて来た訳です。そして、私はこの弱腰の、何もしない政府に表立って逆らわないような姿勢の大元には、やはりオリンピックがあるのだろう、と思っているのです。
 販売所への断りの電話は、家人が入れました。私が掛けたらきついことを云うのでは、と懸念されたらしいのです。いえ、前記の事情で家人の名義で取っておりましたから、家人が掛けるのが正当なのですけれども、理由をはっきり説明しないので、随分食い下がられて長電話になってしまいました。私だったら、最近の政府に対する、特に記者会見でのだらしのなさ、それから、社説で一応(アリバイ的に)反対を表明したものの昨年来の開催一色の報道姿勢への生理的違和感、この2点を説明して短時間で終わらせるつもりでした。これらはもちろん販売所の人たちの罪ではありません。しかし、全く思ってもみなかった、新聞を取らないと云う選択をさせるほどに、最近の妙に偏った報道姿勢に耐えられないのです。日本の報道の自由民主党政権時代に比べて急速に悪化していることを朝日新聞が他人事のように報道していることを批判する tweet がありましたが、本当に余計なところを取り繕い、誤魔化し、肝腎なところは余所で誰かがこんなことを言っている、みたいな軽い扱いで済ませている。報道の自由のないことを他人事のように軽く済ませては、全く以て翼賛体制の担い手に落ちぶれた、と云わざるを得ないでしょう。
 いえ、そういう部署にいない貴君にこんなことを言うのは、販売所の人に言うのと同じくらい、理不尽なのかも知れません。漏らす訳にも行かぬだろうからと思って、敢えて尋ねることもしませんでしたが、実は現状を歯痒く思っているのではないか、と推察します。違っていたら既に淡い交わり故にそれを断つまでのことです。しかし、本当に、存在意義が問われていると思うのです。ですから、敢えて貴君に申し述べた次第です。
 もちろん返信不要にて。要件については改めて連絡を差し上げることとします。妄言万々多謝。
 
 追伸
 なお、研究者としての資質に見切りを付けた、としたことにつき念のため、或いは謙遜に過ぎるとお思いかも知れませんので、――才能は十分(!)でも現行の制度に耐えられないだろうと云うことで、まぁ、足を洗ったのです。現状を見るに、いよいよ正しい選択であったとしか思われません。

*1:まぁ、それこそ買被りかも知れません。

*2:検索するに5月20日

*3:検索するに11月10日。

*4:Sweden の記事を出すこと自体は、それこそ両論並記として「あり」でしょう。しかしながら賞賛すべきではないでしょう。「ウィズコロナ」とか言っている日本ではそれらしく見えるかも知れませんが、上記、感染を抑え込んでいる国でこのような記事を出したとしたら、それこそ正気が疑われるレベルでしょう。