瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

道了堂(90)

 私は主に図書館で情報蒐集している。古書店から購入することもあるが、図書館にないから仕方なく買うので、そもそもが当ブログの行き方からしても、同じことをずっと続けるような根気はないのである。気が向いたらしばらく続けて、行き詰まったり他の課題について資料が集まって来たらそちらに移るまでである。だから、当ブログに取り上げた資料は殆ど所蔵していない。コピーも嵩張るし整理するのも面倒なので取らないことにしている。――博士論文を書いていた頃に複写で集めた資料をファイルにして何十冊もあるがその後見直すこともない。図書館に行けば見られるのであれば、複写を取るにも及ばないと思ったのである。
 最近は、居住地から近くもないのだけれども、同じ都下の歴史を調べているから郷土資料を手にする機会が多いが、郷土資料は大量に出回っているものと稀覯書のどちらかで、前者は都下の市立図書館の大抵の館にあるからわざわざ買わなくても良いと思うし、後者は殆ど出回らないから初めから探そうと思わない。いや、大した記述はなくても数だけは多いから、図書館に収まっているものだってまだまだ見尽していないのである。OPAC で検索して書庫から出してもらうことも多いが、郷土資料の書棚で何となく手にして、と云ったことも少なくない。今は時節柄余り図書館で時間も取れないので、本当に何となく「八王子市」の棚の前で背表紙の標題を頼りに、取っ替え引っ替え手にしているのである。
 だから間違いも起こるので、3月22日付(16)八王子の今昔刊行会 企画・編集『市民の写真集 続 八王子の今昔 ――いま見つめたい昭和の八王子――』を取り上げたとき、「続」でない『八王子の今昔』には「道了堂の写真が載っていない」と書いてしまったのだが、先日別の図書館で『八王子の今昔』正続2冊が並んでいるのを見て、何となく「続」でない方を手にしたところ、「道了堂」の写真が載っていることに気付いたのである。――何故2月に『八王子の今昔』を見たときに見つけられなかったものだか、よく分からない。――よく、さっきまでそこにあったものがなくなったとか、そこにいた人がちょっと眼を離した隙にいなくなったとか、そんなことを怪談めかして語る人がいるけれども、いづれそんな不注意の類いだろうと思っている。私たちは物を見るときに遺漏なく確認する訳ではない。だから1度見たものでも改めて確認する必要がある。2度見ても、やはり「ない」かも知れない。しかし今度は前回見えていなかったものが見える――全く違った発見をするかも知れないのである。
『市民の写真集 八王子の今昔』刊行会 企画・編集『市民の写真集 八王子の今昔 ――昭和の八王子を振り返る――』2008年11月17日 印刷・2008年11月23日 発行・定価1500円・揺籃社・127頁・A4判並製本
 カバーに続いてベージュ色の見返し(遊紙)、カバー表紙と同じ写真と文字を使った扉から裏表紙見返し(遊紙)までの間、全てアート紙で、この扉と次の見開き「八王子の今昔/写真掲載エリアマップ」、そして「凡例」の4頁(頁付なし)のみカラー印刷である。
 1~2頁、「八王子市総合政策部市史編さん室 室長」の佐藤広「写真と八王子/――『市民の写真集 八王子の今昔』の出版に際して――」は、写真と八王子市についての概説。3頁(頁付なし)「も く じ」、4頁(頁付なし)は左下に楷書体横組みでごく小さくソフォクレスの言葉をエピグラフとして載せている。
 5頁(頁付なし)「第1帳/中 心 市 街 地」の扉。アルバムの表紙のようなデザインで下部に地図に撮影地を白抜き黒丸数字で示す。6~36頁に31枚を「平成20年(2008)」の写真を添えて紹介する。
 37頁(頁付なし)「第2帳/大和田・小宮方面」の扉。38~52頁に㉜から㊻まで15枚を紹介。
 53頁(頁付なし)「第3帳/加住・川口・恩方・元八方面」の扉。54~72頁に㊼から(65)まで19枚を紹介。
 73頁(頁付なし)「第4帳/西八・浅川方面」の扉。74~100頁に(66)から(92)まで27枚を紹介。
 101頁(頁付なし)「第5帳/由井・由木方面」の扉。102~123頁に(93)から(114)まで22枚を紹介。
 124~125頁「昭和の八王子年表・撮影年順写真索引」は「和暦|西暦|八王子の出来事|社会の主な出来事|写真ナンバーとタイトル」を示した年表。
 126~127頁11行め「あとがき」は「平成20年11月」付で「八王子市職員等事業本部 本部長 藤 岡 一 昭」の執筆だが下に「(八王子市職員組合執行委員長)」と添える。7行分くらい空けて「本書刊行にあたりご協力いただいた方々(敬称略・50音順)」として1行6人で8行、すなわち48人。全て確認した訳ではないが写真提供者であろう。次いで1行分空けて「参 考 文 献」として『八王子事典 改訂版』等5点5冊、1行空けて「「市民の写真集 八王子の今昔」刊行会」として「・八王子市職員等事業本部」と「・揺  籃  社」の住所、電話番号とHPアドレス。その裏が奥付。
 119頁「(110) 道了堂」は同じ見出しの右端に「鑓水 昭和54年(1979年)3月」とあってこれが「凡例」に従えば「撮影年」のはずなのだが、3月にしては広葉樹が茂り過ぎているように思う。しかし、これまで3月25日付(19)等で見て来た昭和51年(1976)の『多摩の百年』の写真等に比べると昭和54年(1979)と云う年自体はおかしくないようだ。すなわち、これらの写真では真っ直ぐに立っていた右側の向拝柱が僅かながら右に傾いているらしく、これが昭和57年(1982)までに6月12日付(73)に見たカラーブックス564『武蔵野歴史散策』掲載の写真のように、この右側の向拝柱が折れるか倒れるかして、向拝の屋根の右側が崩壊すると云う事態へと繋がって行ったのだ、と推測出来そうだ。
 写真の下右に「撮影・不明(提供・田原 勘意)」とある。田原氏は3月2日付「八王子事典の会 編『八王子事典』(15)」に見たように、昭和53年(1978)2月にかたくら書店を開業しており昭和54年(1979)から出版も始めている。撮影者不明のこの写真は出版事業に関連して田原氏の許に届けられたものであったか。写真の下、3行分くらい空けて左側に明朝体7行のコメント、「凡例」によると「写真の持ち主より寄せられたコメント/をもとに作成、‥‥」とのことである。1行め「ありし日の道了堂の姿、大塚山に立ち、‥‥/」に始まり、6~7行め「‥‥。現在は建物はなく、碑が建/てられている。」として、右下に「平成20年(2008)」の写真、竹囲いはなく「道了堂跡」碑が見える。