瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

道了堂(10)

Wikipedia「道了堂跡」(4)編集合戦
 一昨日からの続き。
 こうして再度「保護」された「道了堂跡」項は2011年6月3日まで編集出来なくなっていました。2011年6月4日にはHN「麗花」が保護されていた「道了堂跡の異なった側面」が削除された版を取り消して「道了堂跡の異なった側面」を復活させております。そして翌6月5日には、またしても編集合戦になってしまうのです。
・09:17、IPユーザー「122.135.159.6」によって「道了堂跡の異なった側面」削除。
・09:17、HN「Los688」によって「道了堂跡の異なった側面」復活。
・11:50、IPユーザー「125.197.241.160」によって「道了堂跡の異なった側面」削除。
・11:55、HN「多摩に暇人」によって「道了堂跡の異なった側面」復活。
・12:49、IPユーザー「125.197.241.160」によって「道了堂跡の異なった側面」削除。
・14:27、HN「多摩に暇人」によって「道了堂跡の異なった側面」復活。
・18:58、IPユーザー「125.197.241.160」によって「道了堂跡の異なった側面」削除。
・19:10、HN「アイザール」によって「道了堂跡の異なった側面」復活。
 そして最終的に「道了堂跡の異なった側面」の存する状態で、2011年6月5日19:11、HN「アイザール」によって「IPユーザーによる問題投稿の繰り返し」を理由に、三度「道了堂跡」項が保護されます。そして今度は2011年9月11日まで、3ヶ月と云う保護期間が設定されます。
 これで流石に編集合戦に参戦していた連中も離れたのか、保護期間が終わってからもしばらくそのままで、半年以上経った2012年4月26日のIPユーザー「27.133.36.95」による編集は「道了堂跡の異なった側面」の字句の修正でしたが、2012年5月4日のIPユーザー「119.241.249.89」による編集は「バックボーン」云々の件を削り、変にくどい一文になっていた「首なし地蔵」についても稲川淳二の怪談のみに整理しています。
 2012年12月24日のIPユーザー「182.249.240.28」は、久し振りに「概要」の加筆で、ここで初めて「(永泉寺の別院)」との註記が加わりました。以後、字句やタグの追加・修正が続きましたが、2016年7月3日にHN「Peachkiller」が「(院生殺害事件の現場は直線距離でも1キロ以上離れているので本項とは無関係。)」とのコメントとともに「道了堂跡の異なった側面」の節を、冒頭の「1963年9月10日に道了峠の堂守であった老婆が殺害されるという事件があり[2]、」の件を不要かつ誤りである「道了峠の」を削って「概要」に組み込んだ他に「稲川淳二による首なし地蔵の怪談」の件だけを残して、削除しています。3度にわたる編集合戦の焦点になって来た節があっさり消されてしまったのは何だか狐に摘ままれたみたいですが、とにかくこれにて6年近く掲出されていた助教授教え子殺しに関する記述も最終的に削除されたのでした。
 立教大学助教授教え子殺しは「道了堂跡」とは全く無関係で不要ですし、心霊スポットであることには触れても良いとは思いますが、他の、心霊スポットでしかない場所とは違った史蹟(明治初年創建のお堂の跡地では文化財指定されてはいませんが)なのですから、本当に軽く触れる程度で良いのではないでしょうか。
 それからHN「Peachkiller」の編集でもう1点、注意すべきこととしては、老婆殺しの一件を「概要」に組み込んだ際に、その位置にあった「‥‥、1983年(昭和58年)に解体されている。」との記述を、何故だか削除していることです。
 そして、2017年2月8日に道了堂の山号寺号を辺見じゅん『呪われたシルク・ロード』によって加筆したHN「Kanachan」が、2017年2月10日に「(道了堂に関する情報が少なすぎるので加筆しました。) 」とコメントして久し振りに「概要」の書き換えが行われ、以後2017年2月14日まで手を入れています。
 このとき、2月12日付(07)で問題にした、現行の版(最終更新 2021年12月24日)まで受け継がれている中央電子株式会社の旧HPの「八王子散歩道」の記事を典拠とする記述が為され、続く、HN「Peachkiller」によって何故か削除されてしまった道了堂解体に関する記述が「‥‥、1983年には不審火による火災で堂宇が焼失したため、八王子市によって道了堂は解体された。*1」と云う形で復活します。――「焼失」は、2018年1月7日にHN「東京日和」によって「焼損」に改められています。別に根拠があっての書き換えではなく、「焼失」したのなら「解体」する必要はないだろうと云う理屈での書き換えでしょう。この「焼失」もしくは「焼損」については、追って詳しく検討することとします。(以下続稿)

*1:2017年2月14日の形。2月10日の加筆時に「消失」と誤っていたのを訂正し「取り壊された」だったのを改める。